すべての努力は、まだ見ぬ患者のために
こんばんは、治験のいぬです。
皆さんいかがお過ごしでしょうか。
すっかり涼しくなって、秋を感じる前に冬が来そうな勢いですが、
僕は相変わらず患者さんや治験担当医師とあわただしい日々を過ごしています。どうしていつもこうバタバタしているんだろう。
タイトルは、学生時代からの僕の座右の銘です。いい言葉でしょ。
ただ、言葉には二面性がありますからね。素晴らしい志も、行き過ぎると毒ということがあります。
今日は、「自分を大切にする感覚」と、僕にはそれが欠落しているという話です。
「ちょっと疲れちゃったな」とか、「明日ダルいな」という
気に病む感覚は自分を大切にするための大事な防御サインですが、
そういう感覚がない(おそらく育まれなかった)人もいるんですね。
秋の夜長に note 、やっていきましょう。
学生の時のいぬ
学生時代は、
いかにして自分を道具として他者のために活かすか
少しでも便利に、より便利にお役立ていただくかという
視点で知識と経験を積んでいました。
そこに自分の意思は介在させず、他者からの評価がすべてでした。
今では(生活のためにも、仕事のためにも)
「周りからよく思われることも大事」ということを理解していますが、
当時の僕は周りからどう思われようと、患者さんに役立つ手技を一つでも多く身に着けることに集中していました。
精神科領域にもすごく興味があったので、「こんなに人付き合いが悪い学生は、教授達にはとても不健全に映っているんだろうな」という苦悩(?)もありました。
…だったらほどほどに息抜きして、友達と遊びに行けばよかったのに。
当然、付き合いの悪いヤツでした。そのほかにも、大学の学費を自分で工面していたので、基本的には大学に居るかバイト先に居るかのどちらかだったので、
大学時代の友達とは、誰とも連絡がつきません。
ちょっと寂しいけど、仕方ないね。自分の人付き合いの結果なので。
このヤバい学生ムーブには明確なきっかけがあります。
大学1年生時に教授から言われた
「人間は皆、糞袋なのだ。少しでも自分を磨き、価値のある素養を身に着けることで、ただの糞袋からマシな糞袋になることができる」
という言葉が始まりです。
過激派ですよね。今ならアカハラで問題になります。
僕は衝撃的すぎて、雷に打たれたようなショックを受けました。
そして、そのあとから人が変わったように勉強と演習を繰り返しました。
だから今でも覚えているのですが、卒後数年経って教授にこのことを話したら、
「そんなこと言ったっけ?」という具合でした。
自分の納得するレベルまで技術が向上しなかったときに、この言葉で自分を傷めつけたこともあるので、教授の態度は衝撃的でした。
結果として大学は首席で卒業、在学に発表した研究は他大学のラボから数件の問い合わせを受け、成績上位者に支給される奨学金はすべていただきました。バイトでカツカツだったから助かる~ (?)
しかし、自分としては「まだまだ先人達の域には達していない (当然)、このままでは患者の役に立てる人間になれていない」と本気で思っていました。
自分で言うのも恐縮ですが、はたから見れば十分優秀なのですが…
こういうの、精神科では強迫観念っていうんですけどね。
頭では理屈が通らないとわかっていても、その思いを取り消すことや訂正不能である状態、その思念にとらわれて行動を矯正することができない状態です。
治療には認知行動療法と抗うつ薬が著効するのですが、いぬ青年は幸か不幸か、強迫観念が社会的に好ましいものだったため、医療につながらなかった例です。(Well-being ; よりよく生きる個人…つまり、僕自身にとっては好ましくないですが、社会的には求められる能力という意味です)
人間にとって、自分自身をいつくしみ、ケアし、何よりも大切に思い、
他者から大切に思われたいと願うことは、精神衛生において大事なことです。そう思うのはメチャクチャおすすめです。
教科書的には知っているのですが、僕は実感としては一切伴っていません。
おそらく、皆さんにとって、そういう人間が「いびつ」に映るであろうことも予想がつきます。
この感覚は、かなり異様なものらしいです。今のところ、他の人に共感されたことが有りません。
自己肯定感の低さからくるのかと思いきや、今は自分に価値がないとは思っていないです。
確かに学生の頃は自己肯定感が低かったし、自信もなかったです。アカデミアでも、最低限の仕事をこなして、それが運良く論文になればラッキー…くらいの最下層でした。
愛着障害なのかなと考えたら、それもまた違う気もします。
両親はいつだって仲良しでしたし、素行不良な妹に対しても
両親は等しく個を尊重し、侵すことなく関わっていました。(妹に対してはもっと干渉したほうがいいと思っていたけど)
今日は、単にストイックという言葉では説明がつかなかった事象について書いてみました。
仕事や自分の専門性についての温度感は人それぞれだけど、
被験者対応中に次の3連休の予定を考えるくらいの人のほうが、
長続きするかもしれないね。