数学(2022/6/21):キューネン本2冊についての記事_10.ZFC集合論の公理のリスト_8(基礎公理と、そのバリエーションとしての「数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張」と、基礎公理と等価である命題全般)
1.『基数としての自然数全体の集合』までのロードマップ(続き)
1_0.『基数としての自然数全体の集合』の構成の下準備
今から数回かけてやることとは、『基数としての自然数』から『基数としての自然数全体の集合』を構成することです。
そのために、前回説明した『順序数としての自然数全体の集合』のみならず、『有限基数より大きい基数』という考え方が必要になります(後述)。
そして、『有限基数より大きい基数』を構築するメインルートの各段階は以下の通りです。
『集合一般における濃度』
『濃度における超過』
『集合一般における基数』
『基数における超過』
『有限基数より大きい基数』
これらを適正に構成するために、かなり長い寄り道をせねばなりません。
とはいえ、目に見えるロードマップは存在しますし、そのとおりにいけば、ちゃんとたどり着けます。乞うご期待。
***
さて。
これまで、『特に順序数における基数』や『基数としての自然数』の話をしてきました。
そもそも、なぜ『特に順序数における基数』に、前回構成した『順序数としての自然数全体の集合』、"omega-0" を適用して、『基数としての自然数全体の集合』、"aleph-0" を作るのでは飽き足らないのか?
それができるのなら、上のような5つの工程自体が、そもそも要らないのではないか?
***
単純に考えればそうですが、これだけでは、知られた性質、
「『基数としての自然数全体の集合』は『基数としての自然数』より大きい基数であること」
の説明ができません。
これが言えるようになるには、基数における狭義全順序関係(超過未満)が定義できなければなりません。
この基数における狭義全順序関係は、「特に順序数における基数」であろうと、「集合一般における基数」であろうと、一貫して通用しているべきです。
そのためには、「集合一般における基数」の話は、やはり避けられません。
同様に、「集合一般における基数」を構築するために、「集合一般における濃度」の話もしなければなりません。
恐ろしいことに、このためだけに、今回も含め、4回も記事を費やすのです。
いつかはたどり着くので、気長に、しかし着実にやっていきましょう。
というのが今回以降の記事の問題意識になります。よろしく。
1_1.基礎公理
1_1_1(下準備).共通部分
ある集まりとある集まりの共通部分が欲しいことがあります。
例えば、{2, 4, 6, 8, 10, 12, 14} と {3, 6, 9, 12, 15} の共通部分は {6, 12} である、といった使い方がしたい訳です。
共通部分は内包公理図式で保証されます。
「ある集まりに所属する要素で、別の集まりにも所属している」
条件を満たすクラスを用意すればよいのです。(実際そういうことに他ならないのですね。)
どこかで見たような話ですね。
差集合は
「ある集まりに所属する要素で、別の集まりには所属していない」
条件を満たすクラスなのでした。
このため、元々の集まりは差集合と共通部分に切り分けることができます。
欠けのないリンゴをかじったときに、リンゴと自分の共通部分は自分の口の中に、リンゴと自分の差集合はかじられた後の欠けたリンゴの側にある、と考えて下さって結構です。
1_1_2(ZFC集合論の公理9_1).基礎公理
「ある集合が別の集合に所属しているとき、ある集合の要素と別の集合の要素は共通部分をなさない」
***
さて、今回は基礎公理とそのバリエーションの話をします。
基礎公理はZFCの提唱者ツェルメロや改訂者フレンケルではなく、フォン・ノイマンが提唱した公理です。
これは何かというと、ある種の集まりを集合としては認めないための措置です。
「aがbに所属して、bがcに所属して、cがaに所属するような集合たち」や、「自分自身を所属させる集合」が、これによって禁止されます。
(実際にやってみると、これらは基礎公理に抵触することが分かります。)
即物的な有難味はなさそうに見えますが、これをすることで、結果的に安全に数学的対象が作れることが、後になって分かります。
それに、キューネン本では言及していませんが、意外なところで効果が出てきます。
『集合一般における濃度』の構成法の1つに使えるので、最終的に『基数としての自然数全体の集合』の定義に効いてくるのです。
とはいえ、『集合一般における濃度』の構成に実際に使うのは、基礎公理のバリエーション、『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』です。
次の項目ではこの話をします。
1_2.基礎公理のバリエーション、『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』
1_2_1_A(成果物の下準備).万有クラス
と言いたいところですが、そのためには、「集合全体の集まり(あるいは同じもののことだが、集合全体のクラス)」、『万有クラス』の話を、まずしなければなりません。
***
万有クラスが存在したと仮定したならば、いかなる集合を構築しようとも、それは万有クラスの要素になってくれます。
あれば非常に便利なのですが、ここでZFC集合論を堅持すると、問題が生じます。
***
ラッセルのパラドックスのことを覚えていらっしゃいますでしょうか。
内包公理図式の前に存在した、条件抜きの素朴内包公理図式がどのように問題ありだったか、の説明に使ったものです。
あの時は
「この集まりは自分自身を所属させない」
という論理式を使うと、結果的に矛盾が生じる、という話をしたのでした。
そして、内包公理図式は、
「結果として生じる予定である集まりを、論理式に含んでいてはいけない」
という制約を課すことで、素朴内包公理図式のもたらす矛盾を回避できる、という工夫で成り立っているのでした。
上の論理式に従う「自分自身を所属させていない集まり」(仮に「ある種の集まり」と呼びます)のクラス、「自分自身を所属させていない集まりの集まり」(仮に「ある種の集まりのクラス」と呼びます)を、素朴内包公理図式によって作れるように思います。
しかし、実際には、
「ある種の集まりは、ある種の集まりのクラスに所属している」
という前提があると、矛盾してしまうのでした。
ここで、
「ある種の集まりは、ある種の集まりのクラスに所属している」
という前提は、
「そもそもある種の集まりのクラスは、素朴内包公理図式によって期待される生成物であり、生成物を条件にあらかじめ組み込んではならない」
という制約で禁じることができます。これが内包公理図式の意義です。
禁じた結果、
「条件となる論理式の時点では、ある種の集まりは、ある種の集まりのクラスに所属していない」
し、
「そもそもそのようなある種の集まりのクラスは、ZFC集合論の観点からは、集合として存在を認めない」
ということになります。
***
さて、全ての集合は、万有クラスに所属する要素である。という仮定でした。
原理的には、これに他の公理、例えば素朴内包公理図式や内包公理図式を組み込んでもよいのです(この時点ではまだ禁じられていないから)。
また、ある種の集まりが集合の要件を満たすと仮定した場合、全ての集合の中にある種の集まりが包含されているはずです。
しかし、
「全ての集合は万有クラスに所属する要素である」
という論理式に、例の
「この集まりは自分自身を所属させない」
という論理式を組み込んだら、問題が生じます。
結果としてある種の集まりのクラスができてしまう訳です。
万有クラスはある種の集まりのクラスを包含しているはずでした。
しかし、これは素朴内包公理図式による矛盾をもたらすので、内包公理図式の方では禁じていたのでした。
つまり、万有クラスはある種の集まりのクラスを包含できないのです。
万有クラスはある種の集まりのクラスを包含しつつ包含できない。
これは、端的に、矛盾です。
そうなると、そもそも
「全ての集合は、万有クラスに所属する要素である」
という仮定を放棄するしかありません。
つまり、そのような万有クラスは、ZFC集合論の観点からは、集合として存在を認められない。
***
強いて存在を認めたいのだとしたら、それはZFC集合論の外になります。『集合全体の集まり』が所属させうる『集合』と、『集合全体の集まり』そのものは、何らかの意味でレベルが違うため、『集合全体の集まり』は『集合全体の集まり』そのものを所属させられない。と考えるしかありません。こうして、『集合全体の集まり』、『万有クラス』は、「集合として都合良く扱えない、大きすぎるクラス」、『真クラス』として扱わないといけなくなるのです。
「順序数であること」
を
「仮定された順序数全体の真クラスに所属していること」
と言い換えていることがあったことを思い出して下さい。
あれと同じように、
「集合であること」
を
「仮定された万有クラスに所属していること」
と言い換えることは、今後もありえます。
ですが、実際には、ZFC集合論の中では万有クラスそのものは扱わないで済むようにしています。
1_2_1_B_0(採用しない集合論).NF集合論
累積階層全体の真クラスの話もしなければなりません。
ですが、その前に、整礎的集合「でないもの」の体系を、「この記事では完全に採用しないもの」として紹介します。
真クラスを許すNBG集合論や、クラスを許すMK集合論は、まだこの記事とは共存可能です。
しかし、今から説明するNF集合論は、基礎公理のバリエーション、『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』と相容れないため、共存できません。
「じゃあ何でそんな体系の話をするのか?」
キューネン集合論で紹介しているからです。
だから、私もこの記事で触れる必要があると考えます。
***
論理学者クワインの提唱したNF集合論は、基礎公理のバリエーション、『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』を受け入れないものです。
どういうことか。
***
ZFC集合論における『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』では、いかなる要素と呼べるものも、何らかの別個の集合です。
もしそうでない「真の要素」とでも呼ぶべきものであるように見えたとしても、それは実はたとえば、「空集合」であったりする。という説明をします。
何度も述べた順序数や、後述する整礎的集合、そして別の記事で扱う遺伝的集合が、これです。
***
ちょっとびっくりします。
実は数学的にはこちらの方が整合的であり、説明力もあるのですが、直感に反します。
ただ、直感に反しようが、説明が適正であり、より説明力を持つならば、そちらの方がいい、と割り切れるかどうかが大事です。
割り切れるなら、直感に反しようが何だろうが、
「数学的にはそちらの方が説明が適正なので、適正な方がいいです」
ということになります。
***
一方、NF集合論は、「集合でない」「真の要素」、『原要素』を想定します。
一見、ふつうの考えに見えます。
物理的なものの集まりを考えたら、物理的なものはふつう袋としての構造を持たないし、ましてやその中に何かものが入っていたりはしない、不可分の単一のものであるように思えます。
(ちなみにこれは非常に素朴な物理学の話をしています。
詳しくありませんが、おそらく専門的にはそうでない可能性があります。
「そもそも『不可分の単一のもの』という考え方が適切でない。
それは確率で表される何らかのなんかに過ぎない。
確率について論じる場合、不可分とか単一とかいう話が成り立たないような局面がほとんどである」
くらいのことは言われるかもしれません。)
***
「さて、ZFCに説明できるものを、NFは概ね代替的に説明できるのか?」
という問いが、当然あり得ます。
そして、これがどうやらうまくいかないようなのです。
ZFCでは説明できるが、NFでは説明が困難なものがかなりあるようなのです。
具体的な話はキューネン本でもしていません。だから詳しくは存じません。
ですが、この時点で
「代替するのならせめてそれくらい説明出来ていてほしい」
という感想を禁じえません。
キューネン本の記述を真に受けるならば、NBG集合論やMK集合論は集合論としての理論の代替ができるのです。
NFはできない。困ります。
直感に合おうが何だろうが、
「数学的な説明力に乏しい。説明できないものが多々ある」
以上、説明として依拠しがたいのです。
***
ということで、この記事ではNFを採用しません。よろしく。
1_2_1_B_1(成果物の下準備).累積階層全体の真クラス
さて、今度こそ、NFと相容れない最大の理由、累積階層全体の真クラスから整礎的集合まで(本当はまだある)の話をしなければなりません。
順序数に対応するある集まり、さっきから書いてきた謎の数学的対象、キューネン集合論でいう『累積階層』 R(α) と呼ぶものの話をします。
順序数が0のとき、R(0) は空集合です。
順序数が後続順序数のとき、R(α+1) は R(α) の冪集合です。
要するに、ありうる R(α) の部分集合の全パターンを、R(α+1) は所属させていなければなりません。
R(1) は空集合の単元集合{{}} すなわち {0} すなわち1ですし、R(2) は {0, {0}} すなわち2と、{{0}} すなわち1の単元集合です。
(ここから、累積階層は順序数よりもバリエーション豊かな要素を持つようになります。
例えば、順序数の場合、1の単元集合は扱わないのですね。)
(所属による)推移的集合に通じる話ですが、R(α) の部分集合が所属しているのは R(α) ではなく R(α+1) であることに注意して下さい。
ここが微妙に違い、だから(所属による)推移的集合と累積階層は異なる振る舞いをするようになります。
***
さて、(所属による)推移的集合について、集合族の要素である全体の集合の和集合をとることができます。
なぜこれが必要かというと、順序数が極限順序数のとき、R(α) は(所属による)推移的集合の集合族の要素である全体の集合に対し、和集合を取ったものと等しくなるからです。
結果的には、累積階層とは、空集合から和集合と冪集合を取ることで作られた全ての数学的対象の集合になります。
順序数は0か後続順序数か極限順序数のいずれかなので、これらと対応する累積階層も、前述の3パターンのうちのどれかです。
順序数は順序数全体の真クラスに所属するのですが、累積階層も、順序数全体の真クラスの各順序数に対応して分類されます。
***
累積階層を作るプロセスで、
「ある集合が別の集合に所属していて、いつか自分に戻ってくることがなく、どこかに伸びていくだけであるような集合たちの木」
ができます。
より正確には、累積階層は、この木の、どこかの高さでの枝の集合です。
(「木の高さ」、『ランク』の話は、後でします。)
この枝たちはそれぞれ、順序数を定義するために用いた、(所属による)推移的集合になっています。
すなわち、「所属している」ことと「包含している」ことが一致します。
なんとこんなところで再び出てくるのですね。
また、この枝たちは、高さに応じた節目がある種の一里塚とみなせるような、ある種の順序関係を持ちます。これもまた、順序数を定義するために用いた、所属による整礎的関係ですね。
順序数と同様、累積階層も、この2つを満たすのです。
(累積階層は順序数と対応しているし、順序数を包含するより大きい集合だし、整列順序を持つか持たないかにかかわらず、(所属による)整礎的関係を持つ(所属による)推移的集合です。だから、こういうことにもなる訳です。)
さて、木全体、すなわち累積階層を集めたものを、当然考えたくなります。
累積階層には順序数に対応する高さ、ランクがあるのでしたが、それらごとに一番外に集まりに包まれていると考えられます。
これを外して、つまりは高さを無視して、要素となる中の枝、構築された数学的対象を全て横並びにしたいのです。
よって、実際には集合族の要素である全体の集合の和集合を取ります。
こうして得られた和集合「を」、累積階層全体の真クラスと呼ぶことにします。
さて、さっきも書きましたが、累積階層は順序数よりバリエーション豊かな要素を持つため、完全に対応している訳ではないのです。
単射のたとえで言えば、
「累積階層全体の真クラスは、順序数全体の真クラスよりも、ものの扱いが幅広い」
ことに注意して下さい。
だからそれは、順序数全体の真クラスに比べて、より大きい、ある種の大きさを持っているべきであり、だから真クラスです。
累積階層全体の「真クラス」と呼ばれるのは、そういう理由です。
また、累積階層は、今までの定義でいう集合の一種であるので、累積階層全体の真クラスは万有クラスの部分集合ということになります。
1_2_1_X(成果物の下準備).(万有クラスにおける、所属による)整礎的関係
基礎公理に基づくと、全ての集合が、所属による整礎的関係を持つはずです。
上で、巡回的な所属を持つ集合たちや、自分自身を含む集合を禁じているのだから、例外はありません。
全ての集合が、ということは、全ての万有クラスの要素が、ということです。
要するに、基礎公理は、
「全ての集合、すなわち万有クラスの要素は、所属による整礎的関係を持つ」
という主張をもたらします。
1_2_2(成果物の下準備).推移閉包
さて、少し脇道に逸れて推移閉包の話をします。
(とはいえ後で直ちにこれを使います)
推移閉包の発想は、集合族の要素である全体の集合の和集合に依拠しています。
もう少しちゃんと説明すると、ある集まりの推移閉包とは、ある集まりを作り上げるのに用いられた全体の集合が含まれる和集合のことです。
例えば、ネットワークがあり、2つの点があり、それらの間の経路を全部集めたとします。
これがちょうど「ある点に到達するのに用いられたすべての経路が含まれる和集合」、推移閉包の例に他なりません。
(ちなみに、数学で「閉包」と出てきたら、それはしばしば「条件を満たすものたちの世界で必要最小限のもの」という意味合いを持ちます。)
1_2_3(成果物の下準備).整礎的集合
整礎的集合「一般」の「一般」を外して、個々の整礎的集合について説明します。
整礎的集合とは、空集合から始めて、いくつかの集合をとってきて外延の中に入れることを、反復して得られる集合のことです。
つまりこれは外延と親和性のある発想です。
そしてこれは実は、各順序数と対応する累積階層の、個々の要素に他なりません。
なお、累積階層全体の真クラスは累積階層の和集合であり、両者の要素は一致します。
よって、整礎的集合は累積階層全体の真クラスの要素でもあります。
「順序数であること」を「仮定された順序数全体の真クラスに所属していること」と言い換え、
また「集合であること」を「仮定された万有クラスに所属していること」と言い換えているのと同じように、
「整礎的集合であること」を「仮定された累積階層全体の真クラスに所属していること」と言い換えることは、今後もありえます。
ですが、実際にはZFC集合論の中では累積階層全体の真クラスそのものは扱わないで済むようにしています。
また、実は整礎的集合は、
「推移閉包を取ると内部で所属の整礎的関係を取るような集合」
という定式化もできます。
自分自身に帰ってきたりループしていたりしたら、これらは成り立たなくなるのです。
が、ちゃんと成り立つように作ってきたので、この定式化が問題なく使えます。こんなところでつながるのですね。
***
そして、順序数もそうですが、整礎的集合は、空集合から始まる集合たちです。
(順序数をある意味で使っている整礎的集合ですが、この中には当の順序数が含まれているのでした。ここは少し面白い性質です。)
この体系に、NF集合論の考えるような『原要素』の入り込む余地はありません。
挙げ句、今から、
「数学で使う集合は、実際には整礎的集合だけである」
という話をしてしまいます。
これこそが『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』です。
NF集合論と『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』が相容れる余地はありません。
「数学においては、『原要素』の入り込む余地のない、整礎的集合のみが存在する」
ということなのですから。
1_2_4.数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張
さて、
『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』
と称するものは、実際には記法上のテクニックであり、その意味は
「数学で使う集合は、実際には整礎的集合だけである。
先ほど挙げたような、巡回的な所属を持つ集合たちや、自分自身を含む集合に基づいている訳ではない」
ということです。
正式な証明は致しません。(長いし煩雑だから読みたくないでしょう。ただでさえこの記事のこのパートは長くて煩雑なのです。)
***
が、直ちにいくつか反論が思い浮かんできます。
考え得る反論は、要するに、
「ループする構造は作れてしまうではないか」
ということと、
「自分自身への構造も作れてしまうではないか」
ということです。
それで、これらに対して一つずつ
「実際にはそれは反例としては成り立たない」
ことを説明することになっていきます。
***
例えば、
「グラフ理論でいう有向グラフで、巡回的なものが作れるではないか。ジャンケンとかの三すくみはそうですよね」
一瞬そう言いたくなってしまいそうになります。
が、実はそうではありません。
有向グラフは、グラフの矢印(エッジ)と、頂点(ノード)2つの順序対の間の、(広義の)函数です。
つまり、
「この矢印はその頂点とあの頂点に対応するものである。
具体的には、この矢印はその頂点からあの頂点へ伸びたものとみなす」
という意味合いのものです。
ちなみにこれで問題なく三すくみを実現できますが、それは(広義の)函数でそうしているのであって、所属でそうなっているのではないのです。
それを加味して考えると、巡回的な所属で成り立つ数学的対象は、やはり存在しないはずなのです。
***
また、
「圏論においては、集合や真クラスの特殊な有向グラフ、圏というのがあり、これは自分自身に恒等射が飛ぶことになっているのではないか?」
専門的な話としては、こういう話もあります。
圏もある程度の高度な数学的対象を作るのに便利なのです。これが正当化されないと困る人が多いのです。どうなっているのか?
しかし、実は、恒等射はクラスから同じクラスへの(広義の)函数に似せたものです。
何が言いたいのかというと、
「所属でそうなっている訳ではない」
ということです。
それを加味して考えると、自分自身を含む集合で成り立つ数学的対象は、やはり存在しないはずです。
***
そういうことの果てに、目立った反論は退けられ、数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張が生き残る訳です。
(厳密な証明は、繰り返しますが長くて煩雑なので行いません。キューネン本を丁寧に読むのもいいですが、大変です。)
1_3.『基礎公理』のバリエーション、『万有クラス上の超限再帰』
さて、この記事全体においては、『超限再帰』と呼ばれるものを、2回使います。
基礎公理のバリエーションとしての、『万有クラス上の超限再帰』と、
全く別のところで使われる『順序数全体の真クラス上の超限再帰』と、
です。
今回使うのは前者です。
(後者は『基数としての自然数』の構成の際に説明した通りです。)
超限再帰の基本的な考え方は、
「ある函数があるとする。
それを使って、同じ構造の函数を作る。
これを反復する」
という仕組みでした。
一般に、超限再帰は、2つの部分に分かれます。
1.「「全てのxについて、yがただ一つ存在する」
という条件に従う、なんらかの2変数論理式を考える。
この場合、x になんらかの函数を適用して、像としての y を確定させた、という意味合いになる。
だから、y=F(x) と考えても良い」
2.「こうした論理式を2つ用意し、F と G とする。
x を使ってある種の加工をしたもの、f(x) による、F の制限函数F|f(x) を考えてみる。
すべての x で F(x)=G(F|f(x)) となるようにできる。
これで F と G は同じ構造の函数として同一視される。
処理を止める条件を設けていないので、同じ構造の函数を果てしなく作ることができる」
これが
「ある函数があるとする。
それを使って、同じ構造の函数を作る。
これを反復する」
という仕組みの定義です。
順序数全体の真クラスにおける超限帰納の場合は、f(x) として、具体的には順序数 x そのものを使ったのでした。
万有クラス上の超限再帰の場合は、f(x) として、具体的には x の推移閉包を使います。
こうすると、上の論理式は、ちゃんと期待通りに動作するのです。
***
なお、キューネン基礎論でははっきりとは書いていませんが、万有クラス上の超限再帰でいう万有クラスは、実質的には累積階層全体の真クラスであることが前提されています。
だからこそ、整礎的集合の性質にも出てくる推移閉包がここで効き目を持ってくる訳です。
これも後述しますが、ここが大きな意義を伴うようになります。
1_4.『基礎公理』と『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』と『万有クラス上の超限再帰』が命題として等価である事実
さて、『基礎公理』と『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』は等価である、という話をしました。
また、『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』と『万有クラス上の超限再帰』も、実は等価です。
ということで、最終的には『基礎公理』と等価である命題全般というものを、イメージしたくなります。
『基礎公理』本体を使おうが、
『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』を使おうが、
『万有クラス上の超限再帰』を使おうが、
それは『基礎公理』と等価である命題全般を使っているし、
その中のどれかを使っているのと同じ意味になる。
例えば、何らかの『基礎公理』と等価である命題を使うことで、『基礎公理』と等価である命題全般を、ひいては『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』を使っているのと同じ意味になります。
後で、『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』によって、『集合一般における濃度』を構成するための手段である『スコットのからくり』というものを作るときに、この論法を使うこととします。
1_4_A.『基礎公理』と『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』の等価性の証明
1_4_A_a.『基礎公理』から『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』の証明
それでは、『基礎公理』と『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』の等価性を証明しましょう。
実際の証明は(キューネン基礎論でそれなりの行数を割いてやっているので、紹介記事にすぎないこの記事では煩雑と難読を避けるために)避けますが、基本的な考え方だけ書きます。
前者、『基礎公理』から『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』の証明は、実は
「集合が整礎的集合であること」
が示されれば正当化されます。
整礎的集合は、推移閉包を取ると内部で所属の整礎的関係を取るような集合なのでした。
実は推移閉包は所属による推移的集合でもあります。
推移閉包の中の「経路」は所属によるものであり、最後に「到達する点」に推移するものでもあるので、全て所属による推移的集合に他なりません。
さて、推移閉包は累積階層全体の真クラスとどういう関係にあるのか? 推移閉包はある条件下の整礎的集合が取り得る全パターンを集めたものとみなせるから、どうも推移閉包は累積階層全体の真クラスの部分集合として包含されていそうに見えます。
実際に、基礎公理と古典論理で、推移閉包は累積階層全体の真クラスの部分集合として包含されていることが証明されます。
(古典論理で、というのは、
「推移閉包は累積階層全体の真クラスの部分集合として包含されていない」
と仮定すると、背理法によって矛盾が生じるからです。
これについては説明が長いので説明しません。)
実は推移閉包は元々の集合を包含しています。
一般に「閉包」を作ると、元々の集合以上の大きさになるのですが、つまりは元々の集合は閉包以下の大きさであり、なんと包含されてしまいます。
累積階層全体の真クラスも推移閉包も、(前者が真クラスであることに目をつぶると)所属による推移的集合、所属と包含が区別できないものたちなのです。
推移閉包が累積階層全体の真クラスに包含され、元々の集まりが推移閉包に包含されていたら、元々の集合は累積階層全体の真クラスに包含されているはずですし、それは所属しているのと同じことになります。
つまり、元々の集合は累積階層全体の真クラスの要素、整礎的集合に他ならないのでした。
1_4_A_b_1.ランク
さて、ここで、さっきから言及していたランクの話をしなければなりません。
これは、
『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』と『万有クラス上の超限再帰』の等価性の証明をするときと
『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』から『基礎公理』の証明をするときに
使うことになります。
ですので、先にちゃんと構成しておいてしまいましょう。
***
ランクは後者順序数を使う概念です。0や極限順序数は、ランクにおいて使い道がありません。
どういうことか?
ある後者順序数に対応する累積階層に、ある整礎的集合が所属していることがあります。
この手の累積階層で、対応する後続順序数が最小のものをとり、
「この整礎的集合は「まず」この順序数に対応するこの累積階層に所属する」
ということが言いたくなります。
これが、整礎的集合の累積階層への所属についての、一番正確な言い表し方であろうことは分かると思います。
むやみやたらに大きい累積階層に所属しているとか言われても、実際の数学ではあんまり意味がない。
「この整礎的集合は「まず」この順序数に対応するこの累積階層に所属する」
と言えると、そこに絞って調べものができるし、効率的に様々な性質が分かる訳です。
さて、ちょっとびっくりする話をします。
集合 x がある累積階層 R(α + 1)に所属するとき、これと対応する後続順序数 α + 1 「ではなく」その前者 α を、集合 x のランクと呼び、 rank(x) と書きます。
つまり、
「この整礎的集合はこのランクにあります。
つまり、「まず」このランクの後続順序数に対応するこの累積階層に所属します」
と言える訳です。
微妙に直感とズレがあります。
「α + 1 がランクではないのですか?」
そう言いたくなるのですが、実はそうではありません。
非常に具体的な話として、R(0) と R(1) の話をしましょう。
ぼんやりしていると
「そうそう、空集合のランクは R(0) でしょう」
と言いたくなってしまいますが、よく考えるとこれは不正解です。
R(0) は空集合ですが、つまり、空集合に所属する要素なるものは、存在しないのでした。
存在しないものを扱いたくはない。
だから、R(0) におけるランクは取れないようにしたい。
そして R(1) は {{}} なのでした。
これに所属する要素とは {} すなわち空集合である。
それでは、空集合は R(1) に所属するが、これが集合として考え得る始まりの形に他ならないので、このランクを始まりの数、つまりは 0 と一致させたい。
こういう動機があると、R(1) のランクは 0 ということにしたくなる。
以下同じようにしたい。以下同文。
そういうことです。
だから、対応する後続順序数 α + 1 「ではなく」その前者 α を、集合 x のランクと呼ぶのですね。
***
実は、ある集合のランクがある要素のランクと(そしてある集合族のランクがある集合のランクと)ある特定の関係にあるとき、これは
「その集合が整礎的集合であって、整礎的集合が所属による推移的集合である」
ことと等価です。
この性質も後で使います。
1_4_A_b_2.『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』からの『基礎公理』の証明
さて、『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』から『基礎公理』の証明をするためには、
「ある空集合でない整礎的集合の要素と、それが所属するある別の空集合でない整礎的集合の要素が、共通部分をなさない」
でいてほしいのです。
基礎公理とは
「ある集合が別の集合に所属しているとき、ある集合の要素と別の集合の要素は共通部分をなさない」
ことなのだから、そういう例がもたらされていてほしい訳です。
***
ここで使われるある別の空集合でない整礎的集合の要素は、必要最小限のものであってほしい。バラツキがあればあるほど証明の際に困る。
という訳で、この「必要最小限」を定義するのに、ランクが必要なのです。
ある別の空集合でない整礎的集合の要素のランクを考えます。
この要素は、空集合と空集合の要素のようなナンセンスなものを考えない限り、集合、特に整礎的集合であることは保証されているのでした。
だから、ランクを設定することが可能です。
そして、ある別の空集合でない整礎的集合の要素のランクが最小であったなら、その「ある別の空集合でない整礎的集合の要素」と、「ある空集合でない整礎的集合の要素」を取ればよいのです。
そしてこれらの共通部分が空集合であれば、
「共通部分をなさない」
のと同じ意味になる。
そういう路線で証明が行われます。(例のごとく細かい証明はしません。)
***
こうして、
『基礎公理』から『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』が証明され、
『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』から『基礎公理』が証明されました。
つまり、これらは、等価です。
1_4_B.『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』と『万有クラス上の超限再帰』の等価性の証明
1_4_B_a.『万有クラス上の超限再帰』からの『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』の証明
ついでに、『万有クラス上の超限再帰』と『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』の等価性についても見ていきましょう。
まずは、『万有クラス上の超限再帰』によって『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』が正当化されていたい訳です。
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これも、実際の証明は避けますが、基本的な考え方だけ書きます。
ある集合のランクは、ある要素のランクに、適正な操作をした結果、得られるものとします。ちなみにもちろん要素のランクよりも集合のランクの方が常に大きいことになります。
そして、その集合の集合族のランクは、その集合のランクに、適正な操作をした結果、得られるものとします。ちなみにもちろん集合のランクよりも集合族のランクの方が常に大きいことになります。
これも
「ある定義を反復して使っている」
というパターンであり、しかも扱っているのは整礎的集合ですので、これは『万有クラス上の超限再帰』の具体例ということになります。
先ほど、
「ある集合のランクがある要素のランクと(そしてある集合族のランクがある集合のランクと)ある特定の関係にある」
とき、これは
「その集合が整礎的集合であって、整礎的集合が所属による推移的集合である」
ことと等価である旨の話をしました。
今までの話を追うと、『万有クラス上の超限再帰』の具体例としての、
「ある集合のランクがある要素のランクと(そしてある集合族のランクがある集合のランクと)ある特定の関係にある」
ことと、その等価な結果である
「その集合が整礎的集合であって、整礎的集合が所属による推移的集合であること」
を前提として『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』がなされる、ということになります。
だから、『万有クラス上の超限再帰』によって『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』が正当化される、という訳です。
1_4_B_b.『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』からの『万有クラス上の超限再帰』の証明
逆方向として、『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』によって『万有クラス上の超限再帰』が正当化されていることを見ていきます。
こうすれば、両方向が揃うので、『万有クラス上の超限再帰』と『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』の等価性が言えます。
万有クラス上の超限再帰について、
「ここでいう万有クラスは、実質的には累積階層全体の真クラスであることが前提されている」
と書きました。
これはつまり、『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』によって『万有クラス上の超限再帰』が正当化されている、ということです。
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こうして、『万有クラス上の超限再帰』と『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』の等価性を見ました。
1_5.『基礎公理』と等価である命題全般
このように、さしあたり、『基礎公理』と等価である命題たちが、本当に等価であることが言えました。
『基礎公理』と等価である命題を、ひっくるめて「『基礎公理』と等価である命題全般」とみなします。
これにより、先ほど名前だけ触れた『スコットのからくり』を、実質的に基礎公理(と等価である命題全般)から問題なく構成できます。
2.次回予告
さて、この『基礎公理』や、『数学上は万有クラスが累積階層全体の真クラスに等しいとする主張』や、『基礎公理と等価である命題全般』、そして未だ見ぬ『スコットのからくり』が、どう『集合一般における濃度』に効いてくるのか?
それについて説明する前に、『集合一般における濃度』に効いてくる別の手段である、『選択公理』や『選択公理と等価である命題全般』の話もしなければなりません。
次回は『選択公理』等です。乞うご期待。
(続く)