「法律がおかしい」なんて当たり前
日本の法律は、一定の時期に西洋から輸入された「輸入モノ」です。
そもそも、身のまわりの人間関係を「権利」や「義務」で切り取って考えることは日本の文化にはなじみがありません。
また、法律は「権利」のある者の方が、権利があることを「証拠」によって証明しなければならないというつくりです。
「権利」がある者の方に責任を課しています。
「義務」がある者は義務に違反するおそれがあるからちゃんと記録を残して監視しておかないとダメだという考えです。
(証拠を持たない権利者が不誠実な義務者に勝てないという場面は法律業界ではあるあるです)
しかし、日本的な感覚から言うと「義務」のある方が自ら動いてちゃんとやるべきで、「権利」のある方が頑張らなければならないというのは違和感がありますよね。
こんな感じで、法律というのは「異文化」であり、我々が日常的に考えている感覚は通用しません。
「法律がおかしい(自分の感覚とは違う)」というのはある意味当たり前なのです。なにせもともと「異文化」ですから。
法律は、異文化であることを前提として、「理解してうまく使うもの」です。
外国人との外国語でのコミュニケーションと似たようなものですね。
違うのは、外国人とのコミュニケーションは興味がなければ避けて通ればよいですが、法律の場合は、日本社会のルールになってしまっているため、避けて通ることはできないということです。
トラブルに負けずに世の中を戦い抜いていくためには「法律を理解する努力」「法律文化に応じた行動」が不可欠だということです。