随筆(2020/7/21):解像度を意図的にうまく下げる行為としての要約
何か見たり聞いたりして、解像度を上げて、丁寧に掘り下げる行為が、あるじゃないですか。しゃぶりつくすには必要な工程です。
しかし、その中から、特筆すべきことを要約する。となると、逆に解像度は「下げる」ことになる。
解像度を下げて、なおその上で残ったものは、たいてい「特筆すべき」ところです。
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全体の中でも、「特筆すべき」ところというのは、いろいろありますが、たいてい以下のようなものがそうです。
「全体の印象を左右するだけの迫力がある」
「正常な実例、サンプルとして適している」
「それを抜いたら骨格が成り立たなくなる」
「それを抜いたら全体像が見えにくくなる」
もちろん、迫力のあるものは、迫力だけで訴求力がある、アピールするので、これはわかりやすい。
しかし、残りの3つは、しゃぶりつくしてから初めて分かるところが多い。
なので、本人は、一旦ものの見方の解像度を、上げてから下げる。という湯冷まし水みたいな工程が必要になります。
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これらを駆使したら、ものすごく人を駆動するレビューが書けるんじゃないかな。
いつか、また、やっていきたいですね。これは宿題とします。(俺への)
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ただ、解像度をうまく下げると、抽象化はメチャクチャうまくなりますし、万人に伝わる度合いも上がりますが、そこで得られた普遍性にあまりこだわってはいけません。
面白いレビューや面白い話を書きたいというのが要で、そのためにたまたま使ったネタは、それを好む人も嫌う人もいるのだし。
逆に、誰しも嫌いにくい「最高に普遍的」なネタだからといって、それが「最強に面白い」とも限らん。
というか、何らこの二つが一致している保証はないし、あると信ずべき理由にも乏しいようにしか見えないが…
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最強を目指す人は、たいてい『シャーマンキング』の最強とは言えない味方・ホロホロと、『グラップラー刃牙』シリーズの事実上最強存在・範馬勇次郎を麻酔銃で狙撃した腕っこきの狩人(ハンター)に、舌打ちをさせられたことがあるかもしれません。
どうしたって、環境や、相性は、あります。
環境も、相性も、単なるステゴロ最強で蹂躙出来たらナメプ出来て安全安心かもしれないが、そしてそういうのが好きな人もたくさんいるだろうが、「ナメてんのか?」と白ける人もかなりいるでしょう。
「そういう都合のいい強いやつがいてもいいじゃないか」というのは、そういうお約束の中でだけ通じる絵空事です。
お約束がなければ白ける話に、普遍性、あるか? ないだろ?
(お約束と普遍性の話を数学に向けると、ちょっと面白いのだが、寄り道になるので、今回はやめときます)
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ひょっとして、万人が喜ぶネタというのも、ひょっとしたらあるかもしれない。
が、それが「今転がっていない」のは、それが「面白さが弱すぎて」生き残れてないからかも知れないので。
「無個性」でかつ「世界で一番面白い」?
無個性と普遍性をものすごく突き詰めて天下取った、星新一の作品でも、もう時代を感じさせるものもかなり多い。
それらを裏漉ししたら、本当に「無個性」で「世界で一番面白い」が出来るかも知れない。是非どうぞ。やって出来るか出来ないかで言えば、出来るやつなので。
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ただ、そういう真に普遍的な作品が天下取ったとしても、それは「解像度をものすごく下げた結果残った」面白さであり、「解像度が高いことによってもたらされる」面白さは掬い上げられない訳だ。
要は、しゃぶりつくす楽しみは、ふつうの意味では、出来ない。(清水の味を味わいつくすような楽しみになるが、これはこれで万人が出来る話ではなくなる)
だからこそ、普遍性の話に、あんまりこだわっちゃいけないんですよ。
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抽象や普遍と、具体や個別の解像度を調整して、具体や個別において抽象や普遍の良さをもたらそう。というのは、もちろんまた大事な営みです。上で述べた普遍性の弱点も克服できる。
だが、これはこれで面倒だ、ということはもちろんです。
やりたいか? 俺はやりたい。○なないようにしなきゃな…
(翻訳(解釈)行為無しに原典(宇宙の法則世界の基本)を覗いてみようとしたら○んだ人)
(象のごとき主流にTOTSUGEKIされて○にはしなかったがそれよりある意味ツラいことになった人)