桜がだらだら咲くようになってしまったら、私たちがそこにのせていた気持ちはどこへ行くのだろう?
俳句を詠むようになって、季語を知るようになって、自然にはただそこにある姿だけでなく、その景色を一皮剥けば、膨大な人々の感情を内包しているのだなと思うようになった。
この原稿を書いている今は4月で春、花の季節である。これまでも桜が咲く姿には多幸感のようなものを感じていたけれど、「桜蕊降る」という季語を知ってからは桜の花びらが散ったあと、しばらくした後に小さな蕊がこぼれるように降る時期があることを知り、その姿からは春がそろそろ終わる静かで儚い気持ちを感じ取るようになった。
季語を通して、自分と自然がリンクし、自然が少しずつ自分ごとになってゆく感覚。散歩をするだけで、たくさんの感情に出会えることは、なんだかこの世に祝福されているような、くすぐったい喜びがある。曇りの憂鬱な気持ちも、花曇りであると思えば、その憂鬱は美しさを伴うようになる。こういったギフトのような感覚は夏井いつき先生に教えてもらった。
夏井先生の俳句の授業が見られるということで、うきうきしながら「俳句×SDGsの未来教室」を見る。生徒たちが季語について、「手触り、匂い、目、音、連想、味」の六つの感覚をもとにグラフにしてゆく。白シャツがお題の時に「味」の値を高くした生徒は「汗でしょっぱいから」と答えている。白シャツを「味覚」で捉えたことがなかったけれど、これから白シャツを見ると「しょっぱい」と思うようになるんだろう。
しかし、この番組は俳句や季語の授業だけでは終わらない。SDGsに詳しい南さんが、古来から愛されてきた日本の季語が、環境破壊や温暖化などの影響でその意味がずれてきてしまうことを解説してくれるのだ。例えば、温暖化の影響により桜がダラダラ咲いてしまうようになるかもしれないそうだ。桜といえば散る姿の美しさが私たちの心を動かすのに。その姿に乗せた感情たちの行き場もなくなってしまう。けれどもただ脅すだけではない。「じゃあ、どうすれば良いのか」「どういう方法で回復しているのか」まで提示してくれる。ここがすごく大切なところだ。
まずは、私たちに季語を通して季節や自然、身の回りのものを6感を使って味わい、知ることを教える。次に、その豊かさはこのまま行くと持続可能ではなくなってしまう現状を伝える。それをふまえた上で、その季語が使われている俳句を見せ、俳句の意味がぐっと変わってしまうことを考えさせる。最後に、私たちの行動でそれらを持続可能なものに戻すことができるというメッセージを伝える。
とても丁寧に番組が構成されていると感じる。俳句の持つ力を信頼しているからこそ、この構成になるんだろう。私自身、SDGsに対して興味関心を持って本を読んだり、学んだりしていたけれど、これらの問題をどう自分ごととして捉えるか、という点にとても苦戦していた。だからこそ俳句という自然環境が自分ごととなる文化を通して、SDGsを知るという方法になるほど!と膝を打ったのだ。娘にも見せたいと思っている。自分の住む世界の美しさを、それを守りたいという気持ちが自分ごととして芽生えるように思うからだ。
最後に、SDGsには「ジェンダー平等を実現しよう」という項目がある。多くのテレビ番組では、まだまだ「男性の先生が、無知という設定の女性に教える」という構図が多く見られ、そこに悪意がなくとも「偉いのは男性である」という刷り込みが発生してしまう。けれどもこの番組の先生は女性である。全ての先生が女性である必要はない。けれども、教える側の性別のバランスが是正されてゆくことも、ジェンダー平等を実現する中の一つのアクションであると私は思っている。そういった意味でも、この番組は本当によく考えられて作られていると感じるのだ。
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俳句×SDGsの未来教室は4月28日 MBSにてお昼の0時54分から放送されます