ウォーレン バフェット 昔話
1940年代のアメリカ
当時、10歳だった。子供の頃のウォーレンは、口うるさいおやじの命令で店を駆けずりまわる店員の気持ちを味わっていた。それは、自分の実の祖父の店で、そこで働いているときほど、奴隷の身分になったとしか思えないことはなかった。
「いろいろな半端仕事をやらされた。嫌すぎてときどき、祖父から見えないところに隠れたりした。
いちばんひどい仕事は、友だちのジョン・パスカルといっしょにやった雪かきだった。
猛吹雪があって、水気の多い湿った雪が30センチも積もっていた。
客が祖父の店を利用するため車をとめる店の正面と、荷を搬入するトラックの通る裏の路地、荷扱い場、配達車を六台とめる車庫のまわりに積もった雪を、すべてどかさなければならない。
5時間も雪かきをやったー
シャベルを何度ふるったかわからない。
そのうちに手をひらくこともできなくなった。
それで、祖父のところへ行くと、こういわれた。
“それじゃいくら払おうかな?
10セントではすくなすぎるし、1ドルでは多すぎる!"
(1940年の1ドルは約17.12ドル、日本円換算1939円。10セントだと193円)
けっして忘れないだろう――ジョンと私は顔を見合わせたよ・・・・」
五時間の雪かきだから時給は最高20セントだ。(当時レートで約380円)
「とんでもない話だ!
しかも、祖父は「ふたり分として」と。そういったんだ。
私の祖父はそういう人間だった……」
まあ、バフェット家の人間なら驚くにあたらない。
だが、そこでウォーレンは貴重な教訓を学んだ。
取引の詳細は事前に決めておけ。
だ。
祖父のアーネストには、バフェット一族に特有の性質があとふたつある。
ひとつは女性に関して衝動的であること、
もうひとつは、あくまで完璧にこだわること。
参考書籍
スノーボール 第二部より