資産形成すなわち人格形成のこと
小学生の頃、私はこの曲に感動しました。
音楽の授業で聞いたときは「普通にいい曲だな」くらいの感想でしたが、
あれは小学5年生のキャンプの夜のことでした。
街から離れ、自然にどっぷりの一日が過ぎ去ろうとする宵闇の中、
本当に、遠き山に日が落ちたときの、あの神秘的な雰囲気。
そよ風すら少しの恐怖を帯びる暗がりの中、
圧倒されるような夜の巨大な山影を背に、
キャンプファイヤーの火を囲み、
この曲をみんなで歌ったとき、
私は満天の星空の下で、
自分が生かされている存在であることを感じました。
そして、ふいに泣いてしまうほど感動しました。
当時は、ろくに歌詞の意味も理解していないにも関わらず、
なんとなく、人生観というものを感じ取っていたのでしょう。
・・・さて、あれから時は経ち、私は自然から遠ざかり、
ミリ秒単位のアルゴリズムが跋扈するマーケットの中で、
パソコンの前で、自動売買なんていう血の通わない仕組みを動かしています。
しかしそんな大人になった私が、あえて、この歌詞を見つめ、感じたこと。
それは、
「きょうのわざ」を、なし終えることができ、
そのすがすがしさの中で、心軽く安らぐことができるなら、
最高じゃないか! と。
これぞ人生の本当の楽しさであり、
生きていることの深い味わいに他ならないと。
投資は個人の責任ですし、
富を築くことにみんな必死で孤独な闘いをしていますが、
一方、
社会動物としてのヒトの豊かさとは
「まどい(円居)」=皆で丸く集まってくつろぐことなのだと思います。
稼ぐこと、儲けること、それを仕組み化すること、
そういったことにあまり拘泥しすぎると、
人として、動物としてのことわりから離れてしまいかねません。
今日、より儲かるロジックをせっせと磨く中で、
私は、自分自身を磨いただろうか。
「きょうのわざ」をなし終えて、夜を迎えているだろうか。
積み重なる資産や富にマッチするほどの器を持つ人物に私はなっているだろうか。
そんなことを思いながら、今日も暮れていきます。
資産形成だけではなく、人格形成も、同時進行せねばならないのです。