越境14 行彦 その5
子供は落ち着いたかと思うとめそめそ泣き出した。あんなものを観てしまったらしかたないと行彦は思った。多分、彼にとっては見知らぬ少年だったあれも、この子供にとっては短からぬ月日を一緒に過ごした級友のようなものなのであろう。クラスメイト、その言葉はいまいちここになじまずに、すこし滑稽な響きすら持って行彦の心の中にあった。
「いつかぼくもああなる」
泣いている子供から、ぽつりと言葉が聞こえた。もうその心の声とやらが聞こえるのにも慣れていたので、石になったりするのはどうも当たりのほうらしいな、と思った。こんなにいろいろなことが起こったのに、絶望さえしないのはどうやら自分もここに適応し始めているのだろうなと考えながら、行彦は子供の手を引いた。ここにいても仕方ない。帰ろう。こんな短い言葉すら彼に伝えることができないのだ。
「ばっく、とぅ、るーむ」
そういうと子供は頷いた。
「ほわっと、ゆあ、ねーむ」
「Michael」
残雪の言っていた小さな子というのは彼のことか。確かに十歳は越えているだろうが中学生にも届かないくらいだ。成長しきっていない人間特有のアンバランスさが天使のような容姿にちょっとした違和感をもたらしていて、それがまた、ここに本当にいるのか不安になるような雰囲気がある。
話したほうがいいのかと、たとえばどこの国から来たかとか、聞こうとしてやめた。何ヶ月、何年ここにいるとしても、こんな小さな子に外の話を振ることは残酷なことだと行彦は思った。とくに、あんな化け物になると自分の将来を思っているような子供には。
必死で走ってきたからよく解らなくなっていたが、多分こっちだろうというほうに歩いてみる。相変わらず進んでも進んでもおおむね景色の変らないままで、たまに行き止まりになっていたり、ドアの間隔が違っていたり、ドア自体ないところがあったりしたが、もとの場所にたどり着くのはとても難しいようだった。ある程度戻ればあれが撒き散らした跡でもあって、ぞっとしないが辿れば帰れるのではと思ったがなにもない。ただ、白い廊下と、木のドアだ。
このまま迷ってしまってここで死ぬのかと考えながら歩いていると不意に見慣れないものがあった。
大きな両開きの扉だった。金色の、金属が優美に曲げられて植物らしき装飾をかたどった枠がついていて、そこに透明なガラスがはまっている窓が、左右対称なデザインでついている。引き手になっているドアノブも美しい百合か何かのつぼみと葉を模しているようだった。
行彦は思わずそれに手を伸ばした。帰らなくてはなどの気持ちはなぜか掻き消えて、ドアの向こうに行くことだけを考えていた。
ドアは何の抵抗もなく開いた。
白いタイルが敷き詰められた中に、廊下よりもっと明るい光がさんさんと差し込んできていて、もしかして外なのではないだろうかと思うくらいだった。見上げるとアーチを描いた天井はただ単に真っ白だったが。すこし離れたところには螺旋階段があって、上にも出口があるようだった。
背の高い、草をそのまま大きくしたような不思議な植物がいくつか生えていて、座布団みたいな大きさのサボテンかなにかがその下に丸まっている。花のついた鉢もあって、赤や青など、ここに来てからあまり見なかった鮮やかな色が目に痛いくらいだ。奥は丸い形に窪んでいて、二段ほどの階段があり、中心にはきれいな水の湧いている噴水があった。
ふらふらとそこまで、吸い寄せられるように歩いていって、手を浸した。冷たい水だった。顔を洗って、手で掬って飲んだ。食堂の味気ないコップの水や部屋に備え付けのシャワーの湯とはまったく違うものに思えた。
美しい温室だった。こういうのを本当に綺麗だというのだと行彦は思った。あんな、人形のような者たちではなく。
----------
リレー小説です。次回。
下記相手方からのコメントです。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?