ヒシミラクルに会ってきた 2
競走馬のふるさと日高案内所
岡田スタッドの見学を終え、セイコーマートでジンギスカン弁当を食べたのち(おいしかった)、競走馬のふるさと日高案内所に向かいました。車で10分ほどです。翌日に予定しているヒシミラクル見学のため、牧場の場所を聞きに行きました。
ヒシミラクルのいる牧場を、自分のケータイのマップアプリに表示してもらったのですが、「ちょっと航空写真にしてごらんよ」と職員さんに言われて画面を切り替えたら、「ホラ、この白いのがヒシミラクルだよ」と画面の1点を指差されました。
見ると緑の大地にハッキリと浮かぶ白い点が。微笑ましくて笑ってしまいました。
人気薄で3度もG1を勝った意外性の馬・ヒシミラクルが、航空写真に写り込み、それを案内の目印にされるというのが、とても「らしい」感じで、嬉しいエピソードでした。ここでその画像を載せたい気持ちはあるのですが、ヒシミラクルの写真は掲載が許可されていない上、引退名馬の牧場については案内所で教えてもらうべきですので、ここでその画像を載せることはしません。
新ひだか町役場
続いて新ひだか町役場に向かいました。お目当てはこれ。
タイトルホルダーの垂れ幕です。「聖地」に来た実感が沸きました。
次のビッグレッドファームまで時間が空いたので、役場の近隣を散歩していたら、こんな像を見つけました。
ウイニングチケットの像です。「藤原牧場の生産馬」と書いてあります。他にロイヤルタッチ、サクラユタカオー、サクラスターオーといったG1馬を輩出しています。ウイニングチケットには、次の日に会いに行きます。
さて、そろそろビッグレッドファームに向かいましょう。
ビッグレッドファーム
種牡馬ゴールドシップの繋養先で、2021年にはユーバーレーベンでオークスを制しました。マイネル軍団の総本山ですね。
こちらの牧場は見学は許されているものの、撮影自体が禁止されているので、馬の写真はありません。ご容赦ください。
ゴールドシップ
ビッグレッドファームの見どころは、やはりゴールドシップです。現役時代のトンデモエピソードに加え、ウマ娘効果もあってか、柵の周りには人だかりができて大人気でした。
本人は、牧草を食べたり、虻を尻尾で追ったり、うんこをしたりと、噂に聞く破天荒ぶりは鳴りを潜め、いたってマイペースに過ごしていました。さすがに現役を引いて年数が経っていることもあり、お腹まわりはでっぷりとして、「悠々自適」という言葉が自然に浮かびました。
ところで、こうして対面してみると、ゴルシの現役時代はちょうど競馬から離れていた時期ということもあり、意外と本物には思い入れが少ないことに気がつきました。有名人に会えて嬉しいけど、サインを貰うほどではないかな、という気持ちに近いでしょうか。このあと、忘れていた名馬と対面することになり、そんな気持ちを強くします。ごめんねゴルシ。
ベンバトル
ゴルシの隣の放牧地はロージズインメイとどこかで聞いていましたが、この日はベンバトルになっていました。
昨年まで現役バリバリで、今年からビッグレッドファームで種牡馬入りしただけあって、筋肉がしっかりと残っており、オーラという点ではゴルシより輝いて見えました。
ベンバトルはドバウィ産駒として、イギリスで1600から2000までの距離で結果を残したスピードあふれる馬です。ただ、その血統を見ると、持久力に優れるミルリーフのクロスがあり、豊かなスタミナを内包していてもおかしくありません。
ドバウィ産駒の種牡馬というと、日本ではすでにマクフィがいます。オールアットワンスがアイビスサマーダッシュを制したように、ある程度の成功を収めていますが、適性が短距離に出やすいようです。対してベンバトルは、自身の競争成績や血統から、中距離に対応できる産駒を出せそうです。
なんでこんなにベンバトルの話をしているかというと、長らく不受胎が続いていたメーヴェ(タイトルホルダーとメロディーレーンの母)が、今年ベンバトルの仔を受胎したと発表されたからです! ミルリーフのクロスが3本というレアな血統になります。将来、仮にクラブで募集されるようなら、ぜひ一口馬主になってみたい期待馬です。まずは無事に生まれてくることを祈ります。
ジョーカプチーノ
ベンバトルの隣はジョーカプチーノがいました。ゴルシ、ベンバトルより広く、木が1本植えられた立派な放牧地で、ゆったりと過ごしていました。
ダノンバラード
ダノンバラードにも会えました。自身はG1を勝てませんでしたが、日本→イタリア→イギリスと国をまたいでせわしない種牡馬生活を送っていたところ、日本に残した産駒を評価した故・岡田繫幸氏が、わざわざ買い戻すという異例の判断でビッグレッドファームにやってきました。
今年デビューの産駒が、買戻し後の初年度産駒となります。7/19時点ですでに3頭が中央で勝ち上がっており、競馬ファンには驚きをもって迎えられています。仕上がりが早く、日本の芝に向いたスピードを備え、コストパフォーマンスの高い種牡馬として、一定の地位を築くかもしれません。
ウインブライト
ウインブライトもいました。同じステイゴールド産駒だとゴールドシップも繋養されていますが、ウインブライトは母父がメジロマックイーンからアドマイヤコジーンに変わり、よりスピードが強調されました。実際、香港カップやクイーンエリザベス2世カップといった2000mのG1を勝っており、菊花賞や春天を勝ったゴルシと比べると、適性距離が中距離に寄っています。今年、初年度産駒が生まれたので、デビューは2年度です。
コスモバルク
見学コースの1番奥。森に面したひときわ大きく閑静な放牧地に、コスモバルクが静かにたたずんでいました。この日まですっかり忘れていましたが、道営所属で中央にチャレンジし、その話題性から一時代を築いた「道営のエース」です。
コスモバルクはキングカメハメハやダイワメジャーと同期になります。父ザグレブは2400mのアイリッシュダービーを勝ち、日本で種牡馬入りしたものの活躍馬を出せず、5年ほどでアイルランドに返されました。母父トウショウボーイは「天馬」と称されたほどの馬でしたが、コスモバルクが生まれた2001年当時ですら、すでに古めかしい血筋といえました。つまり、血統面で評価できる点というのは、コスモバルクにはまったくありませんでした。故・岡田繁幸氏は、彼を400万円で購入しました。
ちょうどそのころ、ホッカイドウ競馬では認定厩舎制度が設けられました。それまで競走馬は、決められた施設内で、有資格者が調教を施すというのが一般的でした。それを、外部の施設で、外部の人間が調教してレースに出すことを許可するのが、認定厩舎制度です。いわゆる外厩です。
安値で買われたものの、訓練ではいい動きをしていたコスモバルクは、このホッカイドウ競馬の認定厩舎制度第1号として登録されることになりました。つまり、普段は北海道にあるビッグレッドファームが調教を施し、中央のレースに出るときは、道営所属という建前上、一度は門別競馬場に輸送され、そこからレースのある競馬場近くの空港に空輸され、さらに陸路を運ばれて、やっとこさ本番を走るという段取りです。こうして、コスモバルクの数奇な競争人生が始まりました。
こうした知識は、今になって後付けで得たもので、コスモバルクを応援していた当時は、純粋に「地方から強い馬が出て来て、中央に挑戦している!」という、いわば第2のオグリキャップブームのようなワクワク感がありました(オグリキャップはリアルタイムでは見てませんが)。騎手も道営の五十嵐ジョッキーを主戦に据え、地方からの殴り込みというスタイルが徹底されていました。
そして、コスモバルクは期待以上に強い馬でした。ハードな輸送をものともせず、2歳暮れの重賞・ラジオたんぱ杯2歳S(現・ホープフルS)を勝ち、クラシック候補生として名を挙げました。破った相手には、ハイアーゲームやブラックタイドといった素質馬がいました。
重賞を勝ったので、中央所属であれば賞金順でクラシック出走はほぼ確定です。しかし当時、地方所属の馬は、賞金が足りていても、クラシックに出たければ、トライアルを戦って出走権を獲得しないといけませんでした。
そのため、皐月賞の出走権を得るべく、コスモバルクは弥生賞に出走します。しかし、いわゆる叩きではなく、出走権を取れるくらいにはしっかり仕上げをせざるを得ません。結果は1着。道営のエースの実力を、改めて知らしめることはできましたが、本気の仕上げと空輸ありの長距離輸送が、コスモバルクの競争能力にどこまで影響したでしょうか。
本番の皐月賞では1番人気に推されながら、ダイワメジャーの2着に終わりました。幸いダービーの出走権は得られたので、勇躍ダービーにも出走しますが、こちらは大王•キングカメハメハの背を遠くに見る8着に沈みました。その後、菊花賞4着、ジャパンカップ2着、有馬記念4着などの実績を残しますが、日本では最後までG1を勝つことができませんでした。
コスモバルクがクラシックを走った翌年には、ディープインパクトがナリタブライアン以来の三冠馬となり、日本中を巻き込んだ大ブームになります。ディープインパクトがもたらす熱狂の裏で、道営のエースは次第に忘れられていきました。自分も例外ではありませんでした。
最後にコスモバルクが脚光を浴びたのは、5歳の春にチャレンジしたシンガポールのG1です。シンガポール航空インターナショナルカップに出走し、道営を含む地方所属馬、地方所属騎手として、海外G1を始めて制覇しました。みんなどこかでコスモバルクのことを気にかけていたのでしょう。このときばかりは、祝福の声が色々なところから聞こえました。
シンガポールとはいえ、念願のG1を勝ったコスモバルクでしたが、北海道と本州を行き来する唯一の競争馬として、その後も現役を続けました。彼と走った馬を並べていきましょう。ダイワメジャー、キングカメハメハ、デルタブルース、ゼンノロブロイ、スイープトウショウ、ハーツクライ、ディープインパクト、メイショウサムソン、アドマイヤムーン、マツリダゴッホ、スクリーンヒーロー、ダイワスカーレット、ドリームジャーニー、カンパニー、ウォッカ。
そうそうたる名馬たちと肩を並べ、2ケタ着順が続いても最後まで走り抜き、コスモバルクは8歳まで現役を続けました。シンガポール航空インターナショナルカップを勝ってから、3年以上が経っていました。
サラブレッドというのは経済動物ですから、人の都合で走らされることについてあーだこーだ言うのは、競馬ファンとしてはマナー違反だと思っています。それを分かった上でも、コスモバルクの競争人生は、他の馬と比べて人為的なハンデを背負っていました。最初から中央に所属させておけば、無理な輸送や出走がなく、日本でG1のひとつやふたつくらいは勝ち、5歳の年末には引退して、種牡馬になっていたかもしれません。
そういうことを、すっかり忘れていました。手元のスマホでnetkeibaを開いてコスモバルクの馬柱を見たとき、48戦という戦歴に驚きました。そんなに走っていたのかと。そんなに走っていたのに、全然覚えていなかったのかと。
コスモバルクの実物を目にしたことで、すべてを思い出しました。「道営のエース」という触れ込みに乗って応援した自分。ディープインパクトフィーバーでそんなこともすっかり忘れた自分。8歳で引退したことすら知らなかった自分。ビッグレッドファームにはゴールドシップを見に来たのであって、コスモバルクはおまけと思っていた自分。すべてが間違っていました。
その日、コスモバルクはただ立っていただけでしたが、思ったより記憶と感情を揺さぶられる出会いとなりました。人間の思惑に翻弄されながら戦ったコスモバルク。今日という一日を穏やかに過ごす権利は、彼が自身の競争人生に勝利した証です。
コスモバルク、本当におつかれさまでした。
今回はここまで。続きます。次回はうらかわ優駿ビレッジAERUでチケゾーに会います!
(関連リンク)
ヒシミラクルに会ってきた 1
ヒシミラクルに会ってきた 2(今ココ)
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