選び決めるということと責任と
この2か月はわりと何もできていない。
身内の入院・手術が立て続けに起きてしまった、というのが実際のところなのだけれど今やっていることの整理がつかなくなってきているというところも大きいのかもしれない。
あまり細かく言うととんでもない量になるのでざっくりとだけ書き連ねると
・新規事業2件
・店舗運営
・トリマーとしての仕事
・BOKUMO.
・外部コンサル4件
・研究(論文書くだとか自分の勉強だとか)
ざっくりとするとこんな感じだ。
やっていることに対しての対価としてまだまだ予定の額に達していないというのも確かだし、研究に関してはお金が出ていくばかりで予定よりもお金が出て行きすぎていてちょっとびっくりしつつ実りに繋がっていない。実りに繋がるようなものであればいいのだけれど、残念ながらぼくの興味があるテーマと収入はどうやら繋がっていかないのだと思う。無理矢理つなげると多分、おかしな方向にいってしまいそうだから。
この数週間の間に「決めなければならないこと」というのがわりと多くあって、その中でも悩んだことがこの今書いている「note」をやめるか続けるかということだ。ぼくの個人的な研究にお金がさけているのはこのnoteで「有料マガジン」を購読してくれている方たちのおかげで、たまにいつもよりおいしいごはんが食べられるのは「サポート」のおかげだったりする。
その「貴重な収入源」を続けるか、やめるか。その選択を迫られる日がくるとは思っていなかった。(いつも応援してくれている方は本当にありがとうございます)
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知っている方はご存知だと思うのだけれどnoteを運営している企業「ピースオブケイク」が運営しているcakes(ケイクス)の連載記事で炎上騒動があった。
この内容は各自「炎上 cakes」などで調べてもらうといいとして、ぼくの中でこれはかなり難しい判断を強いられることになった。
以前からぼくはこのnoteを使っている理由としてnoteの思想に少なからず共感ができて、できるならここにもお金が落ちるようにしつつぼくの収益にもなればいいな。という想いがあった。
例えば記事の派手さや内容の「過激さで目立っている人」をより目立たせてしまって、目立たないけれどすごくいい文章を書く人が更に目立ちにくくなってしまうような「ランキング」を導入しないだったり、自分の書いた記事と同一ページに自分の思想とかけ離れたモノが掲載されてしまうような「広告がない」などはとても共感できる部分だった。
書く事があまり得意ではないぼくからすると、noteの公式から出されている思想に少なからず救われている部分もあって
ページビューを増やすことよりも、お金を稼ぐことよりも、あるいはフォロワーを集めることよりも、何よりも大事なこと。それは、楽しんで、発表し続けることです。
名文や超大作を仕上げようとして手が止まってしまうくらいなら、駄文でも短文でも悪ふざけでも、とにかく気軽に投稿しましょう。
短い文章、下手な文章、ラクガキ...、そういったものを恐れて手をとめる必要はありません。まずは、創作したいこと・伝えたいことを世に送り出す。表現力もファンも、あとから十分ついてきます。
創作活動でもっとも大事なこと。それは「創作を楽しみ続ける」「ずっと発表し続ける」こと。この2つを、頭のかたすみに置いておいてください。
この文章には何度も勇気をもらった。
ところが、だ。
今回の炎上に関しては少し・・・いや「かなり」憤りがある。
炎上した著者の文章は以前から拝読させていただいていて、考えさせられることもあり個人的には好きだったし、多分これからも好きだと思う。とはいえ今回は擁護できない。しかし著者に対してぼくが怒るというのも違うんじゃないかと、真に怒るべき相手は「cakesがあの文章を掲載OKとしてしまった判断」についてだと考えている。
ぼくはcakes・・・いや株式会社ピースオブケイクに何かを直接言えるような関係値ではないし、抗議する具体的な手段は3年続けている有料マガジンの更新を停止することだ。(毎月3万くらいはnoteにお支払いしているはずなので多少なりともダメージにはなるはずだ)
とはいえ、そのちっぽけな抗議と引き換えにぼくの月10万程度の収入もなくなる。これは死活問題だ。この「抗議」と「自分のダメージ」を考えたときにどう考えても釣り合わない。
釣り合わないけれどぼくはここで抗議をしなければいけない気がしていた。というかしようと思って有料月額マガジンの廃止の手続きのページを読んで「もうこのnoteも終わろう。終わったあとにどうやって研究費作ったらいんだろうなー。どこで書いていこうかなぁ。」なんて調べていた。
ビスケットなんてどうかなぁ・・・と具体策まで考えていた。ぼくの会社にはぼくの「思想」がかなり強く反映されている。ここに反するということは自分を裏切ることになったり、お客様を裏切ることにもつながってしまうと考えているので「会社としてどこに何を依頼してモノゴトを進めていくのか」という所まで考えている。(長くなるのでここでは省略します)
つまり今、この瞬間まで「noteの月額マガジンをやめる」ことはぼくの中で確定していたのだ。
さて、そんなときにぼくがnoteで初期の初期から今現在でも影響を受けている塩谷舞さんがnoteを書きなぐってくださった。有料なので気になる方は課金してみてください。
で、有料部分について触れることはぼくからはしないのだけれど
このツイートにひどく共感した。というかしてしまった。
今回のcakes炎上には絶望した。絶望したのだけれど、その中でやはり今までnoteが築いてきたことは揺るがないし応援もしたい。そしてそれを中にいる人たちも改善に向けて努力しようとしている姿勢も見えた。外からユーザーとして声を上げつづけるということも重要だということにも気づけた。
研究費がなくなるけど仕方ないな。もうパキっと関係を絶とう。と考えていた。でも、もう少しこの月額マガジンを続けてみようと思いました。
この絶望は、期待との裏返しなのだと。
本当に何かを変えるためには完全に外のヒトではなく意見ができる程度に片足をつっこんでる「外の人間」として存在していないといけないのだな・・・と。
誰かが言った「自分は変えられるが他人は変えられない」という言葉。これはある種のあきらめであり、向き合う意志がないときに使う言葉だ。
自分がかわらずに、他人を変えるということが必ず必要な場面はいくらでもある。もっと言えば自分も他人も変わるといいな。といいう場面だ。
そういった場面が必ず「ある」にも関わらず常に他人をどうにかしようとせず「自分が変わればいい」という自責は思考の停止であって進歩ではない。
他責にしてじゃあ文句だけいってろというのか、というのも違う。これは「自分かもう一人か」が変われという暴論ではなく「ぼく」と「あなた」の二者間でどう折り合いをつけるか。という話しが「進歩」たりえるのだと思う。
とはいえ、もう関わる気がないのであれば「話しあい」や「歩み寄り」など必要ないのだろう。
完全に関係を絶つヒトや企業、文句を言いながらも付き合うヒトや企業。
理想論なのだけど、完全に体重を預けられるヒトや企業が少しでも増えると嬉しいです。
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