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昔の友達に会うとさみしくなるって話

以前、高校時代の部活の友人たちとディズニーに行きました。高校の頃、卒業旅行はみんなでディズニー行きたいねって話していたのですが、例の流行病のせいで断念したので、行けてとっても嬉しかったです。
乗りたかった乗り物には一通り乗れたように記憶しています。わたしはソアリンがいちばん好きでした。あとシリキ・ウトゥンドゥが怖かったです。

それはさておき

成人式の同窓会でもそうだったけれど、高校のともだちに会うと、(もちろんすごく楽しいんだけど)なんだかさみしくなってしまいます。

みんな高校を卒業して、それぞれの新しい道に進んで、大学、部活、サークル、アルバイト、友人関係、恋愛などなどで新しい居場所を見つけて、成長して、みんなすこし大人になっていて、わたしが知っていたころのみんなとは違う。きっとわたし自身もみんなからしたらあの頃のわたしとは違って見えるんだろうけど、なんか、みんながわたしの知っているみんなとは違うということがものすごくさみしくて、帰りの新幹線で泣きたいような気持ちになってしまいました。
毎日のように部活の練習をして、部活のあとはコンビニの前とかマックとかでたくさんおしゃべりして、いつも一緒にいたのに!って。

例えて言うなら、幼いころの夏休み明け、終業式ぶりの同級生とお互いこんがり日焼けした姿で顔を合わせたときの気持ちみたいな感じでしょうか。
海に行ったのか、山にいたのか、それとも公園を走り回っていたのか。自分の知らないところで相手が過ごした夏の思い出話を楽しく聞きながらも、相手に自分とちがう夏があったことにちょっと切なくなるような。

例え話でわかりやすくなったのかややこしくなったのかはちょっとわかりませんが、

とにかく、さみしかったんです!!(じたばた)

自分とは別の道に進んでいった友人とたまに顔を合わせたときに「あれ?」ってなる感覚を知ってしまったから、こういうふうに思うのかもしれません。あのころはすごく仲が良くて気が合ったはずなのに、なんだか話が弾まない。帰り道、素直に「楽しかったなー!」となれない。そういう違和感。
つい最近までずっと一緒で大好きだった友達にもそんなふうになっちゃうかもしれない、そう思ってひんやりとした気持ちになってしまうんです。

でも、友達が今どんなことに興味を持ってなにをしているのかを聞いたり、近況報告をし合うのは楽しいですし、違う道でがんばる友人の姿に励まされることもあります。


いつまでもあのころのままではいられないということ、それは喜ばしくもあり、さみしいことでもある。
これまでは、卒業のようなお別れがさみしいとされているのは単純に会えなくなるからってことなのかな、と思ってたんですけど、それだけじゃないのかもしれませんね。


願わくば、これからもお互いの「夏」の思い出話を楽しくできますように。


これを読んでくださったみなさんも、それぞれの素敵な夏をお過ごしくださいね。では🍉

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