「犬山桃太郎伝説」昭和4年の新聞報道
一般的には、昭和5年(1930年)に三大伝説地(岡山、高松、犬山)が揃って声を上げたといわれている。
犬山の場合、桃太郎神社が現在の位置に遷座した年(昭和5年)を以て宣言の年とされている。
実は、犬山は前年の昭和4年には「木曽川河畔が桃太郎の生地」と新聞報道されていた。
おそらく最初の報道は昭和4年3月8日付けの報知新聞だと思われる。
報知新聞の記者であり童話研究者であった中田千畝の「木曽河畔とわかった桃太郎さんの生地」という現地取材記事です。
次いで、3月17日付けの伊勢コドモ新聞
報知新聞が、3月23日から27日付けで「桃太郎発祥地を探る」の記事を5回にわたり連載した。
4月5日付け地元紙の名古屋新聞が、吉田初三郎、川治宗一らが立ち上げた「日本一桃太郎会」の発会式(4月12日)桃太郎祭の開催を伝えた。
名古屋新聞に、4月16日、17日「お伽噺王国建設 桃象生のコラムが、上下2回掲載された。
4月13日付け、新愛知新聞は「日本一桃太郎会」の発会式が4月12日開催された事を報じている。
「日本一桃太郎会」に出席した、考古学者の鳥居龍蔵博士が桃山の麓にある桃太郎神社の祠の傍らで発見した石はメンヒルであろうと語った