ねかしつけ
『どうしても、一緒に寝ちゃうんだ』
旦那さんが娘のねかしつけチャレンジをして3回目の昨晩、悲しそうにぽつりとそう言った。
はじめ私はなんでそんなに落ち込んでいるんだろうと思ったのだけどよくよく聞くと、どうやら自身の不甲斐なさからきているらしい。
これはいけないと思ったので
今日は『ねかしつけ』をテーマに少し掘り下げようと思う。
うちの夜のルーティンは⬇︎
19:30 旦那さんと娘入浴
20:00 就寝前の授乳
20:30 寝かしつけbyわたし
21:00 わたし入浴 旦那さん夕食準備
21:30 夕食
だいたいこんな感じ。
夕食の時間が遅いのは自覚はある、ごめんなさい。
ありがたいことに娘の寝つきは物凄く良いので寝かしつけという寝かしつけ作業はなく、タイミングさえ合わせれば
“ただ同じ布団で横になる”
それだけで彼女は寝てくれる。しかもものの10分程度で。
子守唄もポンポンもしない。
経験上喜んでしまうので無視はしないが基本我が家の寝かしつけ係は“親の形をした湯たんぽ”として添い寝するのが主な仕事になる。
きっと旦那さんにとっては摩訶不思議な現象だったに違いない。
じゃあおやすみ、と寝室に入ってから10分程度でケロリと戻ってくる私には魔法でも使えるんじゃないかと思ったそうでその時から『母乳の催眠作用すごい』『母親最強』『とうてい自分には無理だ』と無自覚に彼からは自信がなくなっていったと思う。
しかしそんな旦那さんを後目に私は彼に寝かしつけチャレンジしてみないかと提案してみたのです。
『隣にいればいいの?』
『そう、少しくらい叫んでも基本背を向けて寝たフリしていれば寝るよ』
…思えばもう少し丁寧にレクチャーしてあげていれば良かったのかもしれない。
(この時の私にしたらこれ以上ない丁寧さだったのだけれど)
1回目 共に就寝し30分後帰還
『ごめん寝ちゃった…』
犬星:すごい!できたじゃん!寝ちゃう寝ちゃう!ふつうだよ!
物凄く褒めちぎりました。
2回目 寝ず、失敗
『やっぱり興奮してたから無理だった』
犬星:そっかそっかそういうひもあるよね!あっそうだ映画でも見ようよ。きっとその間に娘も眠くなるよ。
励ましてみました。
3回目 共に就寝し20分後帰還
『どうしても、一緒に寝ちゃうんだ…』
そう、まだ3回。たった3回。
でも、彼にとってはされど3回。3回も挑戦してみた。
そんな気持ちなんだと思う。
きっとよそでは
自分の子供なのに、とか
母親ばっかり、とか
なに甘えたことを言っているんだ、とか
色んな意見があると思うのだけれど
うちでは旦那さんに対しては“物凄く積極的であれ!”というわけではなく
楽しく無理なく“続けられる子育て”をモットーにしているので
3度の挑戦は“称賛”になる。ありがとうの対象になる。
彼の立場からすると
奥さんなら10分で軽快に降りてくるのに
自分が寝さえしなければ夫婦の時間もできるのに
せっかく娘が寝付くのに自分まで寝てるなんて
“ねかしつけが上手な奥さん”とそうでない自分を比較してしまうのだと思う。
もちろん子育ては比較するものではないのだけれど
足並みを揃えたいと思うとどうしても比べてしまうのは仕方のないことだと私は思う。
けれどそれが積み重なると困るのが
上手な人に任せれば効率的だ、という結論にたどり着きがちということ。
そうなると、まずい。
それが一生続くともっとまずい。
足並みどころか家族というグループにすら彼は参加しなくなってしまうかもしれない。
子育てはだいたいは夫婦でしか(SNS等で誰かに報告したりしない限りは)共有ができないコンテンツにも関わらず
お互いが認めてもらいたいし褒められたいし応援されたいのに”スマートにできて当たり前”になるとプレッシャーとハードルに負けそうになる。
いわゆる自分の中の"理想の自分"にかけ離れると、人はその分野から逃げ出したくなるものだ。かといって育児は逃げ出す訳にいかない。だから苦しいし難しいのだと思う。
なので犬星としてはそうならないためにも彼を肯定し続けてありたい。
そんな3回目の昨晩の犬星はーーー
犬星:すごいじゃん!母乳なしで寝かしつけちゃうなんて!しかも前回よりも早く戻ってきたよ!すごい!ありがとう!
褒めちぎり&前回からの改善点を具体的にあげて褒めてみた。
褒めちぎられた旦那さんはと言うと
『そうかなあ』といいつつも満更でもない様子。
お互いまだまだ新米のパパとママ。これからも彼が子育てに、少なくともねかしつけに対して苦手意識なく挑戦してもらえるように足並み揃えて取り組んで行こうと思う。