ここはユートピア

 寂れた町の寂れた商店街の片隅に寂れたゲームセンターがあって、店名はユートピアという。それ自体は、べつにどこにあってもおかしくない話だと思う。ひとけのない店内は、ゲームのデモンストレーションの音だけがきらきらしく、にぎやかに聞こえる。都会ではもうお目にかからないようなローテクな機種もここでは現役で、わざわざ好事家が県外からくることもあるらしく、壁には雑誌のコピーと取材をうけた旨が、ゲームセンターらしからぬ達筆な短冊とともに貼られていた。Kは学校をさぼってその空間にいた。さぼって、というのはすこし語弊がある。今は病院へ行ってきた帰りだ。幼い頃からすこしからだが弱いということになっているKの、年に数回ある検査の帰りである。しかしまあ、できれば検査の終わったあと、学校へ登校できるならするようにと言う話ではあったので、さぼっているということだろう。時間はすでに三時を回っていて、もうそろそろ行き場のない生徒がここに来てもおかしくない時間だった。いまから学校にいくのも馬鹿らしいから、とKは思う。

 梅雨とは名ばかりで、雨の殆ど降らない6月が終わり、7月が始まってしばらく経った。梅雨明け宣言はまだ出ていない。暑くも寒くもなく奇妙に熱を奪われたような風が吹いている日だった。ほんとうにそろそろ動かないことには、学校の誰かと遭遇しないとも限らない。とりあえずここを出て、図書館にでもいくかと思ってゲームの前に置かれた硬い椅子から立ち上がりかけたとき、「あれー。O谷じゃん」という能天気な声がした。見ると同じクラスの男子である。名前がなんだったか、思い出せない。
 まだ余裕があるはずなので、時間……と呟くと、彼はのんびりした声で、短縮授業今日からだよ、と言って笑った。

「なんだ、それならもうほんとに休んでもよかった」
「そういえば、今日休んでたよね」
「うん。病院行ってた」
「どこか悪いの」
「心臓。でも大したことない、年二回検査に行ってるだけ」 
 生まれたときに欠陥があって、殆ど治っているんだけど、念のために行ってるんだ、というと彼はすこし日に焼けた肌にやたら目立つ白くておおきな目を丸くしてそんな、大変だなあとやっぱりのんびりした声で言った。大変がられるのはすでに慣れているが、あまりにものんびりした声なので笑ってしまう。
「ぜんぜん、大丈夫だから」
 そういうと、かれは不意に大きな目でまじまじとKを見つめた。何、とすこしおどろいて問うと、笑うとかわいいね。と言うのだ。笑っているところ、始めて見た。という。Kはなんだこいつ、と思い、話をそらすために名前を聞くことにした。忘れてるのはショックだな、とこぼしながらY屋S嗣、というあまり似合っていない名前を口にする。歯並びがすこしがたついた口元に、どこかで見覚えがあるような人懐っこそうな笑みを浮かべながらO谷はゲーセン好きなの?と尋ねてくる。

「すきって言うか、この時間人すくないから」
 大きな瞳で見つめられるのが息苦しくて、下を向き手を合わせながらぽそぽそと水気が抜けたような声で言うと、かれはそうなんだよなーと手を組みながらいう。みんな家にフツーにウィーとかエックスボックスあるもんなあ。ゲーセンわざわざこねえよなあ。と万感がこもったような口調で言うので、それがおかしくなってまた少し笑ってしまった。
「いや、死活問題でさあ」
「Y屋はゲームすきなの?」
 すきって言うかさあ、とあたまをぱりぱり書きながらかれは言った。ここ、俺んちなんだよね。地代はまあうちの家のだからかかんないけどさあ、あんまりに儲からないからつぶして駐車場にしちゃおうかって話もおじさんからでててさあ……。
「えっ、やだな」
 自分でもすこし驚くような、強い声が出てKは驚いた。人が少ないからといってここによく来る自分から出た言葉とは思えなかった。かれも驚いたようで、そんなにうちがすきでいてくれるのは嬉しいけど、おれに決定権ないしなあ、ともにゃもにゃとこぼす。

「そんなら助けると思って、なんかいっこ、ゲームやっていって」
 そういって店内を指差すのだが、Kはいままでゲームをひとつもやっていなかったことを思い出した。これは流石に何を言えた義理でもないとおもって、初心者にもできそうなやつ、教えてと尋ねてみて、これは? といわれたのは古びたUFOキャッチャーだった。
 硬貨をいれるといかにもたのしげな音楽が聞こえて、ふよふよとクレーンが動き出す。もちろん、何も知らないKが景品をとれるわけはなく、クレーンは死にかけのカニのように哀れに空を切って終わった。それを見ていたY屋がなぜかこういうのにはコツがあるんだよ、と自慢げにいい、硬貨を入れる。自分の店のものに金を使うのはどうなんだろう、と思っていると豪語するだけあってぬいぐるみのタグにうまいことクレーンを引っ掛けたが、しばらく進むとぽろり、と落ちた。ああああ、と情けない悲鳴をあげ、もう一回、と言うがいなやコインを再度いれ、結局もう一回、と三度目の正直で小さなぬいぐるみが取り出し口にぽとりと落ちた。

「今日の記念にあげましょう」
 と差し出されたそれはお世辞にもかわいくないなにかのキャラクターを模したらしいぬいぐるみで、藤紫に黄色の服を着ていて正直なんだか解らなかったが、三回分の硬貨が無常に吸われていったのを間近に見ていたのでさすがに無碍に出来ずに受け取ってしまった。
 見た目よりもふわふわとやわらかいそれは、手に持つと案外軽くて驚いた。

「やわらかいんだな」
「ぬいぐるみだしなあ」
 ぬいぐるみなんて持つの、十年ぶりくらいかもしれない、と思ったのを、ほどんど無意識で口にしてしまっていたようで、彼はさっきの人懐こい顔で笑いながら、十年前のぬいぐるみってどんなのだった? と尋ねてきた。くまだったよ、くまのチャーリー。いつも一緒に寝てたんだ。長いこと入院してさみしかったときも、ずっといっしょだったよ。そうぽろりと言ってしまってから、子供の頃とはいえぬいぐるみと寝ていた話を同じクラスの男子にしてしまうなんて、と恥ずかしくなって、思わず顔をそらすと、チャーリーくらい大事にしてネ、とY屋は裏声で話しかけてくるのだった。この大きな目はその熊ににているんだ、とKは思った。

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空梅雨のある日の昼に、ユートピアという名前の寂れたゲームセンターでした昔くまのぬいぐるみと一緒に寝ていたはなしをかきます。

#さみしいなにかをかく
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