谷底の甘い卵焼き

さて、前回は私が人間にはいろいろな好みがあり、それを理解することは難しいということに気がついた話でしたが、もちろん私にも嫌いなものがあります。じつはですね、シウマイ弁当が好きになれないんですよ。

なんというか、わからなさ、許せなさみたいな感情が心の中にあるんですね。

もちろん、シウマイ弁当のほうからおまえみたいなやつは願い下げだよっていわれると思うんですけど。それにしても、なんかなぁと思うわけです。一度食べてみて衝撃を受け、そういうものだとわかって食べてみたら美味しいのではないか?ともう一度食べ、それからシウマイ弁当は食べていません。

嫌いな食べ物にもレベルがあるというのはみなさんおわかりいただけると思いますが、例えば口に入れるだけで辛いとか、食べることはできるけど美味しいと思わないからできれば他人に譲りたい、とか、昆虫食のように馴染みが無いから心理的に抵抗がある、とかそういうかんじですね。

さて、私が口に入れるだけで辛いと感じるものは単品では二つあります。加熱に失敗したレバーと、仕出し弁当に入っている甘くて密で冷たい卵焼きです。不意に口に詰め込まれたら思わず相手をぼてくりまわしてしまうかもしれない。そのレベルです。

加熱に失敗したレバーは遭遇することもあまり無いでしょうし避けることが容易ですが、甘い卵焼きというのは油断をするとお弁当箱のちょっとした隙間にはまっているものです。少しだけかじって味を確認すればいいのはわかりますが、わたしは本来塩味出汁味の卵はどちらかというと好物。やったあ嬉しい卵焼きだ!とにこやかにかじりつきたいのが本音です。というか実際にかじりついたのです。たしか小学生の頃だったと思います。

衝撃でした。

冗談ではなく稲妻に打たれたような気持ちになったのです。玉子焼きがあまいという1点のみでそれはまったく知らないものでした。異文化というに他ならないものでした。わたしは錯乱し、狼狽しました。

甘い卵焼きを食べると、そんなに大したことではないと頭では理解できているのに、絶対的に違う! 仲良くできない! というような思考が頭をよぎります。いやそんな大げさにするほどでもない、ただ甘いだけだ。と思うのですがどうしても体が受け付けず、差別と甘い卵焼きが嫌いみたいになって、おおこんなところから戦争が始まったんだな……、とすら思います。

自分の心の狭さに幻滅してしまう。

「不気味の谷現象」という言葉があります。アンドロイドをつくる研究の中で生まれた仮説なのですが、簡単に言うと人間に似せたロボットを作るときに、機械の塊などからはじめて、目がつき口がつき眉毛がつき表情を加え皮膚を貼り込み……とじょじょに人間そのものの見た目に近づけて行った時、最初は近くなればなるほど見ている人間の親近感や好感は高まるのですが、ある一点まで行くと急激に嫌悪感を抱くようになり、それを通り抜けて人間そのものになれば以前よりも親密に感じることができるようになるといった話で、グラフにすると右に行くほど高くなる線形が終わり付近で急激にV字を描く谷の形になるのでこのような名前が付いているのですが、わたしにとって見慣れた卵焼きの形、しかし味がまったく違うというものはまさにこれに似た体験だったのだと思います。

シウマイ弁当はこの甘い卵焼きと、筍の煮物と、マグロの照り焼きにさらに不気味の谷を感じてしまう。シウマイを名に挙げているので全体的におかずは中華風なのかしら、とはじめて食べたときにわたしは思いました。ではこの筍のなんかは甘辛い味で、この茶色いのはチャーシュー的なものであろうか、という食べる前の想像を彼はことごとくヒックリ返していきました。筍はおしょうゆ味だし、和風にしても関西圏の味付けとはまったく違うし、豚じゃなくてマグロの照り焼きだし。

はじめて甘い卵焼きを食べた時とおなじような衝撃がわたしを襲いました。両目を疑問符にしながら食べ終わり、これが名物として売られている意味が少しだけわかりました。あれはわたしにとってはとてもエキゾチックなものでした。

グリーンカレーやビビンバやチャーハンになると、お米はお米だけど日本ではない文化圏から来たのだなと納得して違和感なく口にすることができます。しかし、わたしにとって大阪と横浜という距離はちょうど不気味の谷の底にあたったようです。

あのど真ん中にぽんと放られたあんず。わたしにとってあれは谷の象徴のようです。わからない。でもわからなすぎてしょっちゅうシウマイ弁当の話してるんですよね。一周回って好きなのかもしれないという気分になってきました。

みなさんは味の不気味の谷にであったことがありますか?

下記はおまけコーナー

名物にうまいものなしとはいうけれど大阪のお土産に毎回困るマンからのまぁこれだといいんじゃない……リストです。

シウマイ弁当は横浜の名物ですね。東京には東京バナナがあります。京都には八つ橋が、福岡にはひよ子や通りもんがあります。まあいろいろみんな一家言あるでしょうが、東京バナナをもらったらあーこのひとは東京から来たんだなあと思うでしょう。

大阪はね、ないんですよ。ちょうどいいものがまるでない。

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