自己紹介〜なぜ国立大学院卒→大企業の31歳が無職をしているのか〜
初めまして、ノブオと申します。
Note始めてみましたので自己紹介文を。
タイトルの通り、私は現在31歳の無職です。
妻と2人暮らしをしています。
2024年1月に2社目となる会社を退職し、現在無職281日目です。
(書いててゾッとしました、、、)
アラサーって、世間一般的に結構分かれ目の多い年代ですよね?
結婚するの?しないの?
子供はどうするの?
家は?ローンは?変動金利?
え?海外駐在?マジですか?
なんか、先輩見てたら転職した方が良くね?てか転職できる?
給料全然上がらんやん、、、
親の介護とかって考えておいた方が?
などなど、、、、挙げたらキリのないぐらいの重要な選択の連続が
アラサーという年代に降りかかってきます。
そんな中、私は無職になる!という決断を下しました。
今回は私の自己紹介がてら、私が無職になろうと思い至った経緯を
つらつらと書き連ねたいと思います。
こんなやつもおるんやーという感じで見ていただければと思います。
私が無職という決断をする転機となった出来事が2つあります。
少し時を遡りまして、、、、
私は国立の理系の大学院を卒業しました。
どことは言いづらいですが、ある程度名の知れた大学です。
友達や教授にも恵まれて、なかなかに楽しい普通の大学生活を送りました。
理系の大学院あるあるなのかも知れませんが、
就活はほとんどせず、推薦枠があったので
それを利用していわゆる大企業に就職しました。
この時の私は希望と自信に満ちていたと思います。
いわゆる挫折というのを、脳みそを使うことにおいて
経験したことがなかったからです。(運動神経は壊滅的ですが、、、)
これからどうなるか分からんけど、
きっとバリバリ働き、スーツビシッとキメてる社会人になるんだろう!
希望に満ちた中、社会人生活をスタートしました。
転機は早々に訪れました。
入社1年目の11月正式に配属先の課が決まってから、地獄が始まりました。
私が所属した課は当時部内で最も忙しい課でした。
周りの同期が先輩に付きっきりで教えてもらっている中、
「分からんことあったら聞きにきてー!向こうで仕事してるから!」
ということで一人で仕事を始めました。
(断っておきますが、この先輩はかなりいい人です!)
当然、右も左も分からないので先輩に聞きに行きまくりました。
聞きに行きまくりながらなので、当然残業も多かったです。
このこと自体は特に問題ありませんでした。
問題はある一人の上司の存在。たったその一点のみでした。
チームに配属されて早々にチームの雰囲気が「死んでいる」
と感じました。先輩たちは皆、優しい方ばかりでしたが
定期的に、死にたい、もう嫌や、とぼやく人が多かったのです。
冗談で言っている感じではありませんでした。
絶望した、目に光がない、そんな状態で言っていました。
その一人を除けば、みんないい人ばかりでしたが、
たった一人の人間の横暴さでチームの雰囲気は最悪になっていました。
当然、新入社員の私にも降りかかりました。
「おい、先輩に聞きに行ったら、先輩の時間が無くなるやろ。
一人でやれ。」
「なんでそんなこともできひんねん。
チームにとってのマイナスを自覚しろ。」
「邪魔。」
「何でここにいるんや。」
時には物を蹴り飛ばしながら威嚇されたこともありました。流石にこの時代に手を出してくることはありませんでしたが、ギリギリのラインを攻めてくる感じはしました。
最初は何やねんこのオッサン!!ムカつく!!という反骨精神で頑張っていたのですが、毎日毎日言われ続けたこと、配属直後の環境変化、さらに新入社員として異例の早さでの海外出張等の環境変化のストレスが重なり、次第に私の活力もなくなっていきました。
そして、ある日の朝。
当時社宅として借りていたアパートのロフトから
動けなくなってしまいました。
職場には連絡を入れることは出来ましたが、
その時の記憶はとても曖昧です。
言葉では形容し難いですが、脳みそにモヤがかかって
ありとあらゆることが面倒になりました。
ロフトを降りるタイミングは、トイレ、ご飯は不定期でお腹が空いた時だけ。
お風呂はどんな飲み会後でもお風呂に入っていた潔癖気味が3日に一回程度、食材がなくなればコンビニへ。
他の時間は寝ているか起きているか分からない時間を
ロフトの上で過ごすのみ。
数週間後に医者に行くと適応障害と診断されました。
そこから休養しましたが、
途中最悪の行動が頭をよぎったこともありました。
それまで私は、悲しくて悲しくて仕方のない時にそういう行動をとるものと思っていましたが、違うんですね。
何もかもが面倒になり、あー、楽になりたい。もういい。
と特に決意も固めずふわっと突然に。
幸い、私は今も生きているわけですが、間違いなく今までの人生では
一番死に近づいた経験だったと思います。
その後、私は休養を経て、人事と面談することになりました。
正直、元の職場に戻れる気はしませんでした。
異動を願って、無理なら退職と言おう。
そうすれば、異動させてくれるだろう。
社会人経験の浅い子供の私はそのように期待していました。
「異動はできない。そのように対応したら
皆が皆異動したいで叶ってしまう。」
そう告げられました。
その時、私は当然の、残酷な真実をようやく飲み込みました。
あー、そうか。会社は私を守りはしない。
会社という組織が大事で組織の1パーツよりも組織全体を守る必要がある。
この人も悪い人ではなさそうだが、
人情で動いていてはビジネスは成り立たない。
自分を守れるのは最後は自分だけだ。
これが一つ目の転機です。
ここで私が学んだことは、会社員としての依存度を下げなければならない、ということです。
なぜ、会社員に依存するか?金銭の獲得方法が会社員しかないから。
ではどうする?とこの時に株式投資というものに出会いました。
幸い、その後その上司は私の休養中に他の問題を起こし、チームから飛ばされ、私は戻ることができました。(私以外にも当然色々被害者はいたらしいです。私が原因で飛ばされたわけではないが、何も言えないとだけ言われました。)
その後、私は6年間その会社で働いたのちに転職しました。
転職の理由は先ほど述べた通り、会社員の依存度を下げる上で、
まず特定の会社への依存度を下げるために一度経験しておきたかったから。
6年間、仕事内容、人間関係等に大きな不満もなく、忙しく働かせていただき、感謝の面が大きかったのですが、自分の人生を考えた時、転職という経験そのものが、今後の変化の大きい時代に役に立つ時がくるだろうと。
そう考え、転職を決めました。
働きながらの転職活動ということで、忙しさに拍車がかかり、
早く決めたいという思いから、良いなと思っていた会社から転職活動1社目で内定をいただけたので、1ヶ月ほどで転職活動を終えました。
この判断が間違いでした。
そこからすぐに2社目での仕事が始まりましたが、結論から言うと、
思ってたのと全然違う!!
私は理系出身のこともあり、実験やら評価やらが好きで技術開発に興味があり、転職先の業務内容も開発と聞いていたのですが、蓋を開けてみれば
技術ではなく、プロジェクト開発!!
しかもプロジェクトマネジメントもやれですと、、、、
(この辺りの転職失敗談は記事も長くなってきましたので別途書きます。)
慣れない業務で、しかもなんだかフワフワした業務内容で
必要とされているか分からない。
周りはアラフォーの管理職しかいないのにポツンと31歳が混じる。
そんな状況で次第に気分が落ち込み休職してしまい、1年弱で会社を去ることとなってしまいました。
さてそんなこんなで私は現在無職となっています。
大企業の歯車を抜け出したい!
かといって抜け出す術も知らないし、多分スキルもない。
そんな青臭い思想が抜けきらない無職31歳がこうして爆誕しました。
なんとか一人で生きていきたいと願いつつも
もがき方すら分からずに
イタズラに時間だけが過ぎ去り、
社会人に戻るための終電時間がやってきてしまいました。
これからおそらく私はまた会社の歯車へと戻っていくでしょう。
しかし、いつの日か堂々と、
このしがらみだらけ社会からの脱出を宣言できる日を願って
私の一本目の記念すべき文章投稿としたいと思います。
(何年後かに見て、恥ずかしくなる未来が見えます。。。。)
暖かなコメントあればぜひお願いします。
また、多分この文章を読むのは私だけの可能性も十分にあり得るので
ここまで読んでいただいた方はぜひいいねとかコメントとかで
知らせてくれると今後のモチベーションになります。