不満日記9 漫画は毒なのか?規制は先進的なのか?
連日、むせる工場での夜勤労働の中脂ぎったハンバーガーをコーラで流し込むという不摂生極まりない生活を続けていたらとうとう胃が悲鳴を上げて病院に運ばれました。神様が与えてくれた久々の5連休に感謝してここ最近の悶々と考えていたことをまとめていく感じです。あくまで日記
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Twitterで表現規制に関して「手塚治虫のような漫画は規制するつもりはない」というトンチキな発言が口火となってちょっとした論争になっていた。件の人物は特に政党の人物でもなくHPの文章を個人解釈して唱っていただけなので本来は語るテーマに値しない。ビジュアルは面白そうな奴だったので残念だ。悪い奴ではなさそうだ。
本筋に行く前に思うのはオタクで政治に無関心だった奴ほどある程度の収入を得たり社会的地位を経ると急にオタクを叩くのは何なんだ。遅れてきた反抗期の様なみっともなさを感じるのでそろそろふさわしい名前を付けてあげて欲しい。
漫画とかの表現に関しては自分なりの持論がなくはないのだが、言葉足らずに語ると誤解を受けかねないので一度まとめたい気持ちはあったのでベットの上でカタカタとキーボードを打っている。
まず第一に漫画の表現が人、特に子供達に悪影響を及ぼすのか?という疑問から始まるのだが、僕は漫画は子供に悪影響を及ぼすケースはあると思ってる。自分のケースで言うと学生時代漫画ばかり読んでいた。親にも先生にも「漫画ばかり読んでいるとバカになるぞ」「彼女もできない根暗な奴になる」と忠告された。僕は寄生獣や火の鳥、デビルマンのような硬派な漫画を読んでいたのでそんな事にはならないと思っていたが、実際高校受験には失敗するし彼女もできない寂しい学生生活を過ごす事になる。
全ては漫画が悪い。漫画さえなければその時間に勉強して順調に進学して、高身長細目のあらあら系のお姉さん(年下)の彼女ができて東大法学部で日本制覇の野望を抱く漢になってたハズだ。
この世は荒野だ!唯一野望を実行に移す者のみがこの荒野を制する事ができるのだ!!
漫画の表現規制の話が出ると反論に「漫画で人生が変わった!」「勉強になる漫画も存在する!」「漫画は生きる上で大切な事を教えてくれる!!」と怒る同胞達を目にするが、その論調も少し危険だと思うのだ。漫画が人生を良き方向に変えてくれる可能性を肯定するなら、漫画が人生を悪い方向に変えてしまう危険性も肯定すべきだろう。本当に人生に役立つ漫画なんて魁!!男塾ぐらいだぞ!!
当たり前だ、思春期に漫画版のナウシカを読めば、命をマクロに捉える視点も得られるが、同時に母性のある処女にリビドーを感じる視点も獲得してしまうのだ。僕は幼い頃に友達の親父の本棚で読んだデビルマンレディーの衝撃が忘れられません。
じゃあ漫画を規制すべきか?と聞かれたら「何をバカな事言ってんだ」と僕は答える。
確かにこの世に漫画とアニメ、あとプラモデルと熱帯魚とギターが無ければ僕は思春期のほとんどを勉学に費やして今頃は名の知れた大人物になっていただろう。しかしブックオフで毎日10時間以上立ち読みして足がカモシカのようになってしまったぐらい落ちぶれた僕でさえこうしてエアコンの効いた部屋でネットサーフィンをしながら文句を書き垂れるぐらいの生活ができているのだ。
それほど日本の義務教育は素晴らしいのだ。いろいろ言われてるがこれだけおもろい漫画とかアニメとかの娯楽が蔓延してそれに入り浸ってたクソガキにも、物の読み書きを習得させて買った馬券の配当を計算できるぐらいの数学や工場で素手で薬品を触らないぐらいの化学知識を携えてくれたのだ。これは僕に関わった学校の先生方の努力の賜物としか言いようがない。
そして昨今の技術革新も素晴らしい。僕は今海外で仕事をしているが、漫画ばっかり読んでたせいで英語も苦手だ。でも翻訳アプリを使えばだいたいの事は判断できる。資材の取引でぼったくられる事はあっても不利な契約書の文面には気付けるぐらいの仕事はできるのだ。
何が言いたいかというと漫画やアニメは娯楽なんだから多少の堕落があるに決まってるだろうと、もちろん少年達に勇気を与えたい!と大義を持った先生方の存在も知っているしそれに勇気づけられた人もいると思う。しかし前提として漫画は娯楽である。娯楽であるから堕落も多少はある。僕が疑問なのは、せっかく文明が発展してそこそこの堕落を享受できるようになった世の中でなんでわざわざ規制という野蛮な方向を推し進めたいのだという事だ。
みんなは何のために汗水垂らして働いているんだ。自分や自分の子供とか家族が楽するためじゃないのか?そんなに日本の文明は衰退してしまったのか?
一つ思うのはどうも規制=先進的と思ってるバカが一定数いる事だ。規制というのは程度の低い文明が秩序を守るために行う手段だ。銃規制の議論が盛んな国のどこが先進的なんだって話だ。薬物だって自動車だって高い知能指数と秩序をもって取り扱えば有能な道具なのだ。ただ限度や使い方がわからない人が多いから規制して秩序を保ちましょうねというの妥協策をしているのだ。
そしてもう一つムカつくのはこういう規制を進めたがる奴らの論調に問題を根本的に解決する姿勢が見えない所だ。
ここまで書いておいてこういう事を言うと嘘っぽく聞こえるかもしれないが、僕は日本は男女差別の強い国ではあると感じている。女性の社会的地位は低いし理不尽な場面も見た事がある。しかし娯楽作品の女性の描き方を見直す事が女性の社会的地位向上につながるというのは気の長い回りくどい作戦に思えて仕方がない。そんなチープな割れ窓理論で本当に問題が解決するのか?もっと推し進めるべき問題と政策がいくらでもあるだろう。善良な市民がだまされてるんじゃないかと勘繰ってしまう。
誤解されないように補足をするとゾーニングを進める事も理解があるつもりだ。特に最近はネット端末の普及が進んで保護者の目が届かない所での悪影響のリスクが生まれてきてる。エルサゲート等の問題はきちんと取り組んで子供を守るべきだ。しかしゾーニングの議論になるとこういった実害を伴う実例よりも町で見かけた看板が気にくわないみたいな話題ばかり目立つ事にもバカバカしさを感じる。地方新聞の三面記事の方がよっぽど面白くて有益な話題にあふれているぞ
話がとっちらかってしまったが、とにかく言いたいのは僕は裏切られた気持ちでいっぱいだ。皆で適度に堕落した生活を享受するために頑張って働いて税金を納めて文明レベルを上げて来たんじゃないの?何で今更規制!?バカじゃない?といった気分だ
この問題の根っこはどちらかというと教育問題な気がしてくる。