いつも、いつも通りの自分じゃなくていい

自分は、基本的に楽観的で、人と会って話すのが好きで、みんなでワイワイするのが好きだ。初めてのところに行くのも、初めての人と話すのも、好きだ。予定がいっぱい埋まるのが嫌いじゃない。なんなら、どの土日も予定で埋めておきたいし、仕事絡みじゃなければ仕事後の予定が立て込んでも、全然苦じゃない。誘われる予定を断りたくないから、調整できる限りはして、ドタキャンとかもしない。なんなら、ドタキャンされたり、遅刻の度が過ぎたり、連絡がなかったり、多すぎたりするとブチギレる方。人と会うから疲れる、とか予定が多すぎて嫌になる、とかそんなのもない。でも、そんな自分が、少し最近、人と会うことに迷ったりして、戸惑っている。

本当に体調が悪かったり、突発的な仕事でもない限り、予定をキャンセルしない自分が、人との予定を事前にキャンセルした。今までなら、なんの迷いもなく、特に何も思わず、
・誰かがLINEグループで声をかけて、都合の合う日を決める
・数週間くらい前に、お店の候補をそれとなく出し合う
・お店を決める、予約する
・当日、もうすぐ着くよーとか少し遅れるよーとかの連絡をする
・とりあえず他愛のない話をする、ランチだったりお茶だったり。
・解散
・夜、お礼や楽しかったねーまた会おうねーのLINE。

この流れをやっていた。
お店の提案もするし、意見も言うし、たまには予約もしてた。
ただ、段々、この人たちと一緒にする他愛のない話、その時間に、自分は価値を見出せていないのじゃないか、って思うことも出てきた。
もちろんその時間は、楽しいと思う部分もある。多々ある。友達がいてよかった、同じ時間を過ごした友達だもん、みんな良い子だもんな、とか思う。ポジティブに感じる面がある一方、それぞれのライフステージが変わり、自分の価値観や感覚が変わり、私は、話を合わせてるんじゃないだろうか、そんな合わせてる自分が嫌になってるんじゃないだろうかとも思ってきて。心の声で、「行きたくない」って感じることが多くなり。そんな気持ちがある中で、行けなかった。行かなかった。
嘘をつくことは簡単だけど、自分の心の声に嘘をつくのはとても苦手だ。
誘われたから、いつも一緒だった人たちだから、いつも同じように、会いたいわけじゃない。
正直、今まで、ドタキャンしたり、直前でやっぱり今日は、明日は、無理、みたいな人の発想も感情も状況も思考回路も、全く理解できなかった。予定がなくなった方の気持ちも考えてよ、と、そっち側の気持ちしかわからなかった。
そんな自分が、「どうしよう、嫌いじゃないけれど、今は会いたくはない」という感情に出会い、戸惑った。そして、いつも通りのLINEグループでのやり取りを見て。これが、今はできない、と思っていた。
毎回毎回、100%模範解答のような、丁寧で可愛くて絵文字だらけでキラキラして誰も傷つけないメッセージなんかできない。したくない。誰も期待はしていないだろうけど、無言の圧力でもないけれど、勝手にそう思ってる。私が周りに合わせなかったとしても、いつも言われる「マイペース」「個性的」そういう感じで多分片付けられちゃうかもしれないけれど、今は、そういう見えない同調圧力の輪にいるのが、同じ行動を取るのが、なんか億劫。
理由は、ある。自分の中に、確かにある。億劫な理由が。
奥底の劣等感や妬み、僻みだと。自分は、違う、という意識だと。
でも、そんなの知ってほしくない。言う必要もない。
それでも、友人を傷つけたくはないから、伝えたい人には、時間はかかったけれど、自分の思いを、伝えるところは伝えた。
「そんな時もあるよね」って返信が来た。
「そんな時」がなさそうな自分にこういう返信をくれて、ありがたかった。

いつも、規定演技のような、同調の行動をしなくたって、
自分は自分。

自分が嫌なら、無理しなくていい。
自分を守るのは自分。

自分の価値観や、思考回路、行動だって、当たり前のように同じじゃなくたっていいんじゃないか。いつもやらないようなことを、やったっていいんじゃないか。なんとなくで、いつも同じようなことを言ったり考えたり行動にしたりするけれど。心の声や直感が、それを覆すなら、そっちに従いたい。
理性的じゃなくたっていい。

正直、「何かのグループだから、みんなで集まろう」ではなくて、自分を気にかけてくれて、助けてくれて、助けてあげたい人と、繋がっていたくて、時間やお金を使いたい。人生を重ねるにつれて、偶然や所与以上の人間関係には、お互いの信頼や努力がより必要になっていくのかもしれないと感じる。

努力や行動が必要だと思う関係に、そこにエネルギーを注ぎたい。
「もういい」「まぁいっか」そんなんで諦めない、諦めたくない関係を、どれだけ作れるだろうか。





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