結婚失敗!(2)
役所に婚姻届を出しに行ったら、結婚失敗した日の話を先日書いたけど、これはその続き。
なぜ不受理になるとわかっているのに提出したか
さてさて、結婚が失敗に終わった不受理の話に戻る。不受理になると分かりながら婚姻届を出したのは、非常にシンプルな理由で、これからの生き方として「自分達はここにいる」ことを自分に対しても社会に対しても隠さないようにしたいと思ったから。だと思う。たぶん。
欲しいのはケッコンを選択できる自由
日本では戸籍上同性同士は結婚できないけれど、パートナーシップ制度が存在する自治体はある。私と彼女はこの制度がある自治体に住んでいるけれども登録をしていない。この話をするのは非常に難しく、発言することを少し避けていた。
この制度を利用すると、公営住宅への同性同士での入居が可能になったり、一部民間企業への提示で携帯料金が家族割になったりする。対象地域から引っ越すと関係性は書面上解消される。声を大にして断っておきたいのだけど、パートナーシップ制度は社会的意義が非常に大きいと思っている。公の承認で救われる人は大勢いるはずで、この制度設立のために尽力された多くの人への尊敬とともに、今後もより多くの自治体に広まれば良いと思っている。
一方で婚姻関係にのみ認められていることも多く存在する。子どもの親権を両方の親が持つこと(同性だと片方しか親になれない)、相続の問題、国際カップルの配偶者など、暮らしの根幹に関わることばかりだ。
「私達にとって」という前置きをさせていただいた上で。制度利用をしていないのは、言葉で説明することがとても難しいのだけど、「これで満足したと思われたくない」という、なんというか。"無念"、"悔しさ"、みたいなドス黒い感情が湧いてしまうからじゃないかと思う。こう思ってしまうことについて、制度のために尽力された方々に大変申し訳なさを感じて、あまり言えなかったのかもしれない。
2011年、アメリカのリベラルな大学に留学していた私は大学のLGBTQコミュニティにいた。2013年オバマ大統領の時代にDoMA(結婚防衛法)が合衆国最高裁判所によって違憲判決になったので、2011年から2012年にかけてはまさに夜明け前といった時代だった。同性婚賛成派と反対派が拮抗し激しく戦っていた時代のアメリカで、あちこちでデモが起こり、みんなが常に何かを叫んでいた。何かのイベントでTシャツをもらった。"I am not a second class citizen"と書かれたド派手な色のTシャツ。今でも大切にしまってある。10年以上経った今でも、ずっと自分の中で繰り返しこのフレーズを反芻してしまう。
大阪地裁の合憲判決
そして大阪地裁の判決である。(この話は書くのすらしんどい)
判決結果もさることながら、大阪地裁の判決文で驚愕のコメントが。「パートナーシップ制度なども広がっていて、異性間と同性間の『差異』は緩和されている」という部分。まさか。同性婚ができない中苦肉の策で作り出したパートナーシップ制度をダシに使われて差別解消しているので同性婚いらないよね?と言われるとは・・・・自分の精神的健康のためにこの件に対するコメントはこれに留めることにする。
パートナーシップ制度の拡大(特に都道府県レベルで)を応援しつつ、自分達の感覚にフィットするような家族の形をどう形成していこうか、という話し合いを彼女と続けた。
自分自身をごまかさないこと
大学時代に留学先で取ったクラスでアメリカの公民権運動、女性解放運動、ゲイ解放運動の歴史を学んだ。有名すぎる話だけれど、公民権運動の母と呼ばれたローザ・パークスは、1955年に白人にバスの席を譲らなかったためジムクロウ法違反で逮捕された。そこから立ち起こった抗議運動で人種差別禁止の立法に繋がっていく。今でも中絶禁止の米連邦最高裁の判決など問題山積みのアメリカではあるけど、大学生だった当時歴史上の多くのマイノリティひとりひとりの不屈の精神、犠牲の上にこの国ができているのだと知って心が震えた。「できないとわかっているから、やらない」ことで、自分達がここに生きていたことも無いことになってしまう。それは嫌だ。きっと60年前も70年前もそう願った個人がいたはずだ。どんなに小さなことでも、取った行動に意味がほぼ無くても、自分自身に対してだけはごまかさずにいたいと願ってしまう。
暮らしの表象と実態がどんどん乖離していくことを終わりにしたいと思ったこと、自己検閲的な生き方をシフトしていきたいと思ったこと。幸いにもパートナーもその想いに共感してくれたことが今回の"結婚失敗"に繋がった。
今の私たちの願いは「なるべく嘘のない暮らしを実現したいね」ということ。決別というか、決意というか、そういうかっこいい言葉ではしっくりこないのだけど、どこかで腹を括らないと、生きる、ができない。自分が社会の手触りを感じながら、実感を伴っていかないと、ずっと足掻いて進まないような感覚に陥ってどん詰まってしまう。自分達の生き方をシフトしていく区切れ目のところに今立っていて、その境界線を超えて新しい生き方を手に入れるために必要なことだったのかもしれない。
2022年は激動の年で、この話の後、海外で結婚するという方向に話は進んでいくのだけど、それはいつかどこかで(多分・・・)
最後に、随分長い間他の人にアウティングせずに私を守ってくれた友人たち、本当にありがとうございました。とても長くかかったけど、自分の心を守りつつ、みんなのおかげで何とか踏みとどまってここまで来れたと思う。ほんとに、ありがとう。