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秩序ある優しさの世界の実現

私、趣味で時々小説もどき(SS)を書いているんですけど、その作品の中にこんなものがあります。

こちらの作品はこのnoteのタイトルにもなっています「秩序ある優しさの世界」がテーマのものになっています。
これは私(INFJ)が抱いている理想の世界なんですけども、そもそも秩序ある優しさとは?って感じですよね。

調べてみたんですが、なかなか見つけられなくてもしかして私の造語?言葉作っちゃった?ってちょっと謎に嬉しくなってます。
私が生み出した言葉かもしれないので私が説明しますね。

【秩序ある優しさとは】
優しさを持ちながらも、周囲との調和やルールを重んじた行動。

……伝わります?

ちょっと完全に伝えられているか不安なので私の書いた小説の内容を説明しながらでもいいですか?ダメって言ってもするんですけど。


まずこの世界では「外の世界で傷ついた経験がある」人間の身が逃げ込んできた街が舞台になっています。

そこでは法律等はなく、秩序ある優しさによって成り立っています。

例えばですね

「……お金はいらないの?」
「いらないよ。この街にお金はないんだ。何かをしてもらったら代わりに何かをお返しする。さっきのレストランも、食事をいただいたらお皿を綺麗に洗ったり、野菜を育てるのを手伝うんだ」

この街での通貨はお互いの善意。独立した場所なのでその土地で物を育てなくてはいけないから、みんなで協力して生活をしているわけです。

「この街の悪い人はどうなるの?」
 少年が私に尋ねる。
「たとえば野菜を盗んだ人がいるとするだろう? そういう人は野菜を育てるのを手伝ってもらうことになる」
 少年が理解できているかを確かめながら、私は続けた。
「そして育てる大変さを知り、罪の大きさを自覚し、謝罪する。基本的にはこうして労働を行なってもらうことで、改心にもつながるし、その分償いにもなる。誰も傷つけないやり方さ」

そして、悪いことをしたらこのような形で罪を償います。
どうしても精神的なもの、年齢的なものによって不安定になってしまったり悪いことをしてしまうことは人間はあります。なのでそれに応じて償いを変え、反省を促します。

もしも反省をしない人がいたら?という問いにはこう返しています。

「うーん。そんな人はいないな。何が原因であれ、時間をかければ、きっと優しい人に戻ってくれるさ」

この街は「秩序ある優しさ」によって成り立っているので、何か悪いことをしてもその人自身のことも思って改心を促します。まあツッコみたいところはあるでしょうが、それは後で触れますので一旦話し続けますね。

とにかく、この街では誰も傷つけない方法で、お互いがお互いを思いやることによって街全体が成り立っているわけです。

しかし、悪い点ももちろんあります。
これは「政治家はいるのか?」という問いに対する答えなのですが……

「いないよ。全員が満足する政治なんてできるわけないし、その責任を一人に押し付けるのも可哀想だろう?」
「じゃあこの街はどうしているの?」
「この街は一人一人の秩序ある優しさで成り立ってるんだ。皆が皆のために行動すれば、誰も辛い思いをしなくてすむんだよ」

自分の書いたものに言うのもなんですが、全員に満足してもらう政治なんて無理じゃないですか。本来政治とかは必要なものだとは思います。しかし「可哀想」を免罪符にして見て見ぬふりをしている……そして、自分自身が傷つくのが怖いので、自分がやろうとも思いません。

問題点があれば全員で話し合い解決しているのですが、一番大事な問題は先送りにしたりしてる節があるのかもしれないです。


そんな見ないふりをしていた街に、イレギュラーが現れます。
自身も傷ついたはずなのに、他者への思いやりも無く、モラルも無く、自分の気分によっては人を傷つけることになんの抵抗もない人間。

こういう人間、割と居ると思います。というか、結構多い気がする。
私が人間嫌いになった原因がこういう人たちが多すぎるってことですし。

こういう人にはどれだけモラルや思いやりの心を説いても響きません。なぜなら彼らは自己中心的な考えを捨てられないからです。
実際にそういう人をたくさん見たので分かります。そういう人たちは本気で自分以外の人の気持ちを考えたり配慮したりというのが理解できないのです。

そういう人を「許容できない悪意」と私は呼んでいます。


私の思い描く「秩序ある優しさの世界」は個性を押し込めるものではありませんし、同じ思想を強要する世界ではありません。ただ、相手の個性を受け入れ、互いが思いやりを持っているという簡単なことなんです。

しかし、許容できない悪意は改善できません。こういう人たちがいるから世界は平和にならないんだって心底思います。
そういう人間が大半なのが残念でなりません。

小説ではこう書きました。

 我々は彼らの悪意を批判するだけで抵抗もできない臆病者なのだ。そして、私たちの築き上げてきた「秩序ある優しさ」の世界は、「許容できない悪意」に対してはあまりにも脆いのだと。

ずっと考えていたんですね。私の世界から許容できない悪意をなくすにはどうしたらいいのか、と。

これを読んでいる人だったらどうやって解決しますか?
流石に極端な人は少ないと思うのですが、許容できない悪意はどれだけ説いても同じ目に合わせても「でも俺は」「でも私は」を永遠に繰り返すんですよ。
頭の中にあるのは「自分が不快である!」ということだけ。だったら何をしてもいいと思っているし、周りの人の配慮を当たり前のものとしている。


そんな人一体どうしたらいいというのでしょう。
私はもう殺す以外思い浮かびませんでした。死んでも治らないんじゃないかと思うので、二度と輪廻転生して欲しくないと思ってしまいます。(輪廻転生信じてないけど)

というか、人間が古来から処刑だとかで裁いてきたのって、他に方法がないからなのでは?と考えました。

どうしようもない人間を殺す以外にどうしていいかわからない。その人間に自分の平穏が崩されるのが怖いから放置もできない。

だから殺すしかない。

「民意」にすることによって一人一人が罪悪感と罪を見ないふりしていくしかないんですよ。

優しいっていう名の臆病者だからです。

私が賢くないからなのか、思考の幅が狭いからなのか他の手段が浮かびませんでした。個人的に秩序ある優しさが本当に大事だと思っていて、自分も秩序ある優しさを意識して生きているのですが、これは人間が持つのはそんなに難しいことなんでしょうか。

ただ、相手を思いやるだけ。相手の気持ちや立場になって考えるだけ。
ただそれだけのことがどうしてできないんでしょう。

お互いが思いやれば間接的に自分も大事にできるのに。

そもそもそういう人たちって自覚あるんでしょうか。
私、悪口の一つも許せなくて悪口言ってる人みんな冷めた目で見ちゃうんです。
何か嫌なことされてむかつく!(これは愚痴)っていうのは分かるんですけど、あいつのここがキモいとか、不細工だとかそういうのが許せないんです。

もう悪口が許せなくて、悪口を言う人の悪口を言うと言う本末転倒ぶり。極力言わないようにはしてるんですけど。

マナー守れない人も学校の校則に文句言ってる人許せない。

思ったんですけど、私秩序ある優しさの鬼なのでは?

えぇ、分かってますよ。何度「うざ」と言われたことか。秩序の鬼なんですよ、私は。カリスマの理解くんもびっくりの秩序の鬼っぷり。(秩序のカリスマ。秩序が大好き)

多分私の秩序ある優しさに対するこだわりがとんでもないんですよね。
分かってるんですが、むしろ守れない方がおかしいとすら思ってしまう。

本当にどうしたらいいんでしょう。
許容できない悪意に対してどうするのが正解だと思いますか?


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