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エゴとイドと承認欲求

「私は施設にとって、患者さんにとって、治験を実施する先生にとって、かけがえのない存在になりたいんです」

ある新人CRCの言葉より

こんばんは、チケンのいぬです。
いきなり引用で失礼しました。上記の言葉は、僕が教育を担当していた新人さんの言葉です。
若くてエネルギッシュで、意欲に燃えている、素晴らしい表明だと思いました。
今では彼も立派な一人のCRCです。最近は担当する試験数が一気に増えたせいで、げんなりしているようですが…。

僕は学生の頃から、自分のことを
周りの人間にお役立ていただくだけの道具でしかないと思っています。
今でも本質的には、そう思っています。
それなので、自分が主体となって、他者にとってかけがえのない存在になりたいという発想が全くなかったです (それもそれで歪んでいると思います、病識はある)。

CRCのモチベーションってなんだろう

僕は、新人さんの言葉が輝かしいと思う反面、どこか仄暗さのようなものを感じました。
だからこそ心に残っていて、こんな記事を書いているのだと思います。

かけがえのない存在になりたいという言葉は、僕にとって
絶対的に他者から必要とされなければならないという強迫めいた動機のようなものに感じられたのです。
あるいは、自分が絶対に他者から尊重され、大事にされるであろうという確信のような根底思考があるように感じられました。

本人に直接確認したわけではないので、どのような意図でこのような発言をしたのかは分かりません。就職面接で何回も口にした言葉を、単に僕に教えてくれただけかもしれません。考えが深すぎるのは、僕のよいところでもあり悪いところでもあります。

実際は「そんな理想はありえない」が真ですが、
正論を突き付けて新人を折るのもナンセンスです。
色々な施設を出入りするうちに、すぐに彼は「難しい目標であること」を理解するのですから。

何はともあれ、「他者から必要とされたい」という欲求は、人間にとって自然な欲求ですので、ここでは是非を問いません。
彼にとっては、他者から必要とされたいという欲求が、僕に対して表明するに値する (あるいは他者に表明してもよいものだと考えている) ものだったということだけが、現時点での客観的な事象です。

さて、タイトル回収です。

エゴとイドと承認欲求

看護roo! 用語辞典「エス」より / https://www.kango-roo.com/word/21191

精神分析学の大家であるドイツ出身の精神科医、ジグムント・フロイト。
彼はヒトには無意識があることを定義し、それを「es」(ドイツ語で「それ」と呼びました。
エスとは、心の底から浮かんでくる欲求のことで、生理的欲求や衝動を説明する際に用いられる概念です。人間社会では、これらを野放しにしておいては社会活動を営むことができません。そこで、自我や超自我によって自分を律し、社会に適応する必要があります。自我はエゴ、超自我はスーパーエゴと呼ばれます。自我は幼児期から自分を主体に形成される道徳や規範の感覚であり、超自我は親からのしつけや周囲の環境によってはぐくまれ、自身で振り返ることで獲得されるとされています。

この理論にのっとると、僕の超自我はとても厳格なのだと考えます。確かに両親はものすごく厳しかったです。よく殴られましたし、門限を破れば一晩家を閉め出されました。それが関係しているかどうかはわかりませんが、僕は「自分の欲求は人前に出すべきではない」と思っています。おそらく、このあたりも新人さんと僕のギャップだったのでしょう。

古典的な心理学理論では説明のつかない欲求を持つこと

フロイト先生の理論を持ち出しましたが、「人と関わること」に関する欲求は説明がつきません。いわゆる無意識理論で説明できるのは、ヒトの原始的な欲求と、それらを制御する存在のみです。
ここで登場するのが、次のモデルです。


ferret マーケターのよりどころ[「マズローの欲求5段階説とは?」より
https://ferret-plus.com/5369

エイブラハム・マズローはアメリカの心理学者です。彼はフロイトやユングなどのドイツの精神病理学派とは異なり、人の心の健康を支援しようとした学派の人です。そのため、人間が抱く欲求に焦点を当てて、上記の説を提唱しました。現在でもこの説は一定のコンセンサスが得られるため、医療系大学で開講される心理学の講義では必ず解説され、「病気の方は生理的欲求 (生存や健康でありたい) が障害されている状態なので、医学で介入する…そして安楽な体位や環境を看護で提供し、安全欲求が満たせるように支援する。院内のレクリエーションや食堂での交流、退院後のコミュニティー参加に向けてリハビリテーションを通して支援し、見事それがかなった患者はコミュニティーへの復帰を果たし、戻ったことを認められ、承認されていく…」のように解説されます。そして看護学生やその他医療系学生は、「私たちがやってることは、高次な欲求を支えるための支援なんだ…!」と思い至るわけです (僕もその1人です)。

新人さんの欲求は「承認欲求」なのか

彼のスタンスによるので分かりませんが、マズローの説でいうところの、
おそらく承認欲求に該当します。
最近はSNSで承認欲求オバケなどと揶揄されている現場も散見されており、明確に自分の能力や成果をアピールしない人が増えた気がします。
言葉にすることって、意外と大事なんですけどね。

結局、僕がこの記事を書いているのも、「自分に自信を持って意思を表明している人ってカッコいいなぁ」が根源にある気がしています。

あれ、僕も「もっと給与がほしい」って言葉に出さないとダメですね。
今度上司に会ったときに言うか…。


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