死にたいと言えるほど生きてない
最近なんかいい事ありました?と聞かれたとして、私は何も言うことができません。
かと言って悪い事もないから話を広げることもできないっていう。
努力をしようと思っているのですがそもそも日々を生きることにリソースを割いているのでそれが既に努力なのではないかと思いつつあります。
昔から努力をしたことがない、というかしたことがありません。
努力してない人間が落ちぶれるのは当然のことで、人とのコミュニケーションを避け続けてきた私は中学で馴染めず、不登校になりました。
一応明るく振る舞おうとはしていたのですが、程度を間違えたのか、部活仲間からの陰口を聞いてしまい、メンタルが弱い私はすぐに壊れてしまいました。所詮中学生の悪口なんて大したこともないのですが、親がつけてくれた名前に関しての悪口には耐え難い屈辱を感じました。
そもそも人に心を開いたことがこの二十年間で一度もないのではないかとも思い始めました。血の繋がっている家族を含めてもです。
昔から他人のことを理解しようとはしていましたが、当然ながら感情が高まってしまった人間のことは理解できずにいました。
なぜこんなにも脈絡のない言動をするのか?
もちろん思い返せば自分が激昂してしまった時もなんのコンテクストもないような言動していた事はあります。しかし自分のことも理解できませんから、当然他人も理解できません。
不登校になってからは、約二年間病院以外の用事では外に出なくなりました。しかし、さすがに勉強をしないと高校に進学できないなとなり、相談室登校からでも中学に通うべきだと先生に説得され、相談室登校を始めました。
結局、教室に行くことは二度とできませんでした。
自分のようなドロップアウトした人間がまた人と仲良くなれるとは思ってなかったからです。実際に今もそういうものなんだと思っています。
高校に進学しても信頼できる友達というのはできませんでした。そもそも自分のことも信用してないので、そんな人間が他人のことを信用できるわけもなく、表面上の薄っぺらなコミュニケーションばかりを続けてきました。
今現在は二浪中で、大学に行きたいと思い日々勉学に勤しんでいますが、なんでこんな人間になってしまったんだろう、なんで生まれてきてしまったんだろう、胎内で死んでおけばよかった、私が生まれてきてしまったから母親と兄が不幸になってしまったんだ。と日々思いながら生きています。生きているというよりは死んではいないという表現の方が正しいのかもしれません。
周りの友人たちはやはり私とは違い、コミュニケーション能力も容姿もユーモアも持ち合わせている人たちが多く、自分がどれだけちっぽけで必要とされない人間なのかと考える事が多いです。友人に連絡を入れようと思うときもありますが、浪人生である自分よりも相手の方がもちろん忙しいんだと思い、連絡を入れることを躊躇してしまいます。
実際に自分から連絡が来ても迷惑なだけでしょうし、友達でいてくれるだけで感謝するべきだと思っています。
私も生きてていい人間になりたかったです。