
【symposium】(Part.16)「クバへ/クバから」_第1回座談会(レクチャー1)上演記録「三野新の作歴とプロジェクト全体の基本構想をめぐって」
(Part.15はこちら)
圧縮すると真実になる
h 最後にごめんなさい。三野さんの制作の方法についてもう少し話しておきたいなと思っています。三野さんの制作物を見せてもらって、やはり「身振り」をめぐる考え方がすごく印象に残りました。身体性が重要だということは最初にご自身でもおっしゃっていましたけど、やはりそれが作品に強く出ているなと。『Z/G』では、ゾンビはこう、幽霊はこう、というように、身振りにキャラクター性を見ている。その根底にあるのは、身振りこそがキャラクター、役割、ひいては存在を形作っている、という認識なのかなと。そこがすごくおもしろいところだなと思っています。しかも、そうした身振りの重要視が、指示書にもつながっていき、活用されていくわけですよね。
例えば観客という役割を設定するときに、「観客はこうしてください、そうすればあなたは観客です」と、役割を身振りで規定する。身振りって、別にわざわざ制作者側が指示しなくても観客が偶然こちらの望んでいた身振りを行うかもしれないわけですが、でも(完全強制ではないものの)「来たらこれをやってね」とあえて明示する。自然にとられる身振りから役割があとで発見されるというのではなく、先に身振りが決められていて、それをやりさえすれば役割がもらえる、っていうのが、すごく興味深いです。
それから「Prepared for Film」シリーズの説明の時に、おおーっと思うことがありました。『「Prepared for FILM」を机上で再演する』は、すでに上演した作品を数年後にミニチュア的にもう一度再現するわけですよね。当然、初演での、実際の身体を使って行なった上演と、指を演者に見立てて行なった再演では、変わったことと変わらなかったことがある。それについての説明の時に三野さんが、「圧縮して行くと真実になっていくんだ」っていう風に言ったと思うんですが、その一言で、すごく腑に落ちたんです。キャラクターを設定するとか、役柄をつけるっていうことが、ある意味三野さんの中では、「これをするとこれになる」という……例えばさっきの猫の写真の話、「これは猫に見えるから猫です」みたいなのと同じで、「この身振りをしているからこれはこうなんだ」っていうところと繋がっていて、しかもそれが役柄という、三野さんが指示書などを通してもずっと考えてきた、そして今回のプロジェクトでもワークショップなどを通してやりたいとおっしゃっていることとも繋がるんだな、と。
まあ、ただおもしろい、って話なんですけど(笑)。でも私は、なにかそこにあるんじゃないかな、とすごく思ったんです。例えば、さっきの暴力性の話とも繋がるようななにかだという気もする。それがなんなのかというのは、まだ詳しくかんがえられていないのですが、突き詰めていきたいな、一緒に私も考えていきたいなと強く感じました。
三野 hさんの言ってくださる通りだなって思っています。
h そしてそこが、三野さんの抱えている問いともすごくつながっているんだな、と。例えば歌舞伎町で『「息」をし続けている』をやる、投身自殺で亡くなった人はもう息をしてないわけですけどその人達と同じ地面で、落ちた時の格好、身振りを再現する。そうすると、やっぱりなにかが圧縮されて、真実になっていく。そういうサイクルがあるんだなって。そして、それって変だよな、って。
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三野新・いぬのせなか座写真/演劇プロジェクトアーカイヴ
写真家・舞台作家の三野新と、いぬのせなか座による、沖縄の風景のイメージをモチーフとした写真集を共同制作するプロジェクト「クバへ/クバから」…
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