和牛の話
突然も突然だが、和牛の話をしようと思う。
どうしてこのタイミングなのかは自分でも分からないが、自身の和牛に対する思いを記録として残しておきたいと思ったのと、正直な話、小説『火花』を読んだことがかなり影響していると思う。
私がなぜ和牛と出会ったのか。
今となっては生粋のお笑い好きの私だが、中学生の頃まで、エンタメとは縁遠い生活を送っていた。
というのも、私のおじいちゃんはとにかく厳格な人だった。昔気質を絵に書いたような人で、所謂バラエティ番組やお笑い芸人をとにかく嫌った。
おじいちゃんが言うにはバラエティ番組のお笑い芸人は"はんかくさい"らしく、テレビでバラエティ番組が放送されているのを見ようものなら顔をしかめて即座にチャンネルを変えていた。
両親が共働きで1日のほとんどを祖父母と過ごしていた私は、テレビではNHKか野球中継しか観ない日々を送っていた。
そんな私に転機が訪れたのは、中学校の修学旅行。
私の中学校の旅行先は東京だったのだが、旅程に観劇またはスポーツ観戦が組み込まれていた。
私の記憶では野球・劇団四季・お笑いライブの3つのなかから自分が見たいものを選ぶというスタイルだったと思う。
小さい頃からテレビで野球だけはずっと見てきた私は、ちゃんとそのまま野球好きに育っていた。
だからめちゃくちゃ野球が観たかった。迷いなく野球観戦を選ぶつもりでいた。
しかし、私は親友と一緒に修学旅行をまわるという約束をしていた。私が野球を観たいと言ったところ、親友は野球のルールを全く知らないという。
全ての場所を一緒にまわるには、同じものを選ばなければならない。さすがに親友を全くルールも知らないようなスポーツの観戦に付き合わせるのは気の毒だと思った私は、半ば妥協する形でお笑いライブを選択した。
お笑いライブの会場はルミネtheよしもとだった。
それまで私はお笑いライブなんてものを見に行ったことがなかったし、バラエティ番組もほとんど観ていなかったが、その日の出演者がたまたま私でも知っているような有名な方々がちらほらいたのを覚えている。
そのなかに、和牛がいた。
公演が始まって、何組目かに和牛が登場した。
10年経った今でも忘れない。その日のネタは鶴の恩返しだった。
衝撃的だった。もうめちゃくちゃ面白かった。始まってから終わるまでずっとめちゃくちゃ面白かった。
なかでもある一言で息が出来なくなる程笑った。
どんなセリフだったかはもう思い出せない。でも確かツッコミだったから川西さんかな。
もう隣に座っていた親友に心配されるほど笑った。
笑いすぎて涙が出た。
漫才ってこんなに面白いんだ、そう思った。
その後、当時部活一筋だった私がすぐにお笑いにハマるなんてことはなかったが、私は好きなお笑い芸人を聞かれたときは和牛と答えるようになっていた。
それから数年後、大学生になった私はめちゃくちゃお笑いにハマった。
はっきりとしたきっかけは覚えていないが、いつの間にかM-1を見るようになり、いつの間にかお笑いが大好きになった。
でもある日、突然和牛は解散を発表した。
解散を発表したきり、解散の日まで和牛が漫才をすることは無かった。
私が劇場に通うことが出来るようになるのには間に合わなかった。
結局、和牛の漫才を生で観たのは中学の修学旅行が最初で最後だった。
それでも、私は1度でも和牛の漫才を生で観ることが出来て本当に良かったと思う。
あの経験がなければ間違いなく今のお笑い好きの私はいなかった。お笑いを観て笑って、幸せを感じられる人生はなかった。
すっかりお笑いにハマった私は現在、暇さえあれば劇場に通う生活を送っている。
もうなんというか日々を生きていくためにお笑いを見ている。
教育とは難しいもので、私は今"はんかくさい"を真剣にやるお笑い芸人さんを見て手を叩いて笑い、心底かっこいいと思っている。
そんな私を見ておじいちゃんは天国で頭を抱えているに違いない。
話は逸れたが、私にお笑いの面白さを教えてくれたのは間違いなく和牛だ。これは一生言い続けようと思う。
あのとき和牛の漫才に出会えて本当に良かった。
和牛、本当にありがとう。
忘れちゃいけない。あの時野球のルールを全然知らなかった親友にも本当にありがとう。