依存先を減らした今の人生
ずいぶん前に依存先を減らすを掲げて生きてきた。
今の自分はとても好きだ
依存先の絞り込みに成功したからなのか、すごく穏やかに暮らせているから
会いたいときに会いたい人に会い、出会いたい時に出会いたい風景に会いに行く
仕事も自分の生活を中心にしているし、心が常に穏やかだ
大事にしているものを書き出してみる
まずは家族
そして仕事
最後は自分の時間
家族のありがたみや大切さ、死ぬまで続く無償の愛
父、姉、義兄、甥、にゃんこの誕生日会を必ず全員で祝い、旅行はまちまちだけど、家族と過ごす時間は格段に増えた
全員が毎日歳をとり、今が一番な時
毎日が一番最新
できる事はなんでもしたいと思う
親は必ず召される
そして私も
それが今日かもしれないし、10年後かもしれない
だから一番の自分で関わっていきたいと思う
一生100点の仕事はできない
だからこそ今の100点で臨みたいと思いながら
お客さまと接している
体力も集中力も落ちている
でも経験値は上がっている
ならば、学ぶことに精一杯依存してクオリティを上げ続けよう
学びには天井がない
できる事だけしていても、学ぶことは溢れている
学ぶ内容を絞って自分の100点をどんどん上げていける
好きな仕事を自分の一部にすると決めたときから終るまで100点のブラッシュアップ
自分の時間の使い方をずいぶんと見直した
会ってないけれど会いたいと思える人が数人に絞れた
5年くらい会っていなくても寂しくない
でも生存確認はちゃんとしてる
ああ、元気でやってるんだなと安心できる
人の時間は有限だ
その中で時間を使う相手は本当に使いたい相手でなければいけない
だからこそ、本当に会いたい時に会いたい人と時間を共有する
若いときは誘われればフットワーク軽く出かけ、ダラダラと世間話をしてバイバイする
その時はそれで楽しかったし、会話に中身がなかったとしてもそれで良かった
ただいつまでもその関係は続かない
結婚、育児、仕事
人生の中の優先順位が変わるときがくる
そうなった時、何にお金を使い、誰に時間を使うかを考えなくてはいけないなと思う
自分の時間をいかに有益なものにするかは自分で決められる
週末1年ぶりに友人と会う
どんな場所で何を食べよう
彼女の趣向は変わっているだろうか?
仕事終わりに会うからカジュアルなお店がいいかな?と
これが久しぶりに大切な友人と会う高揚感だ
とっておきの気分で会いたい
依存先だったものや行動を外すとものすごく時間が大切に思えるし、毎日が本当に充実してきた
だからといって依存するものや行動が0になったかというとそうではない
こだわりたいことや重要視したいことはちゃんとある
ただ、人生において依存先は時に流動的で一生のこだわりでなければ自然に消えていく
残っているものが依存すべきものなのだなと日々思う
本に囲まれて死んでいきたいと思うのならば、好きなだけ読み、時間を本に費やすことが出来れば本望
私も本はよく読む
いろいろな本に出会いたいと思うし、読んでいる時間はとても穏やかだ
でも、本がこの世からなくなりましたと言われれば、あーそれは残念
それ以上はないし、じゃあ出版社を立ち上げよう!とまでの熱量は持てない
推し活も腰が曲がってもグッズを買ったり、ツアーを制覇したり推し続ければ本望
実際のところ私も推し活を続けている
まだまだライブハウスに行き飛ぶし叫ぶし暴れている
ただ、それは推しが活動をしているからであって、解散したらそこで終わっていくんだろうなと思う
だからこそ、一生の決められた時間の使い方を考え、今まで有意義だと思っていた時間を見直した結果、依存すべきものはとても少ない
ただ今しか依存できないものというのは思いのほか重要で、その先のことを考える余裕もなく夢中になれるエネルギッシュなパワーが秘められている
だから、依存先は人生の中で移り変わり、歳を取るごとに整っていくものだと思う
無理に整えなくても、人は考える力が備わった生き物で自分の中のいるいらないスイッチの切替ボタンの決定権を持っている
自然の流れで大切なものしか残らない仕組みなのだなと実感した今の生活は今までの人生で一番だ
だから明日も最高の一番で過ごす