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私に巣食っていた自己責任論を夫が溶かしてくれた話

この文章は、NTTコミュニケーションズが提供するオンラインワークスペース「NeWork」がnoteで開催する
「#あの会話をきっかけに」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。


「まあでも、ホームレスの人に自己責任の部分もあったりしないの?」
「絶対に違う。それは絶対違う。時代や構造に締め出された人がいるんだよ」

10年近く前、まだ結婚する前の私と夫つるちゃんの会話だ。私が自己責任論を語り、夫が否定する。いつもニコニコ私の話を聞いてくれて、私に向かって怒ったことも一度もなかった、そんな夫が初めて静かに怒った会話である。


この会話をするまで、私にはどこか自己責任論的な価値観があった。20歳から難病の母親を介護していたのに何故?と思うが、単純に当時ネオリベラル的な考えが流行っていたことと、周りの大人の話していることをそのまま鵜呑みにしていたからだろう。結局その価値観は「自宅介護を選んだのは自分だし、介護辛いとか言っちゃダメでしょ」と私を苦しめていた。そして私は「介護をしている」と言わずに「ニート」と名乗る。「へへへ、仕事もせずに親のすねかじって生きてるんです〜」なんて言ってたし書いていた。仕事がないことは、自宅介護を選んだ自分の自己責任だと思っていたからだ。めちゃくちゃな論理であるが、自己責任論吹き荒れる社会の空気というのは人をそういう気持ちにさせる。


20代を一言でまとめるなら「自虐の10年」であり、その自虐はどこからきたのかと言うと「お前自分で稼いでないんだろう? それどうなの」と周りに攻撃される前の過剰防衛だった。恐ろしいのは、自分に向けた自己責任論を他者にまで向け始めることだ。過剰な自虐を美徳と勘違いし、他者にもそれを求める。他者の事情も知らず、調べずに、断定する。


その感覚は30歳になってもしぶとく残っていたが、夫と出会い、柔らかく、けれど急速に溶けていった。それが本来の意味の「癒し」だったんじゃないだろうかと思う。


夫つるちゃんとの出会いは、私のイベント登壇時に共通の友人を通して挨拶をしたところから。当初は「腰の低い人だな」という印象ぐらい。そのままTwitterで相互フォローになると共通の友人がたくさんいることが発覚した。みんなでご飯に行き、つるちゃんと打ち解ける。「この人と話しているとちっとも傷つかないな」と心地よさを感じたので、友人としてちょこちょこ遊ぶようになった。仕事の相談をしたり、友達の結婚式に行った帰り「やばい私一生孤独かもしれない」なんて気持ちも打ち明けた。彼も彼で自虐するし「自分にあまり価値はない」と思っている感じが伝わってきて「めっちゃ才能あるよ! もっと自分が前に出る仕事しなよ!」と私が言うこともあった。


いつしかつるちゃんのニコーッとした笑顔を思い出すことが増え出した。これまで友達だった人を好きになったことがなかったので、びっくりしたけど、それは成長だったんだろう。自分にないものや刺激を痛烈に求める、特別じゃない自分に満足がいってないからこそする恋ではなく、心地よさで充足されていく恋がとうとうできるようになったのだ。


それでも、未熟な私は最初優しい彼にわがまま言い放題だった。これまでずっと介護で封印していた、女児のような気持ちをぶつける。10日間仙台で介護をして、東京に戻ってくる日はホームまで迎えにきてもらった。自分のことを下の名前で呼ぶようになった。家で一緒にいる間はとにかく甘えっぱなしだった。理不尽に怒ることもある。子どもの頃、元気だったお母さんが台所に立っているところにぎゅーっとくっついて、「も〜それじゃ料理できひんで」と優しく嗜めてもらうという、私が大好きだったやつも気がつけばやっていた。


「大好きなお母さんが寝たきりになっちゃった、悲しい」という気持ちは、介護をしている中だと向き合う時間すらない。悲しみに蓋をして忙しく走り回るしかできない。その蓋が少しずつつるちゃんの手で開かれ、暖かく抱きしめられていた。


そんな優しさの塊みたいなつるちゃんが初めて静かに怒ったのが冒頭のやりとりだったのだ。彼は大学でホームレスの方々の研究もしていたので、高度経済成長の中、物のように消費された人たちの話や、セーフティネットに空いた穴のこと、どこかに、不公平にしんどいことが降りかかってしまう構造のこと、人にはどうしようもないことが降りかかることがあると丁寧に教えてくれた。

私自身「母の難病」というどうしようもできないことにぶつかっていたのに、説明してもらうまでわかっていなかったのだ。彼に違う立場の誰かを思い、怒ることができるまっとうさを感じた。怒らないことは優しいこととは違うのだ。これまでは自分と違う人の意見を素直に聞くことができなかったが、この時初めて素直に「私が間違っている」と認めるに至った。


そこから私は変わっていったと思う。自分の思想に芯が一つ通ったと感じる。何かを考えるときは、丁寧に状況を調べ、想像力を働かせる。自己責任論はゴミ箱に捨てた。勾配のある世の中で、安全地帯から「それはあなたの責任でしょ」なんて言うのはあまりにも愚かで、それこそはだかの王様だ。そして変わることは、過去の自分の言動にとにかく反省する日々の始まりでもある。反省しないまま突き進んでしまった自分を想像すると、その姿はあまりにもグロテスクで、1秒でも早くその道から走って逃げなければいけない。逃げる道は、知ることと反省することで生まれていった。「自分が人を傷つけてきたかもしれない」そう思うことは本人にとってもしんどいが、傷つけられた人の方が何万倍としんどいのだ。


つるちゃんにわがまま放題して負担をかけすぎるのは良くないと、初めて自分を変えようともした。カウンセリングに行き、自分の甘えたい気持ちを優しい形で発露できるように心がけるようになった。彼も彼で「自分を責めすぎない」ことに向き合ってくれた。お互い、完璧な人間じゃない。彼も10年前はホモソーシャル的な発言をして、私が怒ることもあった。会話をしながら、たくさんコミュニケーションを取りながら、一緒に変わっていったのだ。


一緒に変わった先は随分と生きやすくて、一緒にいるだけで愛が止まらない。「つるちゃんが生きている」だけで感動する。愛がとまらないから、くっついてしまうのは良しとしている。多分、60になっても80になっても、つるちゃんの姿を見かけたら、後ろからくっついてはうざがられるんだろう。

そしてその頃は「またひどい自己責任論が出てきたよ」なんて二人で怒らなくていい社会がいい。その頃、というか今すぐだ。そのためにも、今一緒に彼と怒っているのだ。

 #あの会話をきっかけに
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