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【休学のすヽめ】経済学部生がジャーナリストに弟子入りしたらSFC生になってた話
今回のインタビューは2011年に総合政策学部を卒業し、現在は社会科教員をしている植田啓生(うえぽん)さん。インタビュー前「一年近く休学して二年生の表と裏を経験しました。」とコメントを頂きました。表と裏とは何なのだろうか、多様な環境を経験し大学経験を拡張したうえぽんさんの休学に迫ります。
植田啓生(うえだひろき)さん
1987年東京都生まれ。2011年慶應義塾大学総合政策学部卒業、2013年同大学院政策・メディア研究科修士課程修了。修士(政策・メディア)。株式会社スクロール東京本店、大阪明星中学校高等学校社会科専任講師を経て、大阪の韓国学校・金剛学園中学校高等学校社会科教諭。大阪歴史教育者協議会にて社会科教育実践研究にも取り組み、全国規模の教育研究集会で実践報告や実践論文執筆の経験あり。専攻分野は人間科学(家族社会学、歴史社会学)。
1. 休学の経緯
ーーー休学の経緯を教えていただけますか?
うえぽんさん:
まず自分は慶應義塾大学SFC(湘南藤沢キャンパス)に大学・大学院合わせて5年間在籍していました。大学入学当初は経済学部に在籍しておりましたが、2年生になったときにはほとんど大学に行っていませんでした。その過程の中でたくさんの人に出会いました。
その時はジャーナリズムに関心があり学外で活動をしていました。パレスチナなどを取材しているビデオジャーナリストのおじさん(土井敏邦さん)に弟子入りをしていまして、そこで知り合った大学の2つ上の文学部の先輩に、後に大きな影響を受けることになるパレスチナ帰りのお姉さん(並木麻衣さん)を紹介していただきました。
そのようなこともあり、経済学部にいましたが社会問題とか中東情勢にとても興味がありました。そしてそのような学際的なことを本格的に勉強したいと思った時、自宅の近くにSFCがあることを知りました。地元の友人も「面白いところだよ!」と言っていたので、転学することに決めました。
じゃあ残りの後半の時期、学校にいく必要がないがどうしようかって考えた時、休学することに決めました。学費とかの問題で親と衝突もしましたが、結果的に1年間余分に在学する学費や転学時の費用を出世払いすることにして、卒業後2年間の会社勤めで学費の一部を返済しました。これが休学までの経緯になります。
ーーーちなみにSFCに転学した後は何をしていたのですか?
うえぽんさん:
SFCに移ってからは体育会バトミントン部に入ったので部活ばっかりやっていました。もちろん中東にも興味があったので、NHKの記者になることが決まっていた文学部の先輩のツテでNHKにインターンをし、『ためしてガッテン』という番組の制作に関わっていました。
卒業後は記者にはなれませんでしたが、メディア関係の通販会社のマーケティング部に就職しました。その後、親族が大阪で教師をやっていたこともあり、自分も教員免許をとって大阪で高校社会科教師をやることになりました。
●人との出会いが世界を切り開く
ーーーなぜジャーナリストのところへ弟子入りしたのでしょうか?
うえぽんさん:
1年間ジャーナリストのところに弟子入りしたのは、慶応大では出会えないような人と会いたかったということがあります。
そのような思いになった経験の一つが海外での生活経験です。私は父親の仕事の関係で7歳までアメリカにいたり、高校生の時にイギリスに留学したりしていました。特にイギリスに留学した時、中東系の人やアフリカ系の人、インドにルーツがある人など様々人種の人が住んでいる様子を目にしました。そして彼らが植民地支配などの歴史的な経緯があることを知り、民族問題に関心が湧きました。同時にイギリスの中でもマイノリティや宗教など色々なバックグラウンドを持つ人がいることを感じ取ることができ、民族問題を実感した経験にもなりました。また自分の父親が民族問題の当事者だったこともあり、イギリスのエスニック・マイノリティの人々と自分自身に似たところを感じるきっかけにもなりました。
その後大学に入った頃くらいに欧米圏以外の地域に関心を持ちはじめました。
当時家族ともめていたこともあり、自分の人生や生き方に疑問を持つような時期でした。同時に第一志望の学校じゃなかったことなども影響して社会へのわだかまりを感じており、社会への矛盾などにも関心が湧いていました。もちろん日吉での生活も楽しかったのですが、そのうちなんのために大学に行っているのか疑問に思うようになりました。
その時、今までとは違う環境で自分を試して見ようと思い、当時ジャーナリズムに関心があったことから、知り合いのツテでパレスチナなどを取材しているジャーナリストのおじさんを紹介してもらいました。つまり慶應義塾大学の人がいなさそうなところに行ってみたかったのです(実際には同じ大学出身の先輩がいたのですが)。そこではたくさんの他大学の学生や中東の留学生などが出入りしており、おじさんの仕事の役に経ったわけではありませんでしたが、コミュニティの中に所属することで違う世界が大きくひらけました。
例えば、自分が当たり前だと思っていたことが常識でないことを知ったり、パレスチナの人々の立場から世界を見ることによってキリスト教圏とは違う考えがあることを実感したりしました。
そして大学でもそういうことやろうとなったわけです。
SFCに行ってからは1年間くらい奥田研というイスラームのゼミに行ったり、アラビア語を学んだりしていました。けれども、性には合いませんでした。結局、今は定年退職された渡邊頼純先生という大阪出身のキリスト教徒で貿易論や経済法などを専攻する教授の研究室にいました。結果的には、もともとやっていたことに近いことをやることになったのです。
休学に相当する時期は20歳ごろで、帰化するかどうかなど、自分のアイデンティティとかその先の生き方を試す場面だったのかなと思います。
フリージャーナリストへの弟子入りやNHKでのインターンは今の自分の人生とは違いましたが、マスメディアの世界の矛盾とか自分の才能に気づくきっかけになってとても役に立ちました。ちなみに今では学校で放送部の顧問をしています。
ーーーメディアやジャーナリズムに関わっていた先生が放送部の顧問をしているなんて、生徒側にしたらとても心強いですね。
うえぽんさん:
そうですね。今担当している子達が作ったビデオを共有しますね。
(うえぽんさんが関わる放送部の生徒達が作った学校紹介のビデオを見せて頂いた。)
放送部の子が中心に部活や生徒会の人たちとともに学校のPR動画を作りました。元民族学校なので人数も少ないので、みんなとても仲が良いんです。色々なバックグラウンドを持っていることもあって、SFCみたいに多様性に満ちている学校なんです。担当した子達も中3や高3なんでもう卒業しちゃうんですよね。1年間あっという間でした。
10年以上前の休学した経験がこのように活かされることを受けて、点と点は繋がるんだなって思いました。
ーーーとても楽しそうな学校ですね。自分は風当たりのつよい保守的な学校だったので、このように生徒の積極的な姿勢を学校側が支えてくれる様子を見て、胸にじーんとしみました。
うえぽんさん:
ありがとうございます。みんな下の名前で呼び合えるほどとても仲が良いんですよ。
よくもわるくも元民族学校なので、外の世界でいろんなことを経験しています。だから学校の中にいる間だけでも、親密な関係でいられるようにしようとしているのかなって思います。自分は日本や欧米圏の学校にずっといたので、自分が経験したことない環境だったことから、教師として関わると不思議な気分になります。
ーーー良いですね、自分も通ってみたいと思えました。PVを共有して頂きありがとうございます。
2. 休学期間中の体験
ーーーでは次の質問をさせて頂きます。休学期間中の体験について詳しく教えていただいてもよろしいですか?特にいろんな人と出会った中で、どんなことが印象深かったか聞いてみたいです。
うえぽんさん:
ではジャーナリストに弟子入りした時に受け入れてくれたおじさんとそこで出会った東京外国語大学のパレスチナ帰りのお姉さんのお話をしますね。
まず、私を受け入れてくれたおじさんとは学外の中近東に関心がある人が集まる勉強会やシンポジウムで出会いました。おじさんは「今大学生のボランティアを募集しているんだ。家で映像の編集作業をしているから、英語が多少できる人に翻訳作業とかしてもらいたくて。それで映像制作に興味がある大学生とかをボランティアで募集しているんだけど、ちょっとお小遣い程度のお駄賃あげるから、君も来ないか?イギリス帰りだから英語とかわかるやろ?」と言いました。それで映像字幕の翻訳係として手伝いに行くことになったのです。
大学に行ってなかったので、おじさんの家に朝からいて、ご飯作って一緒に食べて、編集作業して帰るってことを繰り返していました。おじさんと二人きりのときもあったし、そんな時はあまり喋ったりしなかったんですけど、しょっちゅうお手伝いの大学生や中近東出身の留学生など色々な人が出入りしていました。あとジャーナリスト友達や奥さんなども。そこでいろんな人がいると、飯食いながらパレスチナことなどを話すんです。当時はガザ地区やヨルダン川西岸などのパレスチナの地域にイスラエル軍が攻め込んだり入植したりしていたので、しょっちゅう小競り合いが起こっていました。そういう状況について、仲間同士で賛否両論語っていました。
私は中近東出身の人とは接点はありましたが、行ったことはなかったのであんまりよく話がわからなかったのです。そんな中、たまにしか現れない2つ上の慶応大文学部の先輩が、たまに現れる変わった人と友達だという話をしていました。そんな変わったお姉さん、「ゴッド姐さん」と呼ばれていたのですが、みんなその方のお話をしていて、「あのお姉さんがくると場の空気が変わる」と話していました。
そしてそのお姉さんがどんな人なのか気になりました。そしたら、たまたまその慶応の先輩がゴッド姐さんを紹介してくれたんです。けど、そのお姉さん、その時日本にいなかったんです。パレスチナにいたから。そしてゴッド姐さんの正体がパレスチナに留学をしていた東京外大のアラビア語科のお姉さん(並木麻衣さん)ということがわかりました。その人もいろんな家庭の事情で辛い思いをしていて。面倒見の良い「肝っ玉母さん」みたいなかんじのお姉さんで、2つか3つくらい年上でした。
(参照:並木麻衣さんインタビュー記事)
当時大学に行かず、ずっとおじさんのところにいたので、文学部の先輩が「こいつ大学に行ってないらしい。ゴッド姐さんに合わせて元気をつけてもらおう。」と、ゴッド姐さんの連絡先を教えてくれたんです。そしてその彼女が発信しているブログを見て質問したりしていました。やはりパレスチナのこととか現地にいるから詳しいことがたくさん書いてあるんですよね。それでそのゴッド姐さんもイスラエルが攻め込んでいるパレスチナの人の肩を持つようなトーンで書いてはるんですけど、でもイスラエルの大学に通っているから彼女も複雑なわけですよ。だから色んな立場から物事を見て、いけないことはいけないと言うんです。そして、そんなアツいお姉さんにぜひ会ってみたいと思って「留学から帰ってきたら会わせてください!」と言って、取材をしました。
その当時思った積もる話とか、大学がつまらんとかやめようと思っていることか、親と喧嘩してることとか、色々お話ししました。そういう話をしたら「休学をしてみたら良いじゃないか!」と煽られて、その気になっちゃって。
そのお姉さんとよくつるむようになってからは、大学には行かず東京外語大によく行くようになりました。文化祭とかで知り合った同年代のアラビア語科とか英語科の人たちとも仲良くなって、たまたま僕の高校時代の同級生が東京外大の英語科に通っていたこともあって、どんどん交友関係が広がったんです。
そして中近東のことをもっと勉強したいって思うようになり、外語大には流石にいけないから慶応大の中でそういうことが勉強できる場所ないかって聞いたら、「SFCというキャンパスがある。そこでアラビア語やってるぞ。」と言われて、SFCにやってきたんです。
●離れてみたから気づかされた
うえぽんさん:
つまり、外に出たら図らずも自分の身近なところに学びができるチャンスがあることに気づいたんです。SFCが自宅から30分ほどのところにあるのに、なぜ気づかなかったというと、僕が通ってた高校は慶応大に行く人が多かったのですが、SFCに行く人は年に1人か2人くらいしかいなくて、親も兄弟も慶応で、とりあえず三田に行くっていうイメージが強かったことがありました。なのでSFCは進路の選択肢になかったんです。でも外に出て灯台下暗しではないですが、自分自身のいる環境の強みとか弱みを気づかせてもらえたんです。
外部にでてそこで出会った人と何か作ったり交流したりとか、色んな経験を積んだりとかして、何かアウトプットして成果出たらそれが仕事になる時もあるんです。起業して中退する人もいると思います。つまり何が言いたいかというと、たぶん学外に出て、休学中に何かできることと言ったら、もしかしたら大学生のハタチ前後の自分探しの良い経験になるんじゃないかと思うわけです。
で結果的に大学に戻ればそれはそれで良いし、大学にいるよりもさっさと自分で商売立ち上げた方が早いって気づいたら未練なくねってさっさと大学を辞めても良いし、この情勢ですしね。学外の経験は結果的に自分の何かやりたいことか、社会でどんな関わりができるかを知る良い経験になるかと思います。
そのことを教えてくれたのは直接的には慶応大の先輩だけど、ゴッド姐さんに会うことでその後の道が繋がったと思うので、ゴッド姐さんみたいになれるかわからないですけど、少なくとも同じ大学出身の先輩・後輩の関係なので、何かのきっかけになればという思いで、いま私はお話をしています。
ーーー確かに、多くの休学経験者から「図らずも良い結果になった」と聞きました。それはやはり「意思」を持って休学するからこそだと思います。ただ単純に学校の教育を享受して、レールに乗っていく訳ではなく、休学を決めた人は何かしらそのレールに疑問を抱き、一度離れて答えを出そうとしていました。その強い姿勢が様々な機会を掴みにいく力になっているんだなと感じます。
うえぽんさん:
そうですね。主体的に行動して、他者と関わるということですね。
ーーー「休学のすヽめ」を提唱者である黒川先生も、現地に出向いて経験し知恵を獲得することが大事だと仰っていました。議論のみならず、実践する機会を得るという意味で休学は有意義に働くのかもしれませんね。
うえぽんさん:
一個大事なのはお金の問題です。10年前は休学でも費用がとてもかかりました。今は減額されていると聞いておりますが、そこも踏まえて手続きを進めるということが大事です。余分に1年2年休学すると就職でビハインドになるのは確かにあって、1・2年くらいは全然問題ないですが、他の子は先に卒業する訳なので遅れて社会に出るとしてもそれがビハインドにならないような活動をすることが大事だったりします。そしてお金がもし足りないとかあったら、いろんなところからお金を工面するとかして、なんとか決着をつけて最後は自分でけじめをつけた方が良いと思います。
あと普通に大学に通っている人が得られたであろう利益を失っているので、それを失っても何か得られると思うのであれば休学するなり留学するなりして良いと思います。
ーーーなるほど。失った利益以上の何かが得られるか考えてみる必要がありますね。
3. 休学の感想
ーーー今休学を振り返ってみてどう思いますか?
うえぽんさん:
望んで休学をした訳ではありませんでしたが、結果的には自分自身の生き方の方向性を見つめ直す良いゆとりの時間にはなったかなと思います。
もし休学しないでそのまま卒業していたら、就職した後に同じような場面に出会ったと思います。結局それが就職したあとか大学生の頃かの違いだけだとおもうので、早い時期にくる場合もありますが、たまたま私は二十歳くらいの時に来ただけなので、結果的には良かったかなぁと思います。
4. 休学のポイント
ーーー休学をする際のポイントはありますか?
主体的に選ぶという姿勢は忘れないでほしいです。最初のきっかけはコロナとか外部的な要因とか個人的な事情から来るかもしれませんが、休学するかどうかというのは自分自身の選択なので、失うこととかリスクとか考えて、それを踏まえて「自分はこうしたいんだと思ったから決めたんだ!」と言えて休学を選択するのであれば、それは本人が納得することなので良いんじゃないのかなって思います。
ーーー休学期間中を充実した生活にするためのポイントを教えてください。
なんとなくだらーっと過ごす場合もあるかもしれませんが、一定の期間あえて大学に行かないのであれば、最後の時にどうしていたいかという具体的な目標みたいなものはある程度決めておいた方が良いと思います。
一年やって「何も成果出ませんでした」だったり「自分も見つめ直せたから良かったです」というのは、後から振り返れば結果オーライかもしれませんが、余分な時間を取っているので、少なくともどうこうしたいっていう漠然としたものでも良いので方向性や目標を決めた方が良いとは思います。この時期までにはこれをするとか、判断のケツをきめるってことです。ケツの時のためにどうしたいかということを数値目標と定性目標でちゃんと決めると良いと思います。
そしてそこに縛られすぎてはいけないということも大事です。目標を達成することが休んでいることの目的じゃなくて、究極的には自分がどう生きればハッピーになるかを模索する「自分探し」の期間であるということを、忘れないで欲しいと思います。
● 休学の選択のポイント
・主体的に選ぶこと
・お金のことを考慮すること
● 休学期間中のポイント
・方向性や目標を決めること
・そこに縛られすぎないようにすること
<取材者の感想>
インタビュー前に頂いた「一年近く休学して二年生の表と裏を経験しました。」というコメントは、あらゆる面で表裏一体の経験をしたからこそ出た言葉なのかもしれない。在学と休学、三田とSFC、授業と実務、学校と社会、どちらが表でどちかが裏と決めることはできないが両者の関係をあらゆる場所で感じたのだと考える。
うえぽんさんは何か大志を頂いて休学を選択したわけではなかった。大学に通い続けることに違和感・疑問を感じ、休学をすることに至ったのである。そしてそれが功をそうして、自分の人生の方向性を見出せた。休学という学校から距離をとる期間というのは、俯瞰的に現状を見つめることができる有意義な時間になるのかもしれない。 (滝本)
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