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好きとか嫌いとか、そういうのよく分かんねぇ。みんなカタツムリになっちまえばいいのに

私は恋愛が物凄く苦手である。ここ数年は、最早あんまり他人に興味がないのでは、とすら思い始めている。別に、私はモテるんだぜ!と言う訳ではないが、今までの交際のきっかけは、アプローチを受けたからというのが10割だった。しかも、好きだから了承したのではなく、何となく楽しそうだし相手のことを嫌いじゃないから了承したという、訳の分からない理由で交際がスタートしていた。この時点でかなりアレだと思う。


そんな理由で始まるものだから、一緒に出掛けたりして楽しい時間はあるけど、別に毎日連絡を取らなくてもいいし、毎日会わなくてもいい。自分の時間も欲しいし、読みたい本もあるし。何より、相手にも都合もあるじゃない。という冷めた身勝手な女だった。恋愛と呼ぶなんて図々しいというレベルだった。


以前、職場の人に「"好き"って言ったことないし、相手に「俺のこと好き?」って言われても、毎回「うん」って言ってた」と話したら「言葉にした方がいいのでは…」と心配されてしまった。これに対して「私は無理に言わなくてもいいと思っている。そもそも好きじゃなかったら一緒にいない。一緒にいる時点で好きだということだし、言わせた"好き"って嬉しくないんじゃないかと思う」みたいなことを返答した。そうしたら「硬派ですね…」で終わった。もしかしたら呆れられたのかも知れない。

そんなこんなで年数が経ち、ふと「どういう状態になったら"好き"なのか」と思った。特にきっかけはない。ただ、何となくそう思った。恋愛に興味を持ったとかじゃなくて、その心の動きに興味を持った。


そして一昨年、それを理解するべく、恋愛小説を1ヶ月かけて6冊続けて読んだ。結論から言えば、全然分からなかった。どの本も面白かった。だけど、最初から好きだったり、そもそも付き合ったりしていた。そうだけど!そうじゃない!と思いながら読んでいた。
そして、何故6冊で終えたかと言うと「どういう状態になったら"好き"なのか」を知りたいから恋愛小説読んでると友人(彼氏持ち)に話したら、そういうことをしているうちは分からないんじゃないのと言われてしまったから。確かに、そういう状態というのは人それぞれなのかも知れない、いくら考えても私には分からないんだろうなと思った。だから6冊でやめた。好きとか嫌いとか、そういうのよく分かんねぇから、もうみんなカタツムリになっちまえばいいのにとすら思った。

ただ、色々な好きを知ることが出来た。温かくて優しい好き、キラキラした好き。心が締め付けられるような好き。カーっと燃えるような好き。ドロドロした好き。一口に"好き"と言っても色々あるのねと思った。"好き"がたくさん集まった。


冒頭で私は「嫌いじゃないから交際を了承した」と書いたが、恋愛小説を読むことによって、嫌いじゃない=好きという訳ではないのだなと思い当たった。小説の中の恋する人々は、みんな相手のことに目を向けていた。そちらを見ていた。想っていた。今何してるの?どういう気持ちなの?私のこと、少しは思い出してくれてる?とか、そんな感じ。

私にはそういうのは難しい。そういうドキドキしたものじゃなくて、縁側に座って二人でお茶飲むみたいなのとか、同じ部屋にいてお互いの存在を感じてはいるけれど、別々なことをして過ごしてるみたいな、そういうぼやーっとしたものがいい。


でも、だけども。私の好きな村上春樹の短編集、女のいない男たち(文藝春秋)の中の1編。独立器官に、こういうセリフが出てくる。

「好きになりすぎると気持ちが切なくなって、つらくてたまらない、その負担に心が耐えられそうにない」

ないものねだりだとは分かっている。重々承知している。だけど、みんなカタツムリになっちまえばいいのにと思った私も、一度でいいからそういう気持ちになってみたかったとも思う。


※6冊読んだ恋愛小説の中で一番気に入った本を紹介しておく。短編集だし、とても読みやすい。心がぎゅっとなる。寝る前に1編ずつ読むのがおすすめ。

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