越境4 行彦 その2
・哉村氏とのリレー小説です。前回はこちら。
教室。は、窓のない部屋でやたらに天井が高い。正立方体なのだとだれかが言っていたような気がする。通っていた高校のそれよりは一回り小さい。そこに細長い、木で作られた机と椅子が等間隔に四つ、それが三列並んでいる。黒板はない。ただ白い壁だけがある。普通の教室と違うことはほかにもいくつかあって、この部屋の右奥の、本来生徒が座るだろうというところには木が生えている。背丈は行彦と同じくらいで、細い幹と、繊細な枝とまるで絵に描いたような楕円の葉っぱがついている。図鑑で見たオリーブか、雰囲気は少し柑橘の木にも似ているが、どちらとも少しずつ違う。たまに風もないのにさやさやと揺れている。なぜか、生えていない事もある。誰かが引っこ抜いたのかと最初は思ったが、次の日にはまたそこにあったりする。そして誰もそれを気にしない。だから行彦もそのことに対して声を荒げる事もない。そもそも、そんな複雑なことをどう言えばいいかも解らない。
促されて座り、初めて受けた授業は妙なものだった。
渡されたノートとペンを開くだけ開いて、何をすればいいか解らず矯めつ眇めつしていた。ノートは無線綴じのなんの変哲も無いものだったが、製造業社を示すロゴやバーコードなどは何もなかった。白い、かすかにふかふかとした手触りの表紙を窪ませるようにnote-bookという刻印がインキを伴わず刻まれている。ペンも同じ、見慣れたものだと思ったが、こちらはなんの刻印も模様もない、ただ黒いだけのものだ。やる事もないのでまず線を引いてみた。普通に書ける。少し黒が薄い気がするが、こんなもののような気もする。後ろのラバーで擦ってみる。消える。やる事がないなら、もうこの部屋を出て帰る方法を探してみようかなと思った。
部屋の中にいる少年たちは一様に俯き、書き物をしたり、ノートも出さずに机をなぞる動作をしたりしていて、また明らかに日本人ではない顔立ちだったので話しかけてもどうもならないだろう、と席を立とうと思すると、今までなんの変哲もなかった机の、木だと思うのだがその表面に、点のような光が灯りちかちかと動いた。驚いて見ているとその光がフラフラ、といった様子で動いて見慣れた、とても単純な、中学生がやるような連立方程式の問いを描いた。書き終わると答えてください、というようにちかちかと光る。本当に簡単なものだったから、促されるままに手元のノートに写して続けて解を書くと、次はこの間学校でやったシグマを使う式が同じように机の上で光った。それも同じように解くと、見たことのないような長い式が机いっぱいに広がってさらに点滅した。さすがに解らないけれどとりあえずノートに写すだけ写してペンを置くと、さあ答えろと言わんばかりにそれは点滅してずっと消えない。困っていると、横に座っていた東洋系だと思われる、年頃も近そうな少年が手を伸ばして、机の端をトントン、と指先で叩いた。すると式は嘘のように消えてしまう。びっくりして元の、どう見ても木の机になったそれを見ていると、不意にそちらの方から声がした。
「ありがとうもねえのかよ」
明らかに日本語だったのでさらに驚いて顔を上げると、不服そうな顔で少年が行彦を見ている、かれは口を開かず、手に持ったペン……、それは行彦と全く同じものだった。でノートに礼品と書いた。
なにかあったかと咄嗟にポケットに手を突っ込もうとするとポケットがなかった。制服なら望みはあったかもしれないが、いかんせん目が覚めた時に少年たちと揃いの黒いパンツに凝ったデザインのベスト、白のシャツに服が変わっていた。何かちょっと、この外人の少年にお礼のものも無いのか、とがっかりしていると、かれは自分の胸をさっき机にやったようにとんとんと叩いた。自分の服の同じ部分を見てみると、ベストにはひとつだけポケットがあって、そこには自分のスマートフォンが入っていた。すこし古い機種で小さいサイズだったのがよかったのかきっちりポケットに収まっている。取り出して見てみると充電は72パーセント、 WiFiなし、圏外。
見ていると少年がひょいとそれを摘み上げてしまう。そしてそのまま自分のポケットにしまって、笑った。口の端だけひょい、と上げたような笑みだった。そしてさっきと同じようにノートに、さらさらと文字を書いた。有、で始まっていくつかの文字を書いて、最後に?と付け加えた。顔を上げると、少年はじっとこちらを見ている。黒い瞳だった。
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リレー小説です。次回はこちら。(哉村氏のページです)
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