
聖徳太子は虚像だvs.日本書紀は正書だ
司会
皆さんは聖徳太子の功績は嘘だと思いますか?
社会くん
ああ、間違いない。学問的に言って聖徳太子は虚像である。日本書紀は権力者が書いた歴史書であり、嘘にあふれている。慎重に読まなければならない。
保守くん
嘘かどうかが重要なのか?長年読み継がれて、皆が聖徳太子を尊敬しているということが大切なのだよ。
自由くん
たしかに日本書紀には嘘があると思う。だが偽書ではないよね。
社会くん
どうやら君たちは、いまだに藤原不比等に騙されているみたいだね。
保守くん
史書の改竄があったにせよ、今でも語り継がれている。嘘を見抜いたからなんなのだ?
自由くん
嘘をつかなければいけなかった理由が知りたいね。
社会くん
そりゃ簡単さ。正当性を主張して、権力を握り続けるためだよ。
自由くん
なるほど、権力を掌握するためについた嘘なのか。それは悪いことなのか。
社会くん
当たり前じゃないか。嘘をつくのは悪いことだ。
自由くん
本当のことをベラベラしゃべる政治家のほうが治安悪化を招くだろう。その時は適切な対応だったのだろう。
保守くん
聖徳太子は当初は虚像だったかもしれない。でも時を経て本物になったんだ。
社会くん
それをありがたがって信じ続けるのは信仰だよ。
自由くん
日本には信仰の自由があるのだから、歴史認識にも信仰の自由があってもいいだろう。
社会くん
歴史教育に太子信仰を持ち込まれては困るよ。
自由くん
困るのは文部科学省だけだ。民間は誰も困らない。嘘を本物と信じ続ける歴史教育と、実証的な歴史研究は両立するはずだよ。
研究の精度を高めるときに、信仰を否定する必要がない。教科書から信仰を除去する必要もない。
社会くん
学問と信仰は、水と油だろう。
保守くん
水と油だからこそ棲み分けがしやすくていい。
自由くん
どちらが水で、どちらが油だい?
保守くん
水は沈み、油は浮く。信仰は古く、実証的研究は歴史が浅い。つまり信仰が水で、歴史研究は油だね。
自由くん
つまり日本の古代史は虚構であり、現代日本はその上に成り立っていると言えるね。
保守くん
そうとも言える。
社会くん
だからといって嘘は許されない。たとえば、いまだに宮内庁が管理する古墳の調査は難しい。このままでは真実の歴史がわからない。
保守くん
信ずるに値する嘘をつきつづければ、やがてそれが歴史になる。だから聖徳太子を教科書から外したところで、それが信ずるに値する歴史なのか。我々日本人が、藤原不比等の嘘に耐えられなくなったとき、初めて聖徳太子の虚構を解体すればいい。
社会くん
歴史はフィクションではない。公教育の教科書では従来の聖徳太子像を書くことはできない。藤原不比等だけではない、道鏡や桓武天皇らも改竄と焚書をしている。
自由くん
現在の公教育が、嘘を教えていないのかは疑問だ。
そもそも歴史教育というのは事実と解釈の両方が大切だ。たとえば広島・長崎に原爆が投下された事実を知って「だから日本は核を持ってはいけない」と考える者もいれば、「だからこそ核を持つべきだ」という者もいるだろう。
保守くん
核を持たないと言っている奴は偽物の日本人だね。偽物の歴史教育をうけた、偽物の日本人だよ。
自由くん
では本物とはなにか。
社会くん
それはもちろん、事実を丹念に掘り起こして、権力者が闇に葬った真実を暴くものさ。
保守くん
それだけでは足りないね。真実を知った上で、千年後も信ずるに値する嘘をつくことさ。
自由くん
ということは日本史の改竄者たちは皆、本物ということになるね。