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【エッセイ】「大人」って、なんだろう?

「大人」という二文字。
よく言われるこの言葉。
しかし、なにをもって大人と言うのか?
それがピンときていなかった。
でも、それが少しわかってきたような気がする。


・・・


そもそも、私は学校という鳥籠の中でしか生活していない。
エサの取り方も知らない、1羽の小鳥。
そんな鳥籠の中、いわゆる「大人」との関わりは「親」と「教師」がほとんど。

ただし、親は特別なつながりだから、実際「大人」として向き合うのは、教師だけ。

だから、「大人」というのがよくわからない。


正直、教師という立場は窮屈そうに見える。

小中学校は特にそれを感じていた。
トラブルに対する対処が適当だったり、それを隠そうとするときもある。

鳥籠の小鳥がピィピィ鳴きわめくのに嫌気がさす。
それを鳴きやませるのは簡単じゃない。
それはわかる。

ただ、その場しのぎの対処しかしない印象が強い。
立場上できないのかもしれないけれど。

集会で先生に「大人になれ」と不機嫌そうに言われても、ピンとこなかった。

逆に、高校の先生は「教師」だけでなく、他の活動もしている方が多い。
その人達の授業や人柄は、いきいきとしてる。


私が今まで見てきたのは、鳥籠にとらわれた大人だけ。
鳥籠の外がどんな世界か、いまいちつかめなかった。


それを変えたのが、noteだった。

自営業をやってる方、ライターを目指す方、…といろんな人がいる。
私が持っていない知見と経験を持った、鳥籠の外の鳥。
その人がどんな人生を送ってきて、どんな気持ちでいるのか、文章を通して伝わってくる。
それに触れてきたから、「大人」がどんなものか、少しわかってきた気がする。


・・・


自分の存在価値を見出して、それを社会に認めさせる。

これが 大人になる ということなのかもしれない。

「自分の活動を広める」
「営業で成果をあげる」
そのために行動にする。

こうして自分の価値を創り上げ、「自分軸」がしっかりしてくる。

また、その行動を社会という「他人軸」の世界で 価値 のあるものにするには、それを 正当化 しなければならない。

「認められる」のではなく、「認めさせる」。
この仕組みを受け入れることで、子供が大人になっていく。


この仕組みを受け入れたら、私は成長できるのかもしれない。

でも、まだなりたくはないな。


「他人軸」の社会で生きていくこと。
他人は他人でも、ビジネスなら「お客様」だし、文章なら「読者」である。
だからこそ、むやみやたらに人に「認めさせる」のがいいってわけじゃない。
そんな大人になっても、窮屈に感じる。

そうはなりたくない。
「どういう価値を自分に与えるのか」
「どんな人に認められたいか」
それを判断したうえで、大人になりたい。


とはいえ、まだ鳥籠から抜け出せないのは、私のほう。
社会に出たら、考えはガラリと変わるかもしれない。


ただ、親鳥は飛ぶことなく、電線の上で群れをなしている。
鳥籠の中の小鳥からは、そう見える。





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かぐや(旧)
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