見出し画像

ひとりの私になりたいよ

贅肉がついて、一日中動かず布団で横になっている。自発的に楽しいことをしようという気はなく、私の食べ物を食べようとする、乞食みたいに。
そこには前進も後退もなく、衰弱していくだけ。
若い頃は男の人にモテたであろう、甘くて子供みたいな声が、風貌と不釣り合いで。

そんな母の姿を最後に見たのは2年前。2年前、家を出て、結婚して、それでも母には会っていない。
母は、私のせいでアルコール依存症になった。事実はどうであれ、私は心のどこかで強くそう思ってしまう。

時々、まるまると贅肉の着いた身体が横たわって、彼女の精神が静かに悲鳴をあげているような気がして、苦しくなる。

どうして助けてくれなかったの?

その姿が、何故か私を責めるみたいに!

私は持病があり、仕事のこととか、将来のこととかを悲観して、時折パニック発作に近い状態になる。

その時は必ず、その母の姿を思い出す。
悲しくて苦しくて醜くて、でもそれが自分の親であるということが受け入れたくない事実として、ある。動けなくて横たわる母の姿が、自由になった私を責めているようにかんじる。

母のことを考えて、なんだか親不孝で、いきるのはつらく、働かなくてはならず、どうしようも無くて、ああしんでしまいたい!そう思う。

ぜんぶ忘れてしまえれば?

そうおもうけど、忘れたつもりで奥の方にしまっておいても、ふとした時に心の浅い所に現われて、苦しい気持ちになってしまう。

トラウマについてのいくつかの本は、簡単に言えば【受け入れる】ことを目指すべきだと言っていた。
いつか受け入れることができるだろうか。時間がかかるだろう。時間が経って、母が死んでも、なお受け入れられないかもしれない。

死は人々の前に平等だ。
もう会いたくない母、父。
彼らのことを受け入れて、私は、ただの、ひとりの私になりたいよ。


いいなと思ったら応援しよう!