【自問自答ファッション】フェミニン派だけどDiorを遠巻きにしていたわたしのこと
2023年5月、自問自答ファッション教室において、講師のあきやあさみさんから
「10年後にもうひとつブランドバッグを買うとしたら何がいいですか?」
と聞かれたわたしは、予想外の質問に驚きつつも、数秒の思考の後「レディディオールがいいです……!」と答えていました。
もう一つ、というのは既にわたしは演歌バッグとしてCHANELのバッグを持っていたため。
予想外、というのはCHANELを買ったのだから今後バッグについては社会科見学を兼ねた試着をするくらいでいいかな、と思っていたためです。
勝手にバッグ戦線から退いた気でいたため、ぽろりと口からこぼれた答えに「わたし……レディディオールが欲しいんだ!?」と自分自身に驚いてしまったのでした。
だけど「CHANELがあるのでまだ今の時点では考えられません」って答えたって良かったのにそうはしなかったんだもの、口をついて出た答えにきっと意味があるはず。
掘ってみるしかないな、そう思って、このnoteを書いています。
CHANELは憧れ
「自立した意思の強い女性になりたい」という願いを込めて買ったCHANELは、身につけると背筋が伸びる、とっても素敵なバッグです。
「憧れ」と「なりたい」を込めた、ちょっと背伸びした自己紹介。
北極星のようなCHANELの他にもうひとつ、自問自答ファッション教室で見つけたわたしを表す自己紹介バッグが欲しいな、と思いました。
教室で見つけた自分の姿
教室のワークで作ったコンセプトは「愛情深くて凛としていて華やかな、人の心に引っかかるイラストレーターさん」。そして「人を助けたい」「優しくありたい」という願望を持っていたことも明らかになりました。
…………?
わたしってそんなにLOVEに満ちた人間だったのか……!?
わたしの自分自身へ対する評価は「自己中心的」「思いやりに欠けている」でした。
だからものすごくびっくりしたのです。
どうしてそんな自己評価を持っていたのか、考えると行き当たる出来事がありました。
過去にわたしを蛇蝎のごとく嫌っていた人から言われた「本当に他人への思いやりがないよね」「自分勝手だよね」という言葉。
こ、これ〜〜〜!!!
一緒に働いていた当時わたしは20代半ば、彼女は50歳くらい。親子ほど歳の離れたわたしからの挨拶を、いつでもどこでも無視するような人でした。
いくらわたしのことが嫌いだからってそれは無い!!
社会経験の少なかったわたしは、人生の先輩が言うならそうに違いない……😢と素直に受け取ってしまっていたのでした。
こんな失礼な人間からの評価なんて、どうしてそんなしょうもないもの何年も大事に持っていたの〜!ペッしなさい!ペッ!
(本当は下書きの段階で彼女にされた仕打ちへの恨みつらみを1000字近く書き連ねていたのですが、吐き出すことによってかなりスッキリできちゃったので消しました。アウトプット大事!)
失礼な人の評価は信用に値しないので捨ててしまって、素直に「愛情深くて凛としていて華やかな」人を目指してゆきたいね。
どんな人になりたいの
教室でお話しした「どんなふうに優しくなりたいのか」のエピソードがあります。
山手線に乗っていたある日のこと。
緊急停止のアナウンスと共に急ブレーキがかかり「近くの吊り革や手すりにお掴まりください」という放送が流れたのですが、車内は混雑しており、近くの吊り革はすべて埋まってしまっている状態。手すりも周囲になく、わたしはよろめいて転びそうになってしまいました。
すると近くにいた見ず知らずの女性が手を差し伸べてくれたんです。
なんて優しい人なの……!
こうやって咄嗟に他人を助けることができるのは、普段から彼女がそうしているからに他なりません。わたしはきっと、嫌がられないかな?余計なお世話じゃないかな?と躊躇してしまう。
おれは弱い……っ!
こういう場面に遭遇すると助けてくださった方が神様みたいに見えてしまうのですが、神様じゃなくてその場に居合わせただけの普通の人が、自分のリソースを割いて助けてくれているんですよね。
これこそまことの愛だなぁ、こんなふうに強く優しくなりたいなぁと思い出すたびに涙ぐんでしまうのでした。
(わたしの涙腺はよわよわなので教室でも涙ぐみました)
こんなふうに「強くて」「優しくて」「愛情深い」「凛としていて」「華やかな」人になって、わたしはこんな人間ですと自己紹介できるバッグが欲しい!
Diorを敬遠するフェミニン派わたくし
先述のCHANELのウォレットを買う際にいろいろなブランドを見て回りましたが、実は Diorへ試着に行くことはありませんでした。
当時の日記を見ると「 Diorは多分わたしのじゃないし試着はいいかな…」と書かれています。
いま、Twitterアカウントではしょっちゅう話題に出しているにも関わらず!
どうして遠巻きにしていたのか、掘り起こしてみると
Diorの特徴である華やかなフェミニンさ
創設者のムッシュ・ディオールが男性であること
バージャケットなどに代表される、ウエストのくびれを強調した、誰が見ても女性を女性らしく美しく見せるデザイン
これらの要素から「 Diorの作り出す女性らしさは男性の目線によるものである」というイメージを自分の中に作り上げていたのでした。
決してムッシュ・ディオールやディレクターの方々が悪いわけではないんです。
わたしが家父長制やジェンダー規範にうんざりしているせいなんです。
わたしは優しく大人しそうな見た目に生まれました。性格も、外見との大きな乖離は無いと思っています。
幼い頃から憧れは「きれいなお姉さん」。長く伸ばした髪やフレアスカート、繊細な白いレースのブラウスが好きでした。部屋に花を飾るのも、料理やお菓子を作るのも好き。
でも、好きな服を着て自分らしく振る舞っているとかけられる「良いお嫁さん/お母さんになりそう」「彼氏でもできた?」といった言葉は大嫌いでした。
わたしは着たい服を着てやりたいことをしているだけなのに、どうしてそれを存在しないオットやカレシのためのものだと解釈されちゃうのかな!?
わたしのわたしらしい振る舞いが、男性に、ひいては家父長制に従順な女性かのように受け取られるのってすっごく嫌!!
教室のコンセプト決めワークで、「女性らしい」「セクシー」「コンサバ」のワードに対してはポジティブな反応をしたにもかかわらず「モテ」は迷わず「違和感」ボックスに入れたのも、ここに由来しています。
わたしはただ優しそうな見た目に生まれて、ただ好きだからいわゆる"女性らしい"格好をしているだけであって、決して家父長制に従順な女ではないぞ。男性にモテるため、ヨメ候補として評価されるためにスカートを履いているんじゃないぞ。
そんな思いがありました。
(わたしの服装や振る舞いもジェンダー規範とまったくの無関係ではないと思いますが、ややこしくなるのでここでは避けておきます)
好きな世界観であるにも関わらず、Diorに対して無意識に
「う〜〜んわたし向きじゃないかな……」
と思ってしまっていたのは、こんなふうに「女性を男性の従属物とみなす」風潮への嫌悪を「男性が創立した、"女性らしい"美しさを生み出すDior」へスライドさせてしまっていたせいでした。
CHANELについては、ココ・シャネル自身が「自立した意志の強い女性」だという前提知識があったためにどれだけ「女性らしい」服飾品を作っていても抵抗がなかったんじゃないかな。
ファッションビルや百貨店に入っているフェミニン系ブランドについては創設者やデザイナーのことを知らないまま買っていられたけれど、世界的なラグジュアリーブランドであるDiorは、その規模の大きさから意識せずとも中途半端に知識が入ってきてしまう。そのためにこんなことになってしまったと……
Diorと和解せよ
抵抗が薄れるきっかけは、2022年12月から2023年5月にかけて開催された展覧会「クリスチャン・ディオール 夢のクチュリエ」でした。
あきやさんやガールズの皆さんが行っているのを見て「なんだかすごそうな展示だ……!」とチケットを取り。
予習として映画「Diorと私」を観て、ものづくりをする人たちのひたむきさと愛に号泣し。
「ミセス・ハリス パリへ行く」では、お金持ちじゃないただの労働者だっていい、見ているだけでときめくような、そんな素敵なドレスを自分のものにしたいと望んでいいんだ……!とまた号泣し。
そして迎えたDior展では、美しいドレスやトワルに圧倒され何時間も滞在し。
これらのコンテンツに触れている間、「モテ」も「男性受け」もましてや「女性規範の押し付け」も、まったく頭をよぎることはありませんでした。
ただただ美しくて精巧でひたむきで、76年の歴史と伝統を持ったDiorの物語の一端を見せてもらえたことに感動していました。
ぼんやりとしか知らない状態で敬遠しちゃって、もったいなかったな。
だってわたしに対して無邪気にジェンダー規範や家父長制を当てはめてきたのは、Diorではなかったのに。
こんな簡単なこと、なんでわからなかったんだろうね。
春原その、Diorへ行く
Dior展に感動した勢いで、初めて店舗に行くことにしました。
ここで試着したのがDiorで一番有名なバッグ(だと思っている)レディディオールでした。
バッグを持った姿を鏡で見て、あっと思いました。
これ、わたしのでは?
今まで感じていた抵抗を忘れてしまうくらいバッグと自分自身が調和していました。パズルのピースが綺麗にはまったような、自分と周囲がぱっと明るくなるような感じです。
直前まで「このチャームがブランド主張してるな〜無い方が好きかも」なんて思っていたくせに、バッグを手に持った瞬間、揺れたチャームが「しゃらん」と美しい音を立てたのを聞いてすぐさま手のひらを返すわたし。
チャームはムッシュ・ディオールが常にポケットに入れていたお守りが由来であること。
彼は不安になるとポケットの中のお守りを鳴らして心を落ち着けていたこと。
ムッシュ・ディオールのラッキーナンバーである「8」が隠されていること。
店員さんは次から次へと、バッグに込められたDiorの物語を語ってくれます。カナージュやダイアナ元妃とのエピソードから発展して、スターや占星術、園芸、現ディレクターであるマリア・グラツィア・キウリ氏についてまで。
ブランドを愛している方の語りには滋養が多く含まれている……!オタクはそういうのが大好き!もっと聞かせて!と思わず食らいついて聞き入ってしまいました。
最後に、その日着ていたすずらんの刺繍が施されたスカートを「Diorの世界観とぴったりですね」と褒められて、なんだかもう抵抗していたのが馬鹿馬鹿しくなるくらい嬉しくなっちゃったのでした。
すずらんはムッシュ・ディオールが愛した花の一つで、コレクションの際には幸運のシンボルであるすずらんを胸元に挿していたそうです。
そしてわたしにとっても、すずらんは強い思い入れのある花なのです。
ムッシュ・ディオール、あなた気が合うわね……!(馴れ馴れしい!)
お店を出る頃には「モテ」も「男性受け」も「家父長制」も、雑音は完全に消え去っていました。美しいプロダクトを見た、ブランドを愛する人の愛に触れられた、という幸福感でいっぱいでした。
家に帰って、覚えている限り店員さんの語りをびっしり日記に書き付けました。満たされた!
マリア・グラツィア・キウリ氏のこと
マリア・グラツィア・キウリ氏は、2016年、Diorのクリエイティブ・ディレクターに就任しました。
彼女は着任時にチームスタッフたちと「我々は女性であることを表現しなければならない」と話し合ったといいます。
コレクションのたびに女性のフェミニスト・アーティストをフィーチャーするのも特徴です。
これはわたしの勝手な想像なのですが……
男性であるムッシュ・ディオールによって立ち上げられた、とってもフェミニンなイメージのDiorだからこそ、今、女性が主体となって女性の美しさを表現すること、そして女性から女性への連帯を表明することに意味があり、だからキウリ氏がディレクターを務めているという面もあるのではないかなぁと思うのです。
もとよりムッシュ・ディオールの「私は女性を美しくしようとしているのと同時に、幸せにしようともしている」との言葉に従えば、現在のDiorがフェミニティとフェミニズムについて追求するのは自然な流れなのかもしれません。
そして自問自答へ
こんな感じでDiorへのぼんやりした抵抗が消え去り、色々なアイテムを試着するようになるのですが、次はDiorのバッグが欲しいな!とまでは思い至りませんでした。
なぜなら高価だから!
美しいプロダクトに触れられて、Diorへのわだかまりも解消されて、今後はしっかりチェックしていこ〜☺️という気持ちだけでした。
そんな折に参加した自問自答ファッション教室において「どうやらわたしは人を助けたいらしいぞ……?」「どうやらわたしは次にブランドバッグを買うならレディディオールが良いと思っているらしいぞ……?」という気持ちに気付くことになります。
そしてこのバッグは「家を出た時から持ってたよね?」と思えるくらい似合っていて、なおかつ教室で出来上がったコンセプトにも沿っているように思える。
あきやさんは「そのさまはきっとレディディオールを持つことになると思います」と予言されましたが、果たして。
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