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大阪の緑化思想を勝手に考えた
今日の微風ゾーンを観ていたら、アシアタさんが東京と比べると大阪のビルには植物が多いという内容のことを言われていた。
そうなのかーと思ったけど、本当かどうかは知らない。アシアタさん本人もおそらく印象のお話をしていただろうから、そんなつっつかれてもという感じで困ってしまうだろう。
微風ゾーンは今回2連続更新なので続けて観てみる方が面白かったです。
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実際のところ、緑地というジャンルで言うと、東京における緑地面積は都内のなんと36%を占めるという。対して大阪はたったの9%らしい。少ない。
鶴見緑地とか服部緑地とか大きいのがあるのに、そんなもんなんだという感じがするが、これは都市の成り立ちの差も関係するだろうと思う。
東京には約6400個もの公園がある。公園都市と言っても良いくらいだ。近年もPARKSという井の頭公園を舞台にした映画があるくらい印象に残る公園が多い。
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皇居などは最たるものだがもともも大名庭園などに緑がストックされており、公園として転用出来たということがあれだけの大都市の中でも緑地が多く残されている要因らしい。
対して、大阪という土地は上町台地より西は(東も)もともと海であったことから、海岸に堆積した砂地、もしくは沼地のような場所であり、緑地というよりはせいぜい草原のような場所であったらしい。
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まずひとつはそんな場所だから。
もうひとつは戦前から東洋一の工業都市として栄えたことで工場や住宅地が面積を占めていったことも要因かもしれない。
そのため、大阪の緑化思想は東京の行楽寄りの考え方ではなく、都市拡大のコントロールのためという研究がある。シカゴ学派バージェスの同心円地帯理論では工業化や都市の発展とともに経済的に豊かな階層は都市の周縁へ流出していくと言われていて、その際都市周辺(具体的には芦屋など)の土地は宅地へと転用されていく。
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大正時代頃にはすでに都市が拡大していくのをブロックするように環状に緑地公園を作っていこうという計画が存在したようだ。実際地図を見ても大きな緑地公園は環状に大阪市街の外側を取り囲んでいるのが分かる。
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時代は移り、戦後。
戦後1950〜60年頃というのは全国的に戦争復興のための緑化運動というものが起こった。人々の手にも緑が行き渡るようになり、サザエさんなどでも見られる、いわゆる盆栽など園芸が盛んな時代となった。戦争を経験した者たちのセラピーとなった面も大いにあったのかもしれない。
大阪(だけではなく関西全般だが)では住宅地において路上園芸が盛んであったり、商店街などの軒先でもプランターが大量に置かれていて緑に埋め尽くされている店舗があるなど、知らない者から見れば異様な、人形などの小物等の設置とも合わせるともはやアートにも見える物件が未だに散見されるが、その興りはこの時代に遡るのだろうと思う。
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高度成長期における環境の悪化や東西冷戦など世界情勢の不安定さも緑化志向をより強めた一因となっている。宮崎駿の風の谷のナウシカなどはまさにその時代の思想が出ている。
あと、1990年には大阪鶴見緑地で花博があった。
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という色んな事情が重なって、バブル期の建築にもそういった緑を入れ込んじゃえ的な思想があったんじゃないかなと勝手に想像していました。嘘か本当かは知らないのでそれっぽく書いてすみません。ごめん。
またいつかグラングリーン行ってみたいです。