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第9章:ロシア遠征と帝国の継承(1222年-1229年)
9.1 ロシア遠征の始まり(1222年)
「ホラズムを滅ぼした今、次なる戦場は西にある。」
チンギス・ハンの命を受け、スブタイとジェベの軍は 西方遠征の準備 を整えていた。
彼らはホラズム遠征での戦いを経て、 中央アジアを制圧 し、今度はヨーロッパの入り口となる ルーシ(ロシア)とコーカサス地方 へと向かおうとしていた。
軍議の夜
焚き火が燃え盛る中、スブタイとジェベを中心に将軍たちが集まっていた。
地図を広げながら、スブタイが話す。
「東から西へ。我々は風のように進まねばならない。」
ジェベが頷きながら言った。
「だが、ルーシの諸侯たちは単独では戦えぬと見て、結束する可能性が高い。我々が動けば、奴らは連合軍を組むだろう。」
スブタイは指で地図をなぞりながら言う。
「それでいい。我々が敵対するのは、バラバラの小国ではない。統一された敵の方が狙いやすい。」
ボオルチュが槍を肩に担ぎながら笑う。
「ならば、またやるのか? いつものように、逃げるふりをして罠にかける。」
ジェベが微笑む。
「敵を誘い込み、戦場をこちらの思うままに操る。それがモンゴルのやり方だ。」
チンギス・ハンは深く頷いた。
「よし、ルーシへ向かえ。お前たちの働きで、この帝国の名を知らしめるのだ。」
こうして、スブタイとジェベの軍は西へと向かった。
9.2 カフカス侵攻(1222-1223年)—ロシアへの道
モンゴル軍は コーカサス山脈を越え、アゼルバイジャン、グルジア(現在のジョージア)を攻撃 した。
ここには グルジア王国の王、ジョージ4世 がいた。
王は城壁の上からモンゴル軍を見下ろし、将軍たちに命じた。
「野蛮な遊牧民など、ここで止めてくれる。我が騎士団と共に、奴らを押し返せ!」
彼らは 重騎兵の突撃 でモンゴル軍を粉砕しようとした。
だが、スブタイは 先に弓騎兵を散開 させ、 矢の雨を降らせる。
重装騎兵たちはモンゴルの軽装弓騎兵を追おうとするが、馬の速度が異なり 追いつけない。
ジェベが叫ぶ。
「後退せよ!」
モンゴル軍は 意図的に後退 し、グルジア軍を深く戦場に引き込んでいく。
ジョージ4世が笑う。
「奴らは逃げている! 今こそ討ち取れ!」
だが、その時だった。
スブタイが 手を上げると、伏兵が森の中から飛び出した。
「包囲せよ!」
グルジア軍は 完全包囲 され、退路を断たれた。
そして、弓騎兵の矢が四方八方から降り注ぐ。
ジョージ4世は 重傷を負い、部下たちは次々と倒れていった。
彼は呆然と戦場を見つめた。
「こんな……戦い方があるのか……。」
グルジア軍は壊滅し、モンゴル軍は この地域を完全制圧 した。
9.3 カルカ河畔の戦い(1223年)—ロシア軍の壊滅
モンゴル軍がロシア領に入ると、各地の諸侯はこれを脅威と見なし、大規模な連合軍を編成 した。
ロシア諸侯軍
キエフ公国
チェルニゴフ公国
ガーリチ公国
クマン族(遊牧民)
合計 五万人 の大軍が集結した。
「奴らを追い払い、東方の魔物どもを滅ぼせ!」
ロシア軍はモンゴル軍を カルカ川沿いで迎え撃つ準備 を整えた。
モンゴル軍の策略—偽装撤退
スブタイとジェベは、圧倒的な敵の兵力を前に 正面決戦を避けた。
彼らは 意図的に後退 し、ロシア軍を広大な平原へと誘い込んだ。
「奴らは追ってくる。ならば、罠を仕掛けよう。」
モンゴル軍は 3日間にわたり撤退を続け、ロシア軍を戦場に引きずり込んだ。
「奴らは逃げている! 今こそ殲滅の時だ!」
ロシア軍は勝利を確信し、モンゴル軍を 全速力で追撃 した。
だが、その時だった。
スブタイが 手を上げると、待ち伏せていたモンゴル軍本隊が四方から襲いかかった。
「包囲せよ!」
モンゴル軍の騎馬弓兵が 雨のように矢を放ち、ロシア軍を分断した。
混乱の中、ロシア軍の指揮系統は 完全に崩壊 した。
ロシア軍の崩壊
ロシア軍の兵士たちは バラバラに逃走 を始めた。
しかし、モンゴル軍の騎兵は 圧倒的な速さ で彼らを追撃し、各地で虐殺を行った。
最終的に、ロシア軍 五万のうち四万が死亡 し、戦場は 血の海 となった。
生き残ったロシアの貴族たちは 捕虜となり、処刑 された。
スブタイとジェベは ロシア諸侯たちの上に木の板を置き、その上で宴を開く という 恐怖の見せしめ を行った。
「これが、モンゴルの力だ。」
ロシア諸侯の名は 完全に歴史から消えた。
9.4 ロシア侵攻の終結(1223年)—次なる戦場へ
ボオルチュが疑問を口にする。
「ここで引くのか?」
だが、スブタイは静かに言った。
「今は戻る時だ。ハーンが、我々を必要としている。」
モンゴル軍は 戦利品を持ち帰り、中央アジアへと帰還 した。てのモンゴルの名声は、今や風に乗って世界中に轟いていた。
9.5 チンギス・ハンの死(1227年)—帝国の行方
「戦の終わりは、次の戦の始まりだ。」
モンゴル帝国が ユーラシアの覇者となりつつあった頃、 その創始者であるチンギス・ハンの体は確実に衰えを見せていた。
彼は 六十代後半 に差し掛かり、遠征を続けながらも体の痛みに苦しんでいた。
しかし、その気力は衰えていなかった。
「私はまだ戦える。」
最後の遠征
1226年、チンギス・ハンは 西夏(タングート)討伐 を決意した。
かつては 金国との戦いのために同盟を結んでいたが、今や裏切り者となった西夏 を滅ぼすためだった。
彼は 最後の戦いへと乗り出した。
9.6 西夏遠征(1226-1227年)—最後の戦場
西夏の王宮では、重臣たちが戦況を報告していた。
「モンゴル軍が攻めてきました! すでに国境の砦は陥落し、我々の軍は総崩れです!」
西夏の皇帝は顔を青ざめさせながら言った。
「だが、我々には城がある。彼らの攻撃を耐え抜けば、勝機はあるはずだ。」
しかし、それは 甘い考え だった。
モンゴル軍は、徹底的に西夏を破壊しながら進軍 していた。
町という町を燃やし、城塞をひとつずつ破壊していく。
モンゴル軍は 西夏の降伏を拒否し、徹底的に制圧する意向だった。
最期の戦い
1227年夏、モンゴル軍は 西夏の都、興慶府(現在の銀川)を包囲 した。
ジェベが報告する。
「城内には、まだ数万の兵が残っております。しかし、奴らはもはや戦意を喪失しています。」
スブタイが静かに言う。
「王が降伏すれば、この戦は終わる。」
しかし、チンギス・ハンは 厳しい表情を崩さなかった。
「奴らは裏切った。裏切り者には、相応の報いが必要だ。」
モンゴル軍は さらに包囲を続け、食糧の供給を断ち、疫病と飢餓で城を弱らせていった。
やがて、ついに 西夏の皇帝が降伏を申し出た。
だが、チンギス・ハンは それを拒否 した。
「西夏の名は、歴史から消える。」
城は陥落し、モンゴル軍は徹底的に破壊を行った。
こうして、西夏は滅亡し、その文化すら ほぼ完全に消し去られる こととなった。
9.7 チンギス・ハンの死—最期の言葉(1227年)
西夏の戦いが 終わろうとした頃、チンギス・ハンの体は限界を迎えていた。
彼は 遠征の途中で落馬し、重傷を負っていた とも、長年の戦の疲れが蓄積していた とも言われている。
「まだだ……まだ終わらぬ……。」
彼は 死を悟りながらも、なお戦う意志を見せていた。
スブタイとジェベが 静かに彼の側に跪いた。
「ハーン……。」
チンギス・ハンは 弱々しく目を開き、彼らを見つめた。
「お前たちに……すべてを託す……。」
彼は 西の果てを見つめながら、最期の言葉を口にした。
「我が子らよ……世界の果てまで進め……。」
そして、1227年、モンゴル帝国の創始者、チンギス・ハンは静かに息を引き取った。
9.8 遺体の秘密—チンギス・ハンの墓
チンギス・ハンの死は、直ちに秘匿された。
モンゴルの伝統では、ハーンの墓を知られてはならない とされていたからだ。
そのため、彼の遺体は秘密裏に運ばれ、埋葬された。
伝説では、
彼の墓を作った者は全員処刑された。
墓の周囲に草を生やし、馬で踏み均し、跡を完全に消した。
川をせき止めて墓を隠した という説もある。
いずれにせよ、チンギス・ハンの墓は今も発見されていない。
9.9 帝国の継承—オゴデイの即位(1229年)
「ハーン亡き後、我々は何をなすべきか。」
モンゴル帝国は 偉大な指導者を失い、後継問題に直面していた。
だが、すでに チンギス・ハンは後継者を決めていた。
彼の三男、オゴデイ である。
オゴデイは聡明で冷静な人物であり、父の意志を受け継ぐにふさわしい人物だった。
1229年、モンゴルの大集会(クリルタイ)が開かれ、オゴデイは新たな 「ハーン」 として即位した。
彼は演説の中で、静かに語った。
「我が父は、世界を征服せよと言った。ならば、我々はそれを成し遂げねばならぬ。」
「その前に金王朝の残党の力を完全に削ぐ必要がある。西夏の背後にうまく隠れたつもりだろうが」
9.10 次なる戦い—モンゴルの西進(1230年~)
オゴデイは 父の意志を継ぎ、新たな遠征を開始する。
「目指すは、西方の大国、ヨーロッパ。」
モンゴルの征服は、まだ終わらない。