身体の感触!そして、生き方としての तस्य लोपः (१.३.९.)
1.書かれたものは波を立てよ!
技術が私たちに見せてくれるもの
今日、技術が持つ意味は地域を超えて共通する側面をより強く持ちます。あらゆる地域性が一つの技術の出現に飲み込まれていくようです。技術の受容のされ方が諸々の地域において違うことを認めたとしても、技術が地域を超えて生活を規定していることは間違いありません。私たちが全球化を考えるときに、技術の問題を切り離して考えることはできません。
さて、技術に対する考察に関して、人は時として新しい技術に対して疑念を持ちます。しかし、その多くの疑念は、技術に対する無知に関わるもので、技術そのものの問題に起因するものではないでしょう。新たな技術の功罪は、その技術が可能にしたこと、不可能にしたこと、その技術が私たちに持つ意味、その技術の地球に与える影響を十分私たちが把握した上で定められるべきで、無知に苛まれた状態でその功罪を見極めることは困難です。
Generative AI は、これまで人間に固有と思われていた機能をこなすようです。事実、generative AI は、プログラムのコードの修正やエラーの対応などで私を多く助けてくれました。彼は非常に優秀なアシスタントです。このような generative AI の出現が、人間の思考力を落とすことになるのかという疑念を持つ人があるかもしれません。とはいえ、そういった懸念と同時に、generative AI は、私たちに人間固有の営みについて重要なことを教えてくれると私は考えています。
自動翻訳についても同じようなことが言えると思います。私が高校生の頃、非常に高性能な翻訳アプリ DeepL が話題になりました。私はその頃、全てが自動翻訳されることはないだろうと思っていました。しかし、そうではないと最近は思います。もうすでに、いかなるレベルのものであっても、翻訳など人間がする必要のないところまで来ていると思います。機械は文学作品についても、かなり高い質の翻訳をしてくれます。
翻訳家という職業はもはや不要になるのでしょう。翻訳のための研究も意味をなさないでしょう。文学研究から翻訳家へといった生の軌道を歩む人も少なくなるでしょう(それはちょっぴりさみしいことですが)。
翻訳はそもそも不完全です。それは機械であろうと、人であろうと、誰が翻訳するかに関わりなく、翻訳は原文への裏切りです。これから、海外の小説の電子書籍は、高精度な機械翻訳で読むことができ、翻訳がわかりにくい箇所については、その箇所をクリックすると該当箇所の原文が表示され、読者が翻訳修正を提案でき、AIが提案を考慮して、機械翻訳の表示を柔軟に変更していくかもしれません。
さらには、訳注研究といった研究のスタイルも意味をなさないようになるのかもしれません。それは、文学や哲学といった多くの人文学の基礎です。とはいえ、写本の複雑な文字をOCRでテクストデータにして、AIが複数のテクストデータから異読の情報を拾い、言語学的な理論や統計的な特徴から校訂を自動的に行い、校訂本を勝手に作り、ついでに英訳まで自動で付けてくれるといった時代もそう遠くないうちに来るでしょう。
技術の進展は、幾つかの、しかし主要な文献学的手法を淘汰していくでしょう。技術の進展、特にテクストデータ、自然言語処理を行う諸技術は、間違いなく人文学の研究手法を無化してゆくでしょう。文献学は実のところ人間がしなければならない営みではなかったのではないのかといった疑念が今後生じるでしょう。文献学的手法に基づく研究が「人間によって」なされなければならない意味はどこにあるのかが問い直されます。文献学的研究はあらゆるテクストを扱う人たちにとって、基礎的な処理であったはずです。しかし、基礎的な重要性とそれを人間がする意味とが、これからは、分けられて考えられることになるでしょう。
しかし、技術による文献学的手法の淘汰は、文献を扱うすべての人にとって朗報であるはずです。なぜなら、本当に人間がしなければならない文献への眼差しを否定的な仕方でそれは教えてくれるからです。文献学の培ってきた方法は、少なくとも本当に人間がしなければならない眼差しではないのでしょう。技術によって文献学が淘汰された後に、私たちはそれを今とは全く違った仕方で納得することになるでしょう。
Au bord de l'écriture, ou « 不確実の踊りとテクスト論。 »
以上のような generative AI による文章生成、自動翻訳、自動校訂、自動翻訳修正といったテクストをめぐる機械とのやりとりは、私たちに無作者のエクリチュールを突きつけます。まず、文章生成は、同じ文章を生成しません。さらに、作者は人ではありません。思考主体でない何者かが、毎時毎時に違うことを書いていく状況が容易に発生します。
今まで、書かれたものは、ある程度の固定性をもって捉えられてきました。確かに、写本間の隔たり、経典の増広などはあります。とはいえ、そのことは遥かに人が語ることよりも確実な通時的固定があると考えられてきました。
しかし、AIが校訂作業に加わると、AIに自動文書修正機能を認めると、書かれたものは刻々と変化するでしょう。書かれたものがすぐ自動で書き換えられる時代が来るのかもしれません。書かれたものの不確実性が私たちに認識されるようになったとき、人以外の手が勝手に加えられた完全なものが流通し始めたとき、私たちはどのように書かれたものに向かい合うのでしょうか。
エクリチュールがエクリチュールを生み出すという再生産は、とはいえ、写本研究においてはよく知られたことです。おそらく、AIが校訂作業に加わったとき、版本系統は複数登場するでしょう。研究者は、情報学と文献学を合わせた、ネット上の文献学を始めなければならなくなるかもしれません。そして、それは結論の出ない、永遠に続くいたちごっこかもしれません。
しかし、そういったことは不毛なのです。エクリチュールは波をたて、その固定的と思われていた地平をグラグラにしてしまえばいいのです!作者性、著者の固有性が書かれたものにおいて揺らぎ始め、人々は言説の真実さをもってのみその言説を支持するでしょう。その言説を誰が書いたか、など本当は「そんなの関係ねぇ!はいオッパッピー!(小島よしお, 2007)」なのです。
大乗経典は、仏教者にとっての聖典です。本当に重要なものです。しかし、その作者や編纂者は不明なのです。作者は埋没しているのです。誰が書いたかはどうでもいいことなのです。それが真実である限り。そして大乗経典は、写本流通の過程でさまざまにバリエーションを見せます。踊るエクリチュールなのです。
しかし、その踊るエクリチュールであっても、仏教者の思考において確固たる地平を提供するのです。踊るエクリチュールにあって、文献学の不毛さを超えてなお人類が継承しうる同じ地平に私たちは目覚めるべきなのです。
作者性のない書かれたものの時代という、何千年前にもあったような光景が、またネット上で generative AI の前で出現しようとしています。誰が書いたのでもない文章に書かれてある正義と真実。これを信じるのか信じないのかは、私たちの考え方に関わっています。大乗経典が私たちに提供するエクリチュールへの目覚めは、これに対応するのに、重要な示唆を与えてくれるでしょう。これは従来のテクスト論には回収されない部分を持つ問題です。
AIが文章を書く限り、書かれたことは、思考の結果ではなくなるのです。書かれたことは単なる計算結果の出力なのです。そして、人間が書いたものとそうでないものとの区別が不可能になってゆくでしょう。書かれたものを出力できる限り、その書く主体に思考を認めるというプラグマテズムも登場するでしょう。
しかし、本当に人間らしいのは、そのプラグマティズムを受け入れて、そして、本当に私たちの幸せに資する、真実に至らせるような書かれたものを選び取っていくことではないのでしょうか。それが人によって書かれたか、あるいはAIであるのか、その内容が私たちの幸せに資する、真実に至らせるようなものである限り、重要でないと思います。もし、この違いにこだわるならば、私たちは、情報学と文献学を加えた、ネットテクスト校訂を始め、不毛ないたちごっこをまたしなければならないでしょう。
身体、感触への回帰
しかし、本当にクリティカルな場面で、以上のようなプラグマティズムが受け入れ難いという反論があるかもしれません。例えば、高品質なレブレターを量産する generative AI を、愛することができるのかといった問題です。
私はここで生き感じる感触に注意を促したいです。以上のようなプラグマティズムの課題は、プラグマティズム自身の理論的欠点によって導かれるものではありません。それは、外的出力を書記行為に限定したことに伴う欠点です。私たちが例えば人を愛するとなっときに、それはその人の書記行為に依存して愛しているのではありません。
プラグマティックに考えたときにも、人間とそれ以外とを区別する何かしらの意味ある外的な出力があるときに、私たちは人間の意味を、人間の営みの意味を考えることが出来ます。そして、そのよう出力の一つに、生き感じる感触を提示したいのです。
人を愛するときに、その人固有の生きていることと、その人が内的にその人自身が生きていることを感じている、この二つを私が感触として得られることが必要だと思います。これを生き感じる感触と呼びましょう。
生き感じる感触をあるものに感じることができて、そういった他者の生きていることの認知と感触が私の側に残っていることが好ましく思えたときに、私たちはある人を愛するのかもしれません。
書かれたもの、踊るエクリチュール、文献学、情報学の不毛を超えて、私たちは、ある思考の主体者が生きていること(生きていたこと)、感じていること(感じていたこと)を感触として得ることが本質的な文献への向き合い方なのだと思います。
手紙や新しく印刷された本の文面は一度しか読まないかもしれません。しかし、その表面を何度もさすったり、その匂いを嗅いだりといった純粋な行為は、生き感じる感触の重要性を物語っています。踊るエクリチュールの世界がひらけている今日にあって、異読問題などを処理してもなおその先に広がる、書かれたものとその分析である文献学からもう一つ上のところにある、文献を書いた人への愛し方に、私たちは気づかなければならないと思います。それは最も身体的な感覚に身近なものであるはずですし、生き感じる感触を根源とするものであるはずです。
見せかけの無視点
論文!いったいこの見せかけの無視点はどこに由来するのでしょうか。いや、それよりも誰のためにあったのでしょうか。どこからもない眺め。人文学の持っている見せかけの無視点。
人文学は視点を持っているはずです。人間臭さがあります(人間臭さについては、前回の note 記事を参照)。人間の共通する負い目。感触、痛み。読み解く人間の固有性。こういったものへの注目が、これからの時代の人文学につながると思います。
2. 仏教学の組織神学的アプローチの可能性
仏教学への疑念
私が東大文学部に進学して、はや半年が経とうとしています。仏教学の一端(あくまで一端に過ぎません)を演習などで垣間見ました。演習は先生の教育的な意図を感じ、育てられているという心地よい感触を、出席し、訳文を検討する度に思います。しかし、研究室の先生の指導力の素晴らしさとは別に、いや先生方に恵まれているからこそ、すでに私は仏教者として、仏教学のあり方に疑念を深めています。
手法への疑念
まず、仏教学の手法が文献学に限定されていることについてです。文献学という方法は、文献を扱う上での最低限の基準を私たちに突きつけます。しかし、それは踊るエクリチュールの世界にあって、不毛になる可能性が予見されます。Generative AI の登場は文献学を人間がする意味に再考を促しています。
私の疑念は、そういった文献学の持つ限界に加え、仏教伝統が文献学のみによっては十全に研究され得ない疑念にも基づきます。
限定的に仏教が捉えられること、そしてそういった研究に依拠して仏教が語られることの弊害は非常に大きいと思います。仏教は単なる哲学ではありませんし、論理学でもありません。仏教は、成仏への道であったはずですし、信仰者たちによって、あるいは因果と真理と三宝とを信じること、心の清らかさを持っている人たちによって営まれてきた生のあり方であったはずです。
(参考)
そういった仏教観が仏教を研究する人たちによって歪められ、一般に伝えれれるとするならば、仏教の社会的な現前は小さくなってしまいますし、それは有情利益の点で好ましくはありません。
仏教がきっちりと何であるのかが伝えられるような学問にならない限り、仏教学は仏教学という名を名乗ることは許されないはずです。その初めの一歩として、仏教学者は、研究者である以前に、まず仏教の現存するあらゆる真摯な営みに最大限の敬意を払う必要があると思います。
仏教学者の立ち位置への疑念
次に、仏教学者の社会的な立ち位置についてです。仏教学や仏教学者の存在は、彼らを有して、かつ、独自の仏教伝統を有する地域と社会に、不幸をもたらしたかもしれません。仏教学や仏教学者といった存在が、伝統的な僧院や僧侶や宗学といった営みを微妙に線引きができない形で吸収し、変質させ、伝統的な営みを貶めている可能性すらあるからです。
日本の前近代の各宗派の教学は、ヨーロッパ式の近代仏教学にとって変わられました。その移行は革命的なものであるというよりかは、静かなもので、各宗派が独自の大学を持つに至って、各宗派の教学の方法にヨーロッパ式の近代仏教学を導入したものと思われます。
各宗派において賢者とされる人たちは、この時期にあって、論義の場において優秀な成績を収めたものといった古来からの基準によって把握されるのではなく、ヨーロッパ式の近代仏教学を修めたか否かによって把握されるようになったと思います。
僧院が世俗化するにつれ、僧院において学び、僧院内で教学を継承するという試みが失われたように思われます。僧院の教育機能は、各宗派が創立した宗門大学にとって変わられ、宗門大学が大学である以上、考古学的な仏教学が学ばれるようになったのだと思います。
各宗門が自身の大学を持ち、そこで仏教を専門的に研究する機能を持つと、宗門自体の教学の研鑽は、そこでなされているような錯覚を持ち始め、一般の僧侶は学問から遠ざかるように思われます。そして、多くの僧侶は自分よりも大学にいる仏教学者の方が仏教をよく知っていると思い込むまでにもなったのです。
とはいえ、このような事情は、もし日本の中に宗門大学が存在せず、仏教学が存在しなかった場合、生じなかったものであるとも考えられます。仏教の研究が大学で行われず、伝統的な教学以外の方法論が知られていないときに、僧院内の僧侶たちは日本において唯一の専門的に仏教に関わる人物となるのですから、僧院教育の重要性を理解し、さらには、教学をさらに重要視していたでしょう。近代の仏教学者の説を引用する暇がるならば、宗祖や宗派の賢者たちの著作や口伝にあたっていたでしょう。
大学において仏教が研究されていることは、日本の仏教徒たち、特に僧侶たちにどういう影響を与えているのでしょうか。私はかなり弊害が多いのではないかと思っています。各宗派において、自身の教学を再評価し、その教育方法を見直す機会が今後必要だと思います。
神学における教会論、それは堕落といった重要な項目を扱っていますが、そういった方法論を参照して、律研究にとどまらない僧院論を構築し、史的な延長と律的な要請との二つの間から、僧院とその営みを未来に伝えることができれば素晴らしいと思います。その際に、東南アジアやチベットの僧院教育がどのようなものかを理解することは大きな助けになると信じます。
新しい仏教学へ
先ほど述べた仏教学への疑念は、現行の形である限りの仏教学の不要論へとつながるかもしれません。私は仏教学を学ぶ一人の学生であるという自認以上に、仏教者であるという自認があります。そういった仏教者としての自認が私を仏教学に疑念を抱かしめているのだろうと思います。私は仏教者であり続けますが、もはや文献学的な仏教学には未来を見出しません。それは「後ろ向きにしか理解しない(only understood backwards)」ことであるからです。私たちは、「前向きに」生きなければならないはずです(but it must be lived forwards)。文献は過去にあっても、菩薩としての生は今ここにあり、成仏は未来にあります。過去について語るとき真理が求められますが、未来について語るとき求められるのは意味です。
文献学的な仏教学が明らかにしたことは、仏教者が仏教的な生を歩む上で資することとはかけ離れています。このような学問は仏教者にとってのまやかしでもあり得ます。仏教であるかのように見せかけて、その内実はただの文献学なのです。そのような仏教学という名前だけに惹かれて、この学問を選択した仏教者たちは、さまざまに折り合いをつけながら研究してきたことでしょう。とはいえ、そのような折り合いも今後は必要なくなるでしょう。なぜなら、仏教学の手法が新たな技術によって淘汰されるだろうからです。
今後の仏教学は少なくとも文献学ではありません。哲学でも、論理学でも、文法学でもないはずです。これからの仏教学は宗教実践の基礎であり、宗教実践に関わる分析であり、それはテクストに向き合うと同時に、心のあり方や生の営みに向き合うことになるはずです。仏教学がそのように変革したときに、人類の社会により貢献できることになるでしょう。そのような将来に期待します。
仏教に対する組織神学的アプローチ、あるいは〈組織菩提学、 Systematic Bodhilogy〉
以上に期待する仏教学の方向性に、組織神学的アプローチを私は提唱します。
ヨーロッパ世界においてキリスト教がローマ帝国の影響によって支配的になって以来、キリスト教を把握する教内の試みとして神学が発展してきました。神学はさまざまに発展しましたが、その試みの中で組織神学(Systematic Theology)といったものがありました。
まず神学(theology)とは、一般に神(theos)についてのキリスト者的表現(logos)なのでした。その中で、組織神学とは一般に、ある神に関わることがらについて聖書が述べることに基づいて体系的に理解しようとする試みであったと思います。また、さらに意味を広げて、存在などといった普遍的なテーマやあるいは今日の倫理的なテーマについて、聖書が述べることから総合的に、キリスト者がどのように応答できるのかを考えるような営みだったと思います。
今日、神学部や神学大学院(Seminary)において、組織神学は福音を宣べ伝えるという実践を基礎づける神学として理解されていると思います。現実の社会との関わりにおいて教義をいかに現前させるかというキリスト者の切実な問題意識に裏打ちされているようです。ここでは、キリスト者にとって司牧という活動と教義理解というのが密に関わっていることを示していると思います。
さて、仏教ではどうだったでしょうか。仏教の教義は基本的に在家信者を第一に説かれたものではなかったと思います。修行者、出家者とそれを支える布施者、在家者というヒエラルキーがあって、それぞれの仕方で徳を積むというダブルスタンダードがあるようです。出家者が宣教するための教義ではなく、出家者個人の修道のための教義であり、その理解は極めて個人的なものです。
上記のヒエラルキーにおいて、仏教者の仏教への関わり方はさまざまなグラデーションを見せることになります。そして、それぞれの信徒の人生への考え方、性格に応じて法が説かれるという点で、教義自体にも揺れがあり、さらには閉じた聖典概念はなく、正統的解釈もはっきりとはしていません。
とはいえ、成仏を目指す点であらゆる仏教者は共通しています。大師遍照金剛(真言宗の宗祖)はその著作、弘仁4年の御『遺戒』において、
とおっしゃています。仏教者の意味をたとえ出家者に限らなくとも、成仏を目指す点で共通しています。全ての仏教の教えが成仏という目的(artha)のもとに集約されるのです。このことは、仏教がたとえ、教義自体にも揺れがあり、さらには閉じた聖典概念はなく、正統的解釈もはっきりしていなかろうとも、その組織的アプローチが可能であることを示唆します。仏教においても組織神学が可能なのです。
このことについて、ジェ・ツォンカパ(チベット仏教ゲルク派の宗祖)は、その著作『ラムリム』において、
とおっしゃっており、成仏への道として仏教を体系的に理解するという点で、組織神学の方向性に近しいものがあります。
さらに、この二人の賢者がここで一致している視点は、組織的アプローチをとるかどうかではなく、仏教の意味を成仏に見ているという点です。すると、神学が一つの神に対するキリスト教者的表現であるとするならば、仏教は、成仏あるいは一つの菩提についての仏教者的表現であるはずです。仏教学における組織神学的なアプローチは、したがって、組織菩提学(Systematic Bodhilogy)として呼ばれるべきです。
さらに、続いて、ジェ・ツォンカパは、
とおっしゃっています。
ལུང་། を保持するものは སྨྲ་བྱེད། として、རྟོགས་པ། は སྒྲུབ་པར་བྱེད་པ། として後に倶舎論の中で言い換えられるので、教法は説くものによって保持され、証法は実践するものによって保持されるというふうに理解されます。
そして、該当箇所のジェ・ツォンカパのご理解によると、その二つは別々のものではなく「དེ་གཉིས་རྒྱུ་འབྲས་སུ་འགྲོ་བ་(二者は因果となる)」とされ、教によって証がある、実践方法についての理解によって初めて実践が可能になるという見方をされています。『ラムリム』の続く文章を見ると、教がなくては証がないのであるから、教を統一的に把握することがまず重要であると主張されています。
རྟོགས་པ། が実践によって得られる深い理解(証得)であることを考えると、それは単なる言葉の理解ではなく、修行に基づく理解です。とはいえ、それを得るためにそもそも教の統一的な把握が必要なのであり、『ラムリム』は必要とされると述べていらっしゃるのです。仏教にとって、組織神学が必要な理由は宣教と基礎神学の橋渡しではなく、深い理解(証得)のためなのです。
ジェ・ツォンカパの『ラムリム』はアプローチの上で組織神学に近いことを上に確認しました。しかし、そこに見られる発想は一貫して境地の成就に関わるもの、そこに統一されるものです。それは仏教が成仏に至る道として理解するという言葉にパラレルです。キリスト者にとっての組織神学の持つ意味は、仏教者のそれとは異なりますが、そのアプローチ自体は仏教者の実践にとって重要なものです。そしてこういった方向性は、決して自作(རང་ཟོད།)ではないことを確認しました。
私はこのようなアプローチに期待しています。このアプローチは全く新しいものではありません。むしろ伝統的なものです。しかし、文献学的な仏教学者たちによって見過ごされてきました。現行の仏教学の方が、自作(རང་ཟོད།)なのです。私はこのアプローチを今後の研究に取り入れようと思います。そうなったときに初めて仏教学が成仏に資するようになると信じるからです。
3. तस्य लोपः (A.1.3.9) としての人生・人類
まず、息を吸って、軽い雰囲気で、तस्य लोपः(タッスヤ・ローパハ)と唱えてみます。サンスクリット語のある文法規則を示す記述だとまず理解してください。
さて、人生における tasya lopaḥ といった場合、私は正直何を tad といい、何を lopa しているのか、あまりよくわかっていません。そもそもそんな表現をおおっぴらに使えば、パーニニーヤが驚き呆れることでしょう。
しかし、パーニニのスートラのこの言葉に強く惹かれています。人生の示唆を感じているのです。なぜパーニニの文法には、it があるのか。なぜ意味のない言葉をつけておき、それを実際に使うときに、無化するのか。
動詞を作ること
tasya lopaḥ 的な人生観を示す前に、tasya lopaḥ が一体どういう機能か述べておきましょう。
例えば、語根表に、
があるとします。これを実際に使うには、
で it 認定して、
により、ñ を見えなくして、
を導き、
で、ṇ を n に置き換え、
が導き出されます。この形がサンスクリット語として使われる、辞書に載っている、普通の動詞語根です。
ここで行われていることは、ṇīñ の ñ の除去と、ṇ を n に変えることです。今回は、 ñ の除去に注目します。
さて、除去作業の規則を tasya lopaḥと呼んでいます。ṇīñ というもとあった形は、tasya lopaḥによって、ṇī となります。RNA splicing のようです。RNA splicing にせよ、シナプス刈り込みにせよ、tasya lopaḥ にせよ、ある無駄を機能上付けておいて、のちになってシンプルに切り取っていくという作業が私たちの生や認知にはあるようです。こういった事象一般を、今回は tasya lopaḥ と呼んでみましょう。
my lovely tasya!
tasya と呼ばれるそれは、ともすれば無駄とも取られかねないものかもしれません。なぜなら、それはのちになって消されるからです。とはいえ、段階としてある段階とその次の段階といった具合に必要なことはあったはずです。今日私たちが必要としていないことであっても、それがかつて必要とされていて、そして今日の私たちの必要を満たすものの基礎となっている場合、私はそういったものを必要以上に悪くいう必要はないのだと思います。
私が以前から注目してきた思想的不誠実さともこれは関わります。前回の note 記事において、私は平和構築の文脈で思想的不誠実さの有用性を述べました。しかし、思想的な不誠実さは恒久的な平和には資さないともいえます。宗教の共通性を説く発想は、各宗教間の争いを沈静化させる上で役に立ちますが、見えない、しかし、重要な差異を無視し、その齟齬がのちに大きく響くことがあるかもしれません。思想的不誠実さは、人類の思想と平和への運動の中で tasya lopaḥ 的なものなのです。
発想としての tasya lopaḥ は私たちの人生を豊かにします。私にとって切り捨てられるべき何かについても、それ自体がここに存在していること(存在していたこと)の意味を全く損ねることなく、同時に、私はそこから離れることができるのです。 tasya lopaḥ として見えなくなるものでありながら、しかし同時に、tasya はやはり愛されるべきである、その価値を十全に把握し、心のうちに留めておくべきものであり得るのです。
Generative AI が切り捨ててしまうであろう営みは、本当のところ人間がしなくてよいものであったかもしれません。とはいえ、それが AI 以前に意味を持っていなかったかというとそうではなかったはずです。 tasya lopaḥ 的発想は、そういった前時代の愛おしい重要な、しかし今日には不要な、数々なものと思い出と価値を自分に保ちつつ、それを現前において消し去ること(lopa)を教えてくれます。完全な消去と tasya lopaḥ の間にあるものとの差異はかなり大きいのです。
情報伝承としての tasya lopaḥ は、情報的な無駄を許容し、バックグラウンドの無駄を許容し、そういった過去の意味を現在から包括的に把握する、過去の意味をより積極的に見出していこうという意志のもと把握する営みであるようです。そして、未来においては、それを見えなくしていき、無駄を削りシャープに見せるようなものです。
プログラムのコメントアウトのようなものです。プログラミングの#で外されるコメントは、プログラムを動かす点で不必要です。未来には不必要です。しかし、過去にどうやって考えたかを伝えるのには必要です。これは、tasya lopaḥ 的なものです。
人生の後半で分かることへの期待
人生を前半と後半に分けるという発想はあまり現状を把握していないかもしれません。とはいえ、そういった仕方で人生を見る向きもあります(村上春樹『一人称単数』)。そして、そういった発想に、若い私は期待をしています。むしろ私の老いの楽しみはそういったものにあるかもしれません。
若さの意味、それは無知や無経験といった言葉と同義ではありません。それは未知であり未経験であるのです。そして、不可解ではなく、世界は未解であるはずです。
かつて私は小説の中で、以下のように書きました。
この小説は、銀杏並木文学賞で曲がりなりにも入賞しましたが、今見ると完成度は低いです。これは小説を書こうと思い書いた小説というより、この末尾の言葉を私は書くために書いた小説だからです。そして、和解という言葉にちなんで、この言葉は今でも私は大切にしたいと思っています。
さて、和解という文脈で私はこの言葉を用いました。とはいえ、このような解いていく姿勢は、未解という状況にもいうことができます。
私にとって世界は分からなさすぎるものです。まだ読んでもよく分からない言葉がたくさんあります。まったく知識のない状態でこの世界に放り込まれた私たちは、必死にこの世界を理解し、理解したつもりになろうとしています。しかし、それでも不可解な網が私の前にもつれているのが見えます。経験を積みかさねれば重ねるほど、不可解さがましていきます。この不可解さがある人生のタイミングにおいてハッと気づくきっかけとなれば存外の喜びです。
私はもっと不可解さに見舞われてもいいかもしれません。そして、人生の後半に前半には分からなかったこと、前半には大切にすることができなかったこと、人、ものを大切にできるとすれば、これにすぎることはないのです。今大切と思えない何かが、後に大切だと気づけるように、そして最後には全てのものの大切さに気づけるようになれるなら、この世界に生きていて自分の人生、他者の存在を大切にできたのだといえると思います。
4. 余りに非文学的なプライヤーと脱脂粉乳
私は6月下旬のある晴れた昼、総合図書館からほど近い文学部3号館のフランス文学演習室において、文学部不要論について少なくとも「言及していた」ことを認めなばならないでしょう。
それは私がお弁当をいただきながら、文学部について、「ス・ネ・パ・アンポルタント」と言いかけていたときでした。緑色のプラスチック製の箸が割れたのです。それはまさにフランス文学演習室において文学不要論を唱える私に文学部の神が下した罰だったように思われます。私には、そのとき、「モン・デゥ」とという言葉が身に沁みました。
私はここに一種の宗教的な改心があったことを告白しなければなりません。私はこの稲妻のような瞬間にあって、文学とそれを支えてきたあらゆる営みについて最大限の敬意を払うようになったのです。ただし、そのことは文学部への敬意を無条件に帰結するものではありません。
自省としての不要論、もう一つの tasya lopaḥ (A.1.3.9)
本当はなくてもいいのではないのか、という問いはある意味ではずるい問いかも知れません。あるいは、不誠実なものであるかも知れません。本当はなくてもいいのではないか、という問いの無責任さは、例えばある組織についてある人が、本当はなくてもいいのではないか、と考えたとき、その人は、疑念を深めてその組織をひっそりと立ち去るか、あるいは新たに意味を見出してその組織に留まるかをするでしょう。そのとき、立ち去ったならば、彼は組織にとって彼の思考を表明しなかったことにおいて、誠実でない気がしますし、そのまま留まったならば、彼は最初の問題意識に誠実でない気がします。
とはいえ、ある人生の瞬間に、とても自分にとって大切と思われる諸存在について、本当はなくてもいいのではないかと問い直せることは厳しい、そして実りのある自省を促すはずです。そう問い直せる時点で、意味があるのだと思います。
本当はなくてもいいのではないのかと問うことによって、見直される、ゆらぐ地平は、私自身の存在を不安定にします。しかし、その新たな揺らぎからまた別な自分のあり方が定められる気がするのです。そこにおいて、過去の思想の反復、ドグマの復唱は何の意味を持ちません。重要なのは、私の腑に落ちるかどうかなのです。あるものの存在の意味について疑念がある限り、その存在についてひとまず不要だと措定することの過失は、最終的にその存在の価値をを新たに見出すことができる限りにおいて、限りなく少ないものであるはずです。さらに、存在の意味について疑念があるときに、その存在が必ず必要だと思うことよりも人生を豊かにするはずです。私たちは何かを手放したときにしか、何か別のものを手に入れることができないからです。
本当はなくてもいいのではないのか、という問いが自分と自分に関わる大切なものについてなされること、その厳しい自問は、素敵な世界を開いてくれるはずです。あるものがあることの意味について、できるだけ納得しないという基本姿勢がある限り。
意味の設定
さて、2015年あたりに、文学部不要論が存在したことをご存知でしょうか。私が当時将来の進路を考えるにあたって、当時のこの考えは大きく私に影響しました。私は自身の圧倒的数学不能を理解するまで、漠然と将来は理系に行くもの、特に農学部か工学部に行くものだと思っていたのです。この文学部不要論を再検討することを通じて、開かれた言葉の使い方と関わり方について述べたいと思います。
思うに、文学部不要論は、文学不要論でもなければ、文学研究不要論でもありません。それどころか、むしろ文学を礼賛し、文学研究を礼賛する手段でもあるのです。これを十分に説明するために、文学的なあり方と対置される文学部というものを私はここに説明する必要があると思います。
さて、本質的でない箇所の不一致に伴う議論をあらかじめなくすために、私の文学部不要論が何を意味しているのか少し述べましょう。
まず、不要という言葉によって指し示される対象を明確にしておきましょう。私がここで文学部としているのは、書かれたものを扱う方法や営みを組織的に行う大学内の組織を指しています。方法論に注目したときに、文献学に落とし込まれる学問を専門に扱う研究組織全てを指しています。
このことは、文学部に属する全ての研究室を指していませんし、あるいはある学問のある一部の方法論を指しているだけで、当該学問の他の方法論を意味していないこともあり得ます。つまり、ここで意味される文学部とは、一般に「文学部」という言葉によって意味されることとは、異なります。
次に、不要という形容詞について、その意味を述べておきます。不要とは、必ずしもそうあるべきだとは限らないことを意味します。文学部が不要であるという言葉は、私が先に述べたような形での文学部は、必ずしも大学の中に組み込まれていなければならないとは限らないと言い換えることができます。同時に、むしろ大学という場に組み込まれていない場合の方が、よりよいなにがしかをもたらすのではないのかという希望も含意しているといってもいいかも知れません。
さて、以上に私は文学部不要論という言葉の意味を述べました。ここで述べられている文学部不要論は、もしかすると一般的に耳にされる文学部不要論とは違ったものであるかも知れません。
背景
さて、つまるところ、文章に関わる営み、特に文献学的な手法を用いるものについて、そのような営みそのものやそれに関わる研究が、以降短くこれを文学的なものや文学的なものの研究と略しますが、それが大学という組織の中にあるある組織のもとで必ずしもされるべきとは限らない、むしろそうでない方が好ましいかもしれないといった意味合いで、私は文学部不要論を使っています。
かつて文学部不要論が支持されていた背景についてここでは整理しようと思います。
まず、2015年の「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直しについて(通知)」において示される問題意識を擁護するところから始めてみましょう。まず、当該の文献において、「人文」という言葉は3回出現します。
一例目は、
であり、二例目は、
であり、三例目は、
です。この三例目については、最近の第6期科学技術・イノベーション基本計画において示される、
といった方向性につながって行くものでしょう。
一例目がいわゆる2015年の文部科学省の国立大学文系学部不要論として取り沙汰されたものです。一例目の文脈は「ミッションの再定義」に基づいた再編を要求しているもので、「ミッションの再定義」とは、強み・特色・社会的役割について、各国立大学と文部科学省が意見交換を行った結果のことを指します。とはいえ、その「ミッションの再定義」の対象には十分「人文科学分野のミッションの再定義結果」という項目があるように、人文科学分野は考慮されいるのです(例えば、東京大学の文学部の場合はこの通りです)。
この国立大学文系学部不要論について、ある(文系の)研究者たちは、大学と国家との関係性を問題視して議論しました。しかし、それは、手続きの批判であり、また大学制度に関わる批判であり、文学部固有の存在理由に関わりません。そして、手続きの批判したとしても、力が強い方が勝ってしまう事態を何度も私はキャンパスで目撃しました。私たちが文学徒であるかぎり、そのような明白な敗北に私たちが加担して、文学的な営みを放棄してしまってはならないはずです。
文学部による文学僭称的なものへの疑念
上記に述べた文学部不要論に対する批判は、文学部の擁護ではなく、文学と文学研究への擁護という形を持っています。例えば、東京大学文学部はそのホームページにおいて、「学問と社会の現在とこれからを考える」という一連の記事を公開しています。そこにおいて、なされるいくつかの記事は文学の擁護であり、文学部の擁護ではありません。
そして、文学部と文学的な営みとの同一視の根底には、文学部のある特権的な振る舞いがあるのかも知れません。そしてその振る舞いは文学的なものをより貧困にしている可能性があるかも知れません。ここではその可能性について述べます。
私の文学部不要論は文学部という機構についてなされているのであって、つまり大学で文学をする研究者のためにポストと金を与えないといっているのであって、文学と文学研究を否定したり、その価値を貶めることにはなっていません。
ですから、この文学部不要論に対する有効な反論は、純粋に雇用の問題に依拠するはずです。文学部の教員と文学部が生む雇用を保護するために、一義的には文学部不要論は反論されるべきです。そして、(もしそのようなものがあるならば)文学部の機構としての社会への有益性によっても二次的には反論されるべきです。
文学的な営みは文学部の範疇で決して収まるものではないはずですが、文学部不要論の際に擁護される対象は文学部ではないのです。多くの場合、文学そのものが擁護されているのです。しかし、そのような擁護はカテゴリーミステイクなのです。
文学部不要論において擁護されるべきは文学部という機構であり雇用であり、端的に労働者と学ぶ者の権利であるべきです。文学部不要論の批判として相応しいのは、文学の擁護ではなくて、文学部教員と学生の権利の擁護、さらには文学部の社会に生み出す何かしらの価値に基いてあるべきです。
しかし、文学部不要論の反論として、文学礼賛がなされてきたというならば、それは文学部と文学的営みの過剰な同一視がもたらしたものであり、その同一視は、「文学的な」大学構成員が自身があたかも「文学」を語る特権があるかのように振る舞っていることに由来するかもしれません。
そのことは、文学部不要論について自分自身の生活の問題として捉えて、それを問題化しなかったことのみならず、自分自身の生活とは直接的に関わりのないはずの文学の問題として、文学研究の問題として捉えて、問題化する「文学的な」傾向に現れているのかも知れません。
本来、この二つは分離して考えられるべきものです。しかし、それを、文学部に関わる一部の人たちは、意図的に混同しているような気がします。これは、教員にせよ、学生にせよ文学部に属する人たち(それは私も含みますが)による文学と文学研究への僭称であると言ってよいかも知れません。
文学部が文学と文学に関わる営みの全てを代表するかのように振る舞うことがあってはなりませんし、そのような僭称こそが文学本来の価値を貶めることになります。文学部に属する人たちこそが、あるいは文学部の存在こそが、文学との向き合い方をより限定的にそして貧困にしている可能性があります。文学を最も手段として扱い、文学を最も生活の糧にしうる罠があるからです。
この点に関連して、文学と文学部とのカテゴリミステイクに関連して、あるいはその背後に潜む文学部による文学的ななにがしかへの僭称に関連して、それを自省する目的からも、文学部の学生や教員によって、文学部不要論が再び検討されて然るべきだと思います。
また、文学部という組織によって文学が扱われること、そしてその組織が「稼げない」ことによって、資金調達のためにさまざまな外部のアクターたちの意図を反映しなければならないこと、それによって文学者たちの学問の自由が低下していくこと、これらは文学部という組織に関わる問題であって、文学に関わる問題ではありません。文学の将来を考えるならば文学部は「稼げる」方向性を模索し、より外部勢力と無関係で、自由な文学への向かい方を考えるべきです。
開かれた文学的な仕方へ
私の文学部不要論は、文学部という経済的な組織についての疑念に関わるものであり、その疑念は極めて通俗的な功利的なものです。全く文学の問題とは関係がないのです。
あるいは、文学部があってもなくてもという言葉は、文学研究という営みが大学でなされてもなされなくてもと言い換えることができます。この営みが大学でなされることはむしろ、文章を扱うすべての当事者にとって不幸な事態であるかもしれないのです。
というのも文学あるは文章に関わる行為は、今日、さほど特権的なことではありません。そのような今日の文学事情において大学は一体どれほど重要なのでしょうか。大学において局所的文学が行われることは一体どいう利得が大学側に文学側にあるのでしょうか。
書くことはもとより開かれているはずですし、そういった書くことのメリットから人々を排除するような語りが文学部で蔓延しているとすれば、非常に残念でなりません。文学部不要論は文学の価値を十全に保護する上でも十分検討に値する考えだと思います。
総合知がいかに可能か
他方、文学部がどうあるべきかという規範に関わる問題的について、述べることにしましょう。まず、第6期科学技術・イノベーション基本計画の諸文書の示すところによれば、人文学という言葉はたいてい「総合知」という言葉と共に使われています。
それは自然科学に応答可能な学問として、自然科学の諸問題を検討する際に、参照可能な学問として、人文学を構築することを求めています。しかし、それには非対称性があります。自然科学の側にも、人文学の参照を可能にする仕掛けがないにもかかわらず、参照可能性の低さを人文学固有の性質のように語っているからです。
今日科学技術の発展は目覚ましいものです。そして技術が私たちにとって不可欠なものである以上、その理解に科学のごく基本的な知が共有される必要があります。とはいえ、自然科学の側にもそういった知を専門外の人に共有することを可能にする言葉遣いをする傾向は低いように思われます。
総合知という言葉自体は、人文・社会科学と自然科学の融合を謳うまっとうなものですが、その言葉が使われる文脈は、人文学の参照可能性を高めることを求めているものです。しかし、人文学が本当にイノベーティブであるためにも、自然科学や社会科学が参照可能性を高める必要があるのです。人文学の参照可能性の問題は、人文学のみの問題ではないのです。
他方、言葉遣いのわかりやすさがもたらす弊害もあります。あらゆる学問の言葉遣いが、それぞれで独自であるのは、人間の生涯が有限であることに根ざしています。定義された共通の専門用語を用いることで、かつてあった議論をすぐに参照できるようにしています。長々と説明する必要がありません。実に時間の節約という点に適っています。もし、この伝統を廃して、わかりやすさを求めた場合、一つの学問を習得するのに要する時間が膨大なものとなるでしょう。
とはいえ、定義された言葉は、言葉自体の重みを失っているかも知れません。言葉本来の意味に関わらず、定義された意味によって動くからです。結局それは何なのかが分からなくなるのです。そして、そのような言葉遣いは私たちの日常的な感覚、身体的な感覚とは乖離したものとなるかも知れません。その場合、私たちは言葉によって言葉が参照されるその連続の中に身を入れ込み、本当は世界について何も知っていないのかも知れません。
とはいえ、そのような知の体系によって、私たちの身体感覚が十分に把握されないからといって、私たちの身体感覚が知でないはずはないのです。身体感覚に根ざした知がないかぎり、well-being といった事柄に対処することはできないはずです。
第6期科学技術・イノベーション基本計画の諸文書は、well-being やこころの問題について、人文学の応用を期待しています。しかし、人文学の言葉が言葉を参照する知の構造は、well-being やこころの問題とはかけ離れたものです。もう少し言葉を選ぶなら、well-being やこころの問題を扱っていながら、それもまた言葉の世界に落とし込まれるものなのです。身体感覚に根ざした知、少なくとも医学や料理の技法を超えるだけの、身体感覚に根ざした知が人文学において構築されない限りは、人文学は well-being やこころの問題に資することはないでしょう。
仏教は well-being やこころの問題について扱っています。しかし、サンスクリットの原典に向かい合う限り、言葉で言葉を定義する姿勢が強いのです。人間の知の営みに、仏教が回収される以上それは当然のことです。とはいえ、仏教の学問伝統とは別に、こころの問題について、仏教をその基礎として考えたときに、身体感覚への忠実さ、身体感覚を問題化できる姿勢があってもいよいと思うのです。
5.初めての本郷通い、3Sの思い出
印哲デビュー
駒場から本郷に進学して、最初は少し感動しました。というのも、私が非常に憧れていた場所だからです。印哲の研究室はいつもいい雰囲気です。演習も結構好きで、文章を翻訳したり、考えたり、眺めたりすることも結構好きだったことに気づきました。
とはいえ、東大の外にある事情を知るにつれ、こういった学問ユートピアがかつての形のように残ることはないだろうと感じるようになりました。そういった雰囲気も感じた季節ではありました。また、仏教学への不信もその一つの理由です。
ごく近い将来のビジョン
当面の間、仏教学の持つ限界を克服するため、仏教学における組織神学的アプローチを導入し、仏教学および宗教学の分野で研究しようと思います。おそらく活動拠点は米国になると思われます。
ある程度宗教内部の課題がはっきりしたならば、国際機関で宗教外交(Religious diplomacy)やこの国の機関の宗教政策に関わり、宗教間対話や平和構築といった政治的課題へと乗り出していきたいです。
政治的方法による限界が明らかになったならば、宗教教育に基づく幼稚園を作り、霊性に関わる事柄について幼児教育を試み、そして小中学生についても幼稚園の発展となる霊的な教育と対話を促したいです。これは心の清らかさに関わる問題であり、主に神道に基づいた幼稚園にしたいです。そして、あらゆる政治的、世俗的な宗教団体の意図や洗脳的なものから独立するために、かなり強力な資金力を持つ財団を設立したいと考えています。
広島へ
今年もまた、いくつかの理由で6月あたりに私は非常に暗いものを感じるようになりました。毎年6月あたりは私にとってそういう時期なようです。親や親しい友人が私を励ましてくれなかったら、そして高野山と広島に行っていなければ、奈良公園と宮島で鹿を見ていなければ、私は到底立ち直れなかったでしょう。広島では多くのことを学びました。鹿と先生方のおかげと心から感謝します。
今学期のテーマ
今セメスターの学問上のテーマは、ウェンサパとノルサンという二人のチベット人仏教者の著作とそこに示されるあるユニークな幻身への見解です。これについては、あまりうまく研究が進んでいないのが実情です。
同時に、今セメスターは、友人の影響で語り得ること・語り得ないことをテーマとしていました。特に、死にあって人がどのような言葉を語るのか、あるいは語れないのか、語れないことはどういう意味を持つだろうか、といった問いです。死や苦しみへの眼差しを大切にしていこうと思っています。
さらに、個人的な関心は、真理の語られ方、特に宗教的な文脈において真理はどのような意味を持つのかということもテーマとしていました。真理的な世界と意味的な世界に世界の様相を区分し、真理的な世界においては、意味は二次的で、意味的な世界においては真理は二次的である、そのような前提に立ったとき、私は意味的な世界を選択し、複数の個々人に現れる意味をメタに把握するたった一つの場が真理へと近づいていく運動を歴史として捉える、いわば弁証法の変種的な歴史への関心持ちました。
これらのテーマの中で後者二つは、仏教学とは関わりません。私はこのようなテーマ設定をした理由は、より多くの人と対話をするためにありました。自分の考えがどれほど変わっているかを成長の指数とするならば、成長のためには、より多くの考えの違う人との対話は欠かせない気がしたのです。
実際、このテーマ設定は不評ではありませんでした。多くの人が少なからず問題意識を持っているようです。とはいえ、この対話に応じて長い時間語り合ってくれた人は、わずかに数人でした。同時に、人数の多さは問題でないと思いました。重要なのは、納得できない相手の主張について、どのようなところが腑に落ちないのかを互いに考える過程だと思います。そして、できるだけ少ない点について相違点を明らかにし、その点を主題に対話するという仕方です。他者と私という同じ人類であるにも関わらず、他者の考えについて、私が理解できないこと、共感できないこと、そういったことを発見できるとは喜ばしいことです。そうなってはじめて私にとっての他者の意味が明らかになりつつあるからです。それは時間がかかることで、何百人とはできないものです。
トビタテ留学JAPAN の採用
1年生の夏休みはずっと家にこもってチベット語の勉強に費やしました。しかし、それはあまりに暑すぎました。長期休暇を東京で過ごすのはやめようと思いました。1年生の春休みは、蔵王にスキーに行き、佐賀に観光に行き、大阪で過ごしました。大学2年生の夏と春休みは高野山で四度加行に捧げました。大学3年の夏休みとAセメスターは、インドにあるチベット僧院ギュメ学堂に留学します。
留学にはお金がかかります。そのような金銭的余裕は私にも私の家庭にもありません。そこで、文部科学省のトビタテ留学JAPANに応募しました。この応募を通じて、自分の留学の動機についてよく考えることができました。
2023年の5月ごろにインド行き奨学金の相談を東大留学フェアで相談し、トビタテを勧められました。2023年11月あたりから書類を用意し始め、2024年1月あたりに書類を完成させ、提出しました。2024年4月あたりに一次選考を通過し、2024年5月に二時選考(面接)がありました。2024年6月に結果発表があり、合格しました。倍率は5.2倍とかなり高かったようです。そこから留学の細かな手続きを始めました。留学は高校時代にしていましたが、国費留学は人生初めてです。
インド・チベット留学の経緯
今回、夏秋留学するのは、インド国内にあるチベット仏教僧院、ギュメ学堂です。ギュメ学堂は、チベット仏教最大の宗派ゲルク派の密教の最も中心で最高の教育、研究機関です。
今回の留学先とのコンタクトにあたっては、日本の法王代表事務所のサポートによるところが大きかったです。チベット難民地区に入るための許可証(PAP)の取得、Visa の取得など多くの書類が必要でしたが、それらも問題なく取得することができました。
ギュメ学堂では、基本的な仏教文献と密教を学ぼうと思います。また、チベット政府の暫定的な本拠地ダラムサラでフィールドワークを行い、自国の教育を国外にあってどのようにしているのか探りたいと思います。
チベット密教の特徴は、死に向き合うことにあります。死ぬ直前・直後の意識状態を利用して成仏しようという発想があります。それは具体的には、རྫོགས་རིམ་ と呼ばれています。それらを将来的に伝統的に僧院で師僧について学ぼうと思います。
これら死についての語りは、人間の死への語りの資源を再生させるものです。死について語る方法を、チベット密教の研究を通じて、模索しようと思っています。これらの研究がうまくいけば、人間の死生観にある程度の変革が生じるかもしれません。死生観の変化は、人間の文明をよりよい方向に導くかもしれません。これは生きとし生けるものの幸せにつながると信じたいです。
とはいえ、以上の死についての語りの前に、まずは、生きていること、人としての人生の得難さ(མི་ལུས་རིན་པོ་ཆེ།)について認識する必要について注意を促そうとも思います。そして、人の生の儚さを知った上は、この素晴らしい状態を生かして、より自他に有意義な活動をしようと思うのです。そういった生への注目があって、初めて死への語りが生きてくる予感があります。
全ては進行中です。私の身の回りにあまりにも多くのことが起こっています。そして、私の留学プロジェクトは多くのことを私にもたらすでしょう。ここで私が書いたことは将来の私の経験によって容易く超えられ、裏切られるかもしれません。それも密かに期待しています。そして、何が私の身の回りで起こっていたかについて、今分からないことが後に分かれば素晴らしいことです。
生きている意味は事前に切望され、また同時に後になって分かるようになるものだからです。
本郷にて。一切有情は安らかであるように日本から祈願を込めて。
2024年7月17日。
乾 将崇、頓首。