財布を拾ってもらった話
このまえ財布を落とした。整体に行こうと思い、昔から鞄を持たないスタイルに憧れがあり、寒い日だったのでダウンジャケットのぽっけに家の鍵と携帯、AirPods、財布と携帯をぶちこんでご機嫌で家を出た。
整体のドアを開けた瞬間に気がついた。いやにぽっけに余裕がある。
整体の先生には申し訳ないがすぐに整体を出て祈る気持ちで自転車にまたがり来た道を戻り、もちろん財布は無く、雨まで降ってきて半泣きで交番へ。
遺失物届を出してカード類を止めて、、といろいろやって結局その日は整体にはもちろん行けずほぐしてもらえなかった重い身体と悲しい心を引きずって帰宅。
わたしの人生においていままで一度も財布を落としたりなくしたことがないというのは数少ない自慢できることのうちのひとつだったため、現実を受け止めることができず家に帰宅してからはずっとNetflixでもたいまさこさんが出演しているドラマを眺めていた。心が疲れたとき、わたしの視神経がもたいまさこさんを求めることはこの出来事によって発見された新事実である。
そして夜も更け、もうじき日付が変わるころチャイムが鳴った。なんと財布を拾ってくれた親切な方が免許証の住所を見てわざわざ自宅まで届けてくれたのである。
日本という国の治安に、身も知らずの方にこんなにも感謝したことはない。
たいしたことではないからと謙虚におっしゃるその御方から住所をなんとか聞き出し、翌日改めてお菓子を持ってお礼に行った。
謙虚なその御方はそのときも大したことではないと言いながらちょっと待っててね、とわたしをその場に置いて何かを取りに行った。もしかしてみかんとかくれるのかなと思った。なんたって財布を無傷で返してもらえた人間である。夢みがちにもなる。カード類の再発行手数料は勉強代と思うことにする。
やがて戻ってきたその人はわたしに一枚のチラシを手渡した。布教で有名な政党の立候補者の者だった。前々から思っていたけれど神のおもちゃにされている気がする。生きづらいこの世の中に希望を見出すのは自分自身なので、このチラシのことは忘れて財布を拾ってもらって届けてもらったことのみ脳に記憶しようと思った。
サンキュージャパンのお気持ちで、おやすみなさい。