漢字から考える妖怪と音。 『言と音』編
妖怪と音を巡る旅、今日は漢字のせかいへ出かけてみます。
今回考えてみるのは『音』という漢字。
なんとなく、「立」と「日」を組み合わせた字なのかなあと思っていたのだけど、違いました。というおはなしです。
漢字のせかいは急峻で、ちょっとかためのおはなしになってしまうかも。
どこか山奥の渓谷へ出かけるようなものです。準備はいいですか?
そうそう、漢字のせかいにお住いのかた、いらっしゃいますか?
わたしは旅びとです。
音楽と妖怪のせかいから来ました。こんにちはー。
もし、いらっしゃいましたら、いろいろ教えてくださいね。
言と音は兄弟?
『音』は『言』から生まれてきた文字ではないかといわれています。
まずは、ちょっと頑張って図を作ってみたので見てみてください。
ほらー、似てますよね。似てるというか、ほぼ同じ。
言と音の本質的なちがいは、下の部分が「口」か「日」かどうかだけということが分かります。
ちなみに、小篆(ショウテン)は、秦の始皇帝さんのときにまとめられた漢字で、金文(キンブン)は、そのまえ。
金文は、始皇帝さんがまとめる前だから、同じ字でも時代や地域などでちょっとずつ違ってバリエーションがあったみたい。
甲骨はそのもっとまえ。動物の骨に彫られていたもの。
さて、上の図ですが、音の「甲骨文字」がないですよね。
どうやら、見つかっていないようなんです。
音をあらわす字が確認できるのは金文の時代で、「言」の口にーを入れて「音」という字がつくられたとされています。
というわけで、言くんと音くんは兄弟でした。以外ですよね!
そんなおはなしなんだけど…。
じゃあなんで、「言」によこ棒を入れて「音」にしたんでしょうね。
古代に思いを馳せてみようと思います。
注)「口」が「クチ mouth」のことを示しているのかも、議論になっているようです。わたしが調べる限りは、この場合は素直に「クチ mouth」としてよさそうに思います。
音という文字があらわすもの
じつは、このよこ棒の意味は色々な説があって、まだはっきりとは分かっていないようです。
はっきりしているのは、『言』と『音』は兄弟だということだけです。
面白いのは古代のひとたちが、『言』という字にひとくふうして『音』をあらわそうとしたこと。
全然ちがう文字をつくりだしても良かったはずですよね。
それなのに、なんでわざわざ『言』という記号を使って『音』をあらわしたのか。
不思議。
言と音をどう区別したか、字源をたどる方法ではなくて、つぎのような考察をしてみます。
考察という探検です。
A ▶︎『言=言葉』の性質を持たないものとして、区別した。
B ▶︎『言=言葉』の性質はそのままで、そこに何か変更が加えられたものと
して、区別した。
C ▶︎ 上記のどちらとも。くみあわせ。
*ここでは『言』のさす意味を、かんたんに『言葉』としています。
Aの考えかたは単純で、否定法のようなものです。
例えば、
▷「正」に「不」という記号をつけ加えて「不正」
を表すようなくふうをしたのでは?ということです。
この例でいうと、「正ではないことがら」を「正という字そのもの」と「不」という記号をつかっていますね。
音という字は、「言という字そのもの」と「ー」(よこ棒)というしるしをつかうことで、「言ではないことがら」すなわち『言葉にならないもの』を表したと捉えます。
つまり、『言葉にならないもの=音』。
ふんふんと口ずさむメロディ、はなうた、くちぶえ。
はたまた、うなり声、泣き声。そんなイメージがでてきます。
Bの考えかた。
こんどは否定法ではないので、『言=言葉』の性質を保ちつつ、その上でなにか変化のあることを言おうとしたのかもしれません。古代の人たちは。
言葉なんだけど、それにつけ加えられたものを音とよぶよ、区別するために「ー」(よこ棒)というしるしをつかったよー、というような。
つまり、『言葉に加えられたもの=音』。
言葉がメロディにのって空中に放たれたとき、それは音になり、うたになる。そんなイメージが湧いてきました。
Cはどうでしょう。いまのところ思いつかない!なにかあるかな。
漢字のみなもとを辿るのは、それだけで遠い遠い旅路になりそうですね。
いまも、この険しい渓谷の奥深くへと旅をしている方々がいらっしゃるので、その人たちの土産話を待つとしましょう。
わたしのいまの考えは、Aの『言葉にならないもの=音』説です。
音が入っている漢字っていろいろあるのですが、ひとつふたつ例を出すと、『意』や『憶』という字があります。
言葉が言葉として発せられるまえ、心のなかにとどまっている状態のイメージの漢字です。
つまり『言葉にならないもの』が心にある状態。
もしBの『言葉に加えられたもの=音』説だと、それが自然に説明できそうにないのですよね。
この場合、心のなかにとどまっていても、それは「言葉」なので『言』。
とすると、下図の右のような字で『意』をあらわしたくなります。でもそんな字ないですよね。伝わるかな。
「言葉がメロディにのったとき、それは音になる」というイメージも、よくよく考えると、はなうたやくちぶえのように、べつに言葉がなくてもメロディだけで音は成り立ちますよね。
なので、ここは『言』に対応する文字として、『言』ではないもの=『言葉にならないもの』が『音』としてあらわされたと、ひとまず考えておこうと思います。
おわりに。 『闇』 編へ続く。
はあ!疲れた!
ちょっと長旅になりました。ここまで付き合ってくれたかた、ありがとうございます。
今日は漢字のせかいにでかけて、『言』と『音』という字は兄弟だとわかって、古代の人たちは『音』という字を『言』と対置するかたちで『言葉にならないもの』として捉えようとした、というおはなしでした。
さて、さいごに、妖怪と音の関係を探っていくうえで、なぜ今回『音』という漢字を調べてみたのか。
それは、
なぜ『闇』という漢字に『音』が入っているんだろう?
という素朴な疑問からでした。
妖怪さんがひそんでいるのは、夕暮れどき、とっぷりと陽の落ちた夜中、家々の隙間にある暗がり、深い森の奥…。
そこに共通するのは『闇』です。
妖怪と闇、闇と音。
繋がってきそうですよね。
気ままな旅、つぎはどこを訪れるかわかりませんが、《漢字から考える妖怪と音》はいつか『闇』編へと続きます。
それでは、次の旅路で。
《参考文献・HP等》
藤堂・松本・竹田・加納『漢字源 改訂第六版』学研プラス 2018年
白川静『常用字解』平凡社 2004年
白川静『字通』平凡社 1996年
田畑暁生『白川静ブームとその問題点』神戸大学大学院人間発達環境学研究科研究紀要 2012年
常用漢字論―白川漢字学説の検証 URL
漢字の世界【伊曰言音甘】URL
漢字の世界【口告】URL
ウィクショナリー URL
字源 -jigen net- URL
言と音の字源について、おまけ。
おまけです。
漢字の研究について、日本では藤堂明保さんと白川静さんという偉大な先人がいらっしゃいます。
『言』と『音』について、藤堂明保さんの「漢字源」と白川静さんの「字通」を中心に少し紹介します。
『言』について
▶︎漢字源
辛きれめをつける刃物+口。口をふさいでもぐもぐいうことを音オン・諳アンといい、はっきりかどめをつけて発音することを言という。
▶︎字通
辛(しん)+口。辛は入墨に用いる針の形。口は祝詞を収める器の(さい)。盟誓のとき、もし違約するときは入墨の刑を受けるという自己詛盟の意をもって、その盟誓の器の上に辛をそえる。その盟誓の辞を言という。言語は、本来論議することではなく、呪的な性格をもつものであり、言を神に供えて、その応答のあることを音という。神の「音なひ」を待つ行為が、言であった。
『音』について
▶︎漢字源
言という字の口の部分の中に、・印を含ませたもの。言は、はっきりとけじめをつけたことばの発音を示す。音は、その口に何かを含み、ウーと含み声を出すことを示す。
▶︎字通
言+一。言の下部の祝祷の器を示す(さい)の中に、神の応答を示す一を加えた形。言は神に誓って祈ることば。神はその音を以て神の訪れを示した。器の自鳴を示す意である。
わたしなりの見解
わたしは、本文のほうでお話ししたとおり、漢字源の説に近い見解を持っています。
ただ、漢字のせかいへといざなってくれたのは、白川静さんでした。
「口」をクチではなく「サイ」という“うつわ”として解釈し、神への誓いが『言=言葉』であり、神は言葉に対して『音』で応える。
この場合、『言』と『音』は、「神」を仲介として対置されていますね。
そう考えると、わたしがABCの考察でしたような、単純な否定法だったり何かを加えたりという視点ではなく、そのあいだの仲介物を考えたという発想が、ほんとうにすごいなと思います。敬服。
しかし、漢字のせかいへ分け入っていくうちに、白川さんは「呪術性」にこだわり過ぎたという指摘があることも知りました。
また、あらたな甲骨文字の発見などもあって、わたしが調べた限りでは、「サイ」ですべてを説明するのは、すこし無理がありそうだなと感じています。
漢字研究のこれから
漢字研究のこれから!なんて、わたしが語れるわけもないのですが、いまその最先端にいらっしゃるらしい、“漢字のせかいの旅びと”を知りました。
そのかたは、落合淳思さん。
「漢字の成り立ち」という本では、白川静さん藤堂明保さんらの研究成果への冷静な評価と批判から、中国での新発見や最新研究結果まで書かれているみたいです。
落合さんの本、いつか読もうと思っています。
知らないせかいを旅するひとの話は、おもしろいよね。
学問が楽しいのは、世界の広さを知ることができるからだと思っています。いろんな世界がいて、先人がいて、まだ見ぬ秘境へ分け入っていく冒険者がいる。楽しい。
おまけの旅、でした。
追記 漢字の「発音」についてご指摘を頂きました
今回の記事について、漢字のかたちを探るときはその語音(発音)に触れる必要がある、というご指摘を頂きました。
下の記事に少し詳しく載せています。
とくに秦の時代よりまえの文字については、語音(発音)も含めた考察をしないといけないということです。
『言』と『音』は、本文で書いているとおり秦以前にできた古い文字なので、その語音を調べて考えなければいけません。
足りないところがわかる、そして視野の広がるほんとうにありがたいご指摘をいただきました。
しゅくだいにして、また記事にしようと考えています。ありがとうございました。
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