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吃音②

※前回の続きです。

変わらなくてはならない

という必要性を感じていた私に、チャンスが舞い込んだ。

ここを詳しく語り始めると話が逸れて長くなってしまうので端折らせてもらうが、
簡単に言うと「スピーチの先生」の方にスピーチを習う機会が出来たのだ。
そこで習ったことで最も印象深かったのが、「相手に伝えること→そのための抑揚、の重要性」だった。
そして先生は、私の声を良い声だと褒めてくださった。
それまで、私は自分自身の喋り方、どもり癖だけでなく低くて女性らしくない声が大嫌いだった。また、スラスラ喋ることが何よりも大切だと思っていた。

だから、「この声のままで喋っていい」ということと「スラスラ言うことより大切なことがある」ということに2重に驚いた。

そしてその先生のご紹介で、選挙のウグイス嬢をする機会を頂いた。どうやら人手が足りず猫の手も借りたいような状態だったらしい。

喋るのが苦手な自分が、ともすれば途中で喋れなくなるかもしれない自分が、通常、喋りのプロが行うような業務をさせて頂いていいものかと悩んだ。

ちょうどその頃、『英国王のスピーチ』という映画を観ており、自分と同じ症状の主人公が、壁にぶち当たりながらもとにかく練習を重ねている姿に素直に心打たれていた。

そもそも吃音症というのは、現在も明確な原因や治療法は無いとされている。

しかしながら、何が正解かはわからないけれども何となく自分の中で『緊張しそうな場面も、場馴れして緊張しないようになれれば、吃音が減るのではないか』と考えるようになっていた。

それで、とにかくマイクを握って緊張する場面をたくさん作りに行くことを心に決め、ウグイス嬢にもチャレンジすることにした。

初ウグイスはなんと大接戦の選挙区、しかも名前がア行から始まる候補者だった。当時はかなり緊迫感のある陣営で
慣れない×プレッシャー×苦手な文字と、吃音発生率アップのオンパレードだった。

「〇〇でございます」
「お車のご協力ありがとうございます」
「〇〇を皆様の手で国政へと押し上げてください」

ウグイス中、何回も詰まってしまい、周りの方にはだいぶ迷惑をかけた。

それでも、今回は自分から体当たりした状態のため、自信を失うことはなかった。

スピーチの先生からもう少しまだ習いたいな、と思いながらもその機会は終わってしまった。
どうにかこれを「形」に残したくて次は元々興味のあったミスコンに挑戦した。

もちろん、見た目に自信がある訳ではない。

私の他のSNSでの振る舞いを見ている方の中には、もちろん、でピンと来ない人もいるかもしれないが、私はこの歳になるまで、ガッチリぽっちゃりした体型と金銭的余裕の無さからおしゃれに無頓着過ぎたこと、さらには(自分で言うのもアレだが)親しみやすい性格も相まって「体格イジリ」「不細工イジリ」されることが多かった。

その時応募した世界3大コンテストの県予選には、そもそも身長すら足りていなかった。
が、有難くもファイナリストとしてビューティーキャンプ(コンテストのための練習会)に参加させて頂く事となった。

このことも、詳しく話し始めると話が逸れてしまうので別の機会にまた載せようと思う。

結果からいうと、本番は何とか吃らずにスピーチこそ出来たが、吃らないことに精一杯になり過ぎてウォーキングも含めてステージに立つことが楽しくなかった。
もちろん、入賞もしていない。
それとは対照的に自分以外の参加者は、入賞者も入賞者でない人も心からステージを楽しんでいた。
練習自体は先生にもたくさんお世話になり全力で取り組めて楽しく充実したが、本番はとにかく吃らないことだけに終始してしまった。

その代わり、場馴れしたのかその数日後にあった学会発表ではコンテストよりかは落ち着いて、質疑応答までこなせた。

コンテストの内容がやや心残りのまま過ごしていたところ、次は「神社のイベントのMC」のお誘いが来た。
さらには、「2回目のウグイス」「ラジオのゲスト」「ラジオMC」とマイクを持つ機会を立て続けに打診して頂き、当たって砕けろ精神で全部引き受けた。

ラジオMCをこなしたあとは「自分、もう喋るの得意なのでは?」などと内心思っていた。

そして今年の6月。学内の小さな学会で発表する機会があった。これもスライドを作り込み、原稿はかなり練習して本番に臨んだ。

しかし、またここで「もう克服したかも」と思っていた吃音が酷くぶり返した。

審査のある口演発表にどうも緊張してしまい、朝からどもりっぱなしだった。朝の受付では自分の名前が詰まって言えなくて、側にいた友人が代わりに名前を言ってくれた。

自分の番の直前で発表環境に些細なトラブルがあったことからさらに緊張が増したのだろう。
発表中は両脚がガクガクと震えて、吃らないことに精一杯で、またしても、練習通りの発表が出来なかった。

さすがにその日1日は落ち込んだ。

しかし、喋り以上に「まあいっか」と受け入れる強さ(≒図々しさ)は向上していたようだった。

次の日には負けん気の方が前に出てきて、「次どこでこれのリベンジをするか」と考えていた。

何度も言うが、吃音があっても問題なく過ごせている人は普通にいる。
私ほどメンタルを飲み込まれるような人ばかりな訳ではでない。
ただ、私にはそれを受け入れる強さがなかった。
たぶん今も完全には受け入れられてはいない。
しかし、こうやって開けっぴろげに文章に書けるくらいにはなってきたし、なんなら苦手というよりは自分の特徴の一つとして捉えられるようになった。

おかしな話だが、自分の吃音を受け入れられないプライドの高さ、メンタルの弱さについては受け入れている。

当たって砕けろキャンペーンの甲斐もあり、やはり若干の場馴れはしてきて、緊張で必ずしも詰まる訳ではなくなってきた。
ただ、まだ日常会話の中では何日かに1回は突然詰まる。

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その中で、今回、口演発表で最優秀発表賞を戴けたことは自分にとって1つの区切りとまでは行かないが、ここ数年のご褒美のような感じだった。
ミスコンやウグイスやMCやいろいろやってきたが、一番は歯科医師として学会の場で堂々と発表を行えることが目的だったからだ。

最後にこれは私からのお願いだが、もしも、あなたの周りに普段から吃っている人がいたら、「落ち着いてしゃべってみたら」とか「緊張してるの?」とか出来れば言わないでほしい。

恐らく、落ち着いてしゃべりたいのは本人が一番わかっている。

落ち着いたところで詰まるもんは詰まる。

一説では、吃ったことを笑われたりする経験が症状を悪化させるらしい。
笑うようなことは、大人はあまりしないだろうが、上記のような声掛けも結構似たような感覚になる。

と、そんな人がいることを心の片隅に置いておいてもらえるとうれしいです。

追伸
『吃る??緊張したらそんなん誰でもなるやろ!』や、それに、類似する内容で声をかけられたことが複数回ありますがそれらとは全く異なります。励ましのつもりでも、人によっては逆効果です。


















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