「優しい」が「優しい」ではなくなるとき
優しいを辞書で調べてみると
1 姿・ようすなどが優美である。上品で美しい。
2 他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。
3 性質がすなおでしとやかである。穏和で、好ましい感じである。
4 悪い影響を与えない。刺激が少ない。
5 身がやせ細るような思いである。ひけめを感じる。恥ずかしい。
6 控え目に振る舞い、つつましやかである。
7 殊勝である。けなげである。りっぱである。
と出てくる。
ぼくの肌感覚で言えば「他人に対して思いやりがあり、情がこまやかである。」という意味合いで使われることが多い気がしている。
様々な情報に触れ合う中で「優しい」という言葉の定義が自分の中であいまいになってきたので今一度見つめなおしてみる。
「優しい」が「優しい」であるとき
これは言い換えると「自分で自分のことを優しいと思った」「そしてそれを他人が認めたとき」となるだろう。
例えば目の前を歩いている知らないおばあ様がハンカチを落としたとしよう。それを拾ってお渡ししたとする。
ああ、今わたしは優しいことをした。
多くの人はこう思うのではないだろうか。ぼくもそう思う。このときおばあ様は「ありがとう」と言ってくれるはずだ。そのハンカチがお孫さんからのプレゼントかもしれないし、ご自身で購入されたものかもしれない。
ハンカチのもっている背景によって、おばあ様の「ありがとう」に大小はあるだろうが機嫌を損ねるようなことはないのだろうと思う。そのおばあ様がわざとハンカチを捨てたというわけでなければ。
自分に優しい
これは近年よく見るもので「自分をいたわりましょう」とか「自分にご褒美を」というものがあると思う。
自分の優しさの判断で自分が優しいと判定する。
これは他人の介在する余地がなく、自分の中で発生し完結するので他人がとやかく言う隙間はひとつもない。
「優しい」が「優しい」として存在できないとき
これは言い換えると「自分で自分を優しいと思った」「しかし他人がそれを優しいと認めなかったとき」となるだろう。
これはぼくが小学生のときに両親を見ていて感じたことなのだけれど「優しい」が優しいこととして存在を許されない場面が何度かあった。
単身赴任をしていた父親は週末にしか家にいなかったのだけれど、母親が外出していた週末のある日、おもむろに家の中を片付けはじめたのでぼくも手伝いをしたことがあった。
父親もぼくもキレイになった部屋を見て母親はきっと喜んでくれる、絶対に感謝の言葉が出るはずだと思っていた。
このときのぼくの心理としては「ぼくはいいことをした。こういうことをするのがやさしいにちがいない。」と考えていた。
母がかえってきた。部屋を見てなんていうだろう・・・なんてドキドキしていたのだけれど帰宅後の第一声は「なんでこんなことしたの!」だった。
当時のぼくには理解が難しいことではあったのだけれど、今になって思えば母親の心理も理解ができる。
この場合に考えられるのは「置いてあったものが別の場所に移動してしまって具合が悪くなった」ということだろう。
父親もぼくも悪気はない、むしろいいことをしたと考えていたけれど母親からすると「よくも余計なことをしてくれたな手間増やしやがって殺すぞ」ということだったらしい。
こういう独断的な優しさはときに余計なお世話となって「やらなければよかった」という後悔になって重くのしかかってくる。
母親は口にはしなかったがさらに推しはかると、普段家のことを何もしない父親が母親のいないあいだに家の中を片付ける行為そのものが母親にとっては「当てつけ」のように感じたのかもしれない。
「自分から見て優しい」と「他人から見て優しい」が交差する点を目指す
これはとても難しい。自分から見て優しいがAさんにとって優しかったとしても、Bさんにとっては優しくない可能性があるからだ。
つまるところ全ての他人にとって「優しい」というのは現実的にはとても難しいのではないかと思う。これを読んでいるきみも実感としてあるのではないだろうか。
例えば仕事の場合だとユーザーに優しいということと、スタッフにとって優しいということが対立してしまったり。スタッフにとって優しいというものが経営者にとっては難題となることもあるだろう。
仕事をしていく上で関わってくるすべてに「優しく」というのは実現不可能だと断言してもいい。なにかにとっての優しいはなにかにとって優しくない。
経営者の判断は「誰にとって優しくない方法をとるか」を選択することともいえる。それを意識して選択するのか、意識せずに選択するのかで結果が変わってくることは言うまでもないだろう。
「誰にとっての優しさを選択するのか」
「その優しさは誰を傷つけるのか」
「傷つけた誰かを救済する措置はあるのか」
誰かにとっての優しいを決断をする。ということはとても残酷で誰かを傷つけながら進まなければいけないのだと思う。
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