犬山紙子→シトウレイ 往復書簡VOL6
親愛なるレイさま
先日はあえて嬉しかった!
私の中でお洒落な人とは?
の答えがふわっとしてて、言語化できていなかったけれどレイさんが言ってた
自分で自分のファッションにケツを持ってるかどうか。
というのがビシビシ響いてる。
前回レイさんがファッションに正解はない
ということは、自分の好きなファッションをするのが正解
とバシッと言い切ってくれて、まずとても楽になったのだけど
そこからさらにファッションを楽しむためには自分の着ている服にケツを持つというステップが必要なんだなって。
私は自分の文章にケツを持ちたいし持つつもりでやってきたけど、同じく大好きなファッションも表現なんだものね。
文章もフワッと、寿司食いてえとか、気持ちをただつぶやくみたいな、そこまでケツ持つつもりない力を抜く時もあればファッションも力を抜く時もあって良くて
でもここぞ!
って時はケツを持つというのを1つ心に秘めとくと
好きだから着ている
から更に
好きだからかっこよく着ている
に変わる気がしたよ。
ケツを持つというのは、他人のせいにしないということ。
大好きな服を着て、例えばそれが奇抜だった時に、周りからジロジロ見られたりする。
その時に
「あああ〜こんな服普段着てるわけじゃなくて、いやいや、私も抜け感とかそーゆーのわかってるんだよ!?普段は?ラフだよ?でもこのブランドの過剰な感じお店で見た時はカッコよかったんだよ?ああこの服着るんじゃなかった」
って服のせいにしたり言い訳したり(大好きなブランドや文化否定しちゃったり)
「っていうかこの良さわからないでジロジロ見る君達なんなの?」
って被害妄想爆発させるのではなく
「奇抜だから目に入るよね。あ〜好きな服を着て気持ちいい!表現なんだから、いくらでも見てって見てって〜」くらい思える感じ。
その感じになるにはその服を愛し、その服の魅力を自分なりに解釈できていることが必要なのかもしれないですね。
別に奇抜じゃなくとも。
もちろん、コーディネート失敗!って時は帰りたくなっちゃうけどそれは人のせいにしてないからオーケー。
失敗重ねないとカッコいい着こなしもなかなか難しいですものね。
ケツ持てるかっこいい女になりたいものです。
んで、最近の悩みはダウンコート。 加齢とともに寒さがこたえるようになってきました。
寒いと肩と腰痛くなるんだもん、軽くて暖かいダウンしか着たくない!って思う
でも正直ダウンの形状が好きじゃない泣
自分なりにスーパーオーバーサイズのダウンにぴたっとしたタイトスカート合わさるとかコーディネートでどうにかしようとかしてるけど、ウキウキはしない泣
でもあったかいし軽いし最高だからもう手放せない。
あまり見た目を愛せないけれども性能を愛する服とどのように付き合えば良いのか。
ダウンの可愛さにもしかしたら気がつけるようになるのか、、、?
レイさん助けて!
犬山紙子