童話『ジャムパンとパンケーキ』
これは、パン屋さんのオーブンの中にある、パン屋さんだけが知るひみつの国でおきている事件のお話。
パンケーキはジャムパンのジャムを抜く。近寄るな。
アイツらはパンを食べない。ボク達ジャムパンを見つけると飛びついて、体に穴をあけ、断面の奥にジャムを見つけるとふかふか笑いながら中身を浴びるのだ。
パンケーキが身に纏っていたリコッタチーズのクリームとイチゴジャムが混ざり合い、薄いピンク色になって地べたの上で溶ろけていた。
パンケーキが満足して立ち去ったのを見計らい、ボクはジャムと白く泡だったクリームの中を歩いて中身の抜けたパンの体を抱え込む。
残滓を嗅ぎつけたクッキー蝉が何匹が集まってきては地面に留まり、お腹いっぱいになるまでクリームを吸い、どこかへと飛んだ。
自分のパンの表面にジャムがつくのは嫌だったが、このパンを運ぶのがボクの仕事なのでやるしかないのだ。
ボク達は大きなジャムパンの中に住んでいる。大きなジャムパンの中に家とジャムの池がある。このジャムの池にフルーツを入れてやるとジャムの風味と具合がよくなるので、外にフルーツ狩りに行くのだ。
今日中身を吸われたジャムパンは、フルーツ狩り仕事のジャムパンだった。
中身を抜かれて死んだジャムパンの行き先は決まっている。大ジャムパンの奥に大きな口が開いていて、そこに体を投げ入れてやるのだ。そうすると壁の一部になり、また新しいジャムパンとして生まれてくる事ができる。
ボク達が住むこの大きなパンはボク達を守ってくれる壁であり、ボク達を生み出す海であり、ジャムの詰まった大きなジャムパンだった。
ここで生まれ、ここで育ち、酵母で膨らんだ小麦の体に果物のジャム。ただそれだけが正しいジャムパンである。
今日は新しいジャムパンの生まれる日だ。
残パン係のボクは誕生の儀に参加する事はできないが、大きな部屋パンの上に登り、儀式を眺めるのが好きだった。
この儀式の日はボクが今まで拾ってきたパンの誰かが帰ってきてくる日だから。
「ああ、酵母よ、ジャムよ。許されることじゃない」
ぶちゃぶちゃびちゅびちゅう。生まれたてのジャムパンの子を腕に抱き上げながら司祭ジャムパンのジャムを注いでいた名残の穴、通称ジャム臍から粘土の高いジャムが漏れ出してきた。
自分たちのアイデンティティを否定されたと感じた時、誇り高いジャムパンは自らの魂であるジャムをストレスの余り吐いてしまうのだ。
「ジャムパンに対する冒涜だ」
「どうなっているんだっ」
吐きジャムに釣られ、また一つ、また一つと近くで見ていたジャムパンの体からジャムが吹きだしてがゆく。怒号とジャムが飛び交い、現場は騒然、ジャム叫喚となった。
「こいつはミルクジャムじゃないか」
新しく生まれたジャムはミルクジャムパンだった。ボク達は淡白なパンの体の中にいずれかのフルーツジャムを持って生まれてくるのだけれど、彼は生まれつき白いミルクのクリームがみちみと詰まっているようだった。
「お前はジャムパンなのか?」
まだ、生まれたばかりで言葉も習っていないパンだ。答えられるはずがない。ミルクジャムパンの子はただ不思議そうに自分にそう問いかけてくる司祭のジャムパンを見つめていた。
「お前はジャムなのか?」
司祭のジャムパンはもう一度そう問いかけると、しばしの間の後で自分の足元へ腕の中のパンを叩きつけた。
ぴぶぅ、と鳴き声のような音を立てて、ミルクジャムの子はぴくぴくと地べたで痙攣している。
「ざんぱん係の残パンを呼べ」
ざわざわと動揺が広がり、誰がボクを呼びに行くのかが決まる前にボクは部屋パンから降りて司祭の元への向かった。
「呼びましたか」
「これを、なるべく遠くまで運んで捨ててきなさい」
司祭が足元を指差していった。本来ならボク達の体から出る事のない白いどろどろとした液体が少し漏れているが、このパンはまだ動いている。
「パンケーキの集落の近くがいいだろう」
集団の中に居たパンの一つが大ジャムパンの外を指さす。
ああそうか、ミルクジャムパンはジャムパンの中に居てはいけないのだ。
この子は戻れないんだ。
「もうすぐ今日一つ目の新しい子ジャムパンが生まれるはずだ」
「ここを掃除した方がいいだろう」
「何ジャムの子かな」
話は終わったとばかりに彼らはにこやかに別の話題へと移っていった。
ボクも、ミルククリームのジャムパンも、彼らからは見えなくなってしまったような気分だ。
パンケーキ集落を目指してミルククリームジャムパンの体を運んでいると、程なくして遠くの草むらが揺れた。荒い息、ぱんけーき、ぱんけーき、という鳴き声、ヤツらだ。
思わずミルククリームジャムの体をその場に置いて、慌てて葉の茂った木の上へと逃げる。やつらはパンの内側の匂いに敏感なのだ。
大ジャムパンからさほど離れていない場所にまでコイツらが来る事に思わず身震いした。
程なくして二匹のパンケーキが来た。
キウイ、バナナ、イチゴが載っているフルーツパンケーキだ。
二匹のパンケーキ達は大きなスライスイチゴの舌を伸ばして、ミルククリームジャムをベチャベチャと音を立てて舐めとり始めた。
あらかた舐め取るとパンケーキ達は周りを見渡して大ジャムパンの壁へと駆けていった。
二匹はキツネ色の焦げた部分を大きなジャムパンの壁にこすりつけて、どこか恨みがましい響きで、ぱんけーき、ぱんけーきと鳴き声をあげながらただ不乱にジャムパンにぶつかっていた。
どのくらいの時間それを眺めていたのかわからないが、いつの間にかぶつかる事をやめたパンケーキがジャムパン何もない壁を眺めていた。
「気をつけて帰れよ」
空耳か、逃げていくフルーツパンケーキの一匹から聞こえてきたのはフルーツ狩りのジャムパンの口癖だった。
彼らが立ち去った後の壁を見に行くと、ホイップクリームが、バターが、シロップが、ゆっくりと大きな壁ジャムパンに染み込んでゆくのが見えた、ほのかにバニラの香りが立ち上っている。
どこか、とおい外からくる物だと思っていたけれど、こうして少しずつ混ざっていたのだ。あいつらのミルクが、クリームが。
パンケーキがどこでどう生まれてくるのかボクは知らない。
それでもこうして、今日のミルククリームジャムパンのように、大ジャムパンに戻される事もなくどこかへ捨てられていたジャムパンは昔からいたのだろう。
捨てられたジャムパンはどうなったんだろうか。
大ジャムパンの方からパン太鼓と喧騒が聞こえてくる。
ブルーベリー、ストロベリー、アプリコット、うまれてくるジャムパンよ、お前の中身はなんだ。
酵母と小麦の体、フルーツのジャム。それこそが正しいジャムパンだ。
うまれてくる子よ、お前の中身はなんだ。
子を取り上げた司祭のジャムパンが震えて、次に名付け親ジャムパン、洗礼ジャムパン、そして見守っていた観衆ジャムパン達へとざわめきが広がっていった。
じわじわと大きく広がっていく不安の囁きはクッキー蝉の鳴き声のように大きく響いていた。
ボクはイチゴジャムの奥に少しだけイチゴのカスタードが混ざって生まれてきた。だから死体を片付けつづけ、残パンと呼ばれ、命が生まれる場に呼ばれる事はない。
新しくうまれた子がジャムの入ったクリームのたっぷり混ざったブリオッシュの体だったと知ったのは、大ジャムパンに帰ってすぐ後の事だった。
それを見ていた店長は言いました。
「来月からはブリオッシュの販売コーナーも作らないとな」
完