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【走り始めたきっかけ】


はじめまして。いのりと申します。アラサー市民ランナーでマラソンは初心者です。

大人になると自分語りもなかなか照れるものです。
常日頃、練習内容をつらつらと投稿しておりますがコンテクストを共有していたほうがより面白いかもしれないと思いラン歴20年の私が走り始めたきっかけを記します。

私が走り始めたのは8歳、小学校2年生のときです。
きっかけは書道のセットを購入するときでした。
今でも大体そうでしょうが、学校でいくつかのカタログを渡されたくさんのデザインから選べるようになっていました。

最近ではこんなのらしい(引用元:昭和教材株式会社HP)

渡されるや否やクラスの女子たちはデニム地にピンクの縁取りのした『キュート』というデザインを指差し「絶対これだよねー!」と盛り上がったものです。概ね長いものに巻かれるタイプでしたので当然私もそれにするぞ、と意気込みカタログを家に持ち帰ったのです。

たしかこれ。まだあるの…?

ところが家に帰って母親(気強い、怖い)にカタログを見せると
『こんなんやめとけって。後悔するって。』と、別カタログの無地のマゼンタカラーのスポーティで機能性重視なものを勧めてきたのです。(今なら、親の気持ちわかります)

昼の女子たちの盛り上がりがあったので私は『なんでよ、嫌だ、キュートがいい』と言い返したものの聞き入れられる気配は無く。
その押し問答を繰り返しました。

終盤
私『みんなと違うのにしたら仲間はずれにされるもん!』
母『は?そんなんで仲間はずれするとかしょうもないやろ!』
 『仲間はずれとかしてくる奴がおるんか!』
私『いるよ!』
母『されたことあるんか!』
私『………あるよ!』
母『いつや!』
私『(えーと、えーと)この前、いのりちゃんだけリレーの選手になったことない!仲間はずれー!足のろ!て言われたもん』

※うちの小学校は学年の一部、足の速い子が運動会でリレーの選手に選ばれるのです。この年、選考日の前に少しだけダッシュの練習をしたものの運動神経の悪い私は選ばれておらず。発表日にしょんぼりと帰宅したことがあったのです。

きっと同情してもらえると思い、切り札のつもりだったのですが

『お前そんなんで良いんか!言われっぱなしで悔しくないんか!』

私『ちょっと悔しかった』

『短距離でだめだったなら今度の冬にある持久走大会で優勝して見返せ!』

私『……!』

ここからはまさかの展開です。

この次の日から私は朝ランを始めました。週6~7日は走っていました。
2~3km程度ですが今思えば毎回ほぼ全力だったので大人で言うLT走の強度でしょうか。 
母は毎朝、自転車で付き添ってくれました。ちなみに私は私なりの覚悟で自分の自転車を処分し、どこにいくにも走りました。(結果、乗れなくなり高校入学時に自転車の練習をする羽目に)


迎えた1月、私は無事に持久走大会で1位になりました。
前述の通りスポーツはあまり得意でなく目立つような子でもなかったため、意外がられたり褒められたりでとても照れました。『いのりちゃん足のろ』と言ってきた子は実際はとても仲良しだった子なので『負けたー!来年こそ勝つけんね』などと会話した記憶があります。

ゴール直前
学年の女の子は40人弱とかだった

それまでポヤポヤで生きていた私ですがこれをきっかけに向上心や闘争心を持つようになり、ランニングだけでなく学問、芸術、全ての分野において燃えたぎる闘争心で取り組む非常に熱苦しい女へと変化しました。

ランニングについて、ここで終わっておけばよかったのですが
1度火のついた闘争心は簡単にはおさまらないものです。
持久走に飽き足らず他のマラソン大会にも出始めました。
しかしながら、校内では敵無しの私も1歩外に出ると陸上クラブ所属の子たちが沢山おり、全く歯が立ちませんでした。

城下町長府マラソン16位
ちびっ子健康マラソン17位

3位まで入賞の大会で7位、6位まで入賞の大会で17位とか本当に毎回毎回そんな感じでした。
そんなこんなで『勝ちたい』『悔しい』『あともうちょっと行けてたらなぁ』を繰り返しているうちに中学、高校、大学、、(←ここらへんはまたいつか詳しく書きましょう)

高校時代。豊浦リフレッシュマラソンで2位。

気づけば20年です。ガチです。
習字セットから始まり20年。

こんなかんじですので、今でも私が走る原動力は『勝ちたい』『悔しい』『あともうちょっと行けてたら』なのです。実際あともう少しのところでいつも目標を達成できていません。
恐ろしいことにやればやるほど物足りなくもなる。

たぶん、パチンコや賭け事にハマって抜け出せなくなる人とほぼ同じなんだろうなと感じています。
生涯収支マイナス62億円もあまり他人事に思えません。

時々再確認してみるのですが、やはり走ること自体はきついのであまり好きではないです。しかしながらレースのことを想像したら走り出さずにはいられません。終盤に競っているところを想像したら練習中は脚が勝手に前へ前へと動きます。

そんな私にとって「ファンラン」で走るマラソンなど無意味なのです。出るからには本気で取り組み、目標を達成し、勝ちたい。

(このレベルが何言うとんねんという感じですが温かい目で見てください)

高校卒業以降、いろいろあり(←ここもいつか書くかもしれないし書かないかもしれない)思うように取り組めていなかったランニングですが
もうそろそろ、ボクシングとかゴルフとか他のことを始めたくて、一旦、仮でもいいので終止符を打ちたいと考えています。

しかしながらこれまでにも何度かダンスや他のことを始めようとしたのですが、何をしていてもランニングで勝てない自分が常に脳裏にチラついて集中できないのです。

それで一旦自分を納得させるために、一度でいいので走ってみたかった大阪国際女子マラソンを走ることが必須なのです。

大阪国際に出るまではとりあえず走ります。

大阪国際走ったら走ったでまた物足りないとか言い始めるんだろうな、自分。
という考えにはそっと蓋をして。

長く拙い文章となりましたがお付き合いいただきありがとうございました。

追伸
私をたきつけてくれ、何年間も早朝、ランニングに付き合ってくれた母には感謝でいっぱいです。

この前の結婚式にて。両親への手紙内で上記書道セットのエピソードを話すとウケました。(いかにも母が言いそうなことなので)


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