11/16(土) 2つの視線、2つの光線
フロアで“推し色”のペンライトを光らせるのは、特定のメンバー、すなわち“推し”に向けて「私が視線を向けているのは、あなたですよ」と告げる意思表示だ。
オタクはステージでパフォーマンスをする“推し”に視線を向けている。しかし当然ながら、視線というものは目に見えない。“推し”からすれば、自分を見ているように見えたとしても、果たして本当にそうなのかはっきりとはわからない。隣には仲間のメンバーがいるのだから。
そのためオタクは、“推し色”に光らせたペンライトを向ける。それが“推し”への「自分はあなたを見ていますよ」ということの証明となる。
腕を伸ばし、真っ直ぐ“推し色”の光線を向けることではじめて、アイドルもまた「この人が視線を向けているのは、私なのだ」とはっきり理解することができる。ペンライトの機能とは“視線の着色”なのだ。本来なら目には見えない「視線」を可視光線へと変えることで、視線の在処を明示する。
アイドルとは視線を集める存在であり、オタクとは視線を向ける存在だ。そしてオタクもまた、ときおりアイドルから視線を向け返してもらうことができる。両者は互いに「見る/見られる」関係にある。
今日は推しの現場を観に行った。すこし早く着いたので、他のグループを見ていた。見ながらぼんやり考えていたことを、日記に残しておこうと思う。
「視線誘導」とは
「視線誘導」というものがある。デザインや漫画の描き方で頻繁に聞く概念だ。たとえば、ドラゴンボールは「視線誘導が上手い漫画だ」と評価される。具体的にどういうことか。
このページを開いた読者は、赤丸の1.2.3の順に視線を移動させていく。それは、コマ割りや吹き出しの位置を決めた鳥山明が「そうやって読んでもらえるように描いている」からだ。そして、それは読者にとって最も読みやすい配置、流れになっている。
上手い漫画、読みやすい漫画というのはこのように「視線誘導」が巧みだといえる。というか、漫画に限らずあらゆる「誰かに見られることを前提としたもの」には、視線誘導がなされているといって良いはずだ。アイドルのステージにおけるパフォーマンスも、例外ではない。
2つの視線誘導
アイドルのパフォーマンスは、主に表情とダンスと歌によって構成されている。そして、メンバーは常に同じように動いているわけではない。
たとえば、A〜Fのメンバーがいるアイドルグループがあったとする。そして、ある曲のあるパートはAがソロで歌うとしよう。そこで、視線誘導が機能する。当然ながら、AのソロパートではAに視線が集まるようなフォーメーションが組まれる。たとえばAがステージ中央前方に立ち、B〜Fのメンバーが一歩下がって一列になってパフォーマンスを行う、というような。
さっき書いたとおり、これは「このパートではAに注目しろ」という視線誘導だ。オタクもまた、それに従って視線を動かす。
けれども、この視線誘導に抗うケースがある。
Aのソロパートであっても、当然B〜Fといった他のメンバーもパフォーマンスをしている。ソロじゃないときは手を抜くぜ!という尖ったスタンスのメンバーでない限り、きちんと歌ったり踊ったりしているはずだ。
Bを推すオタクがいたとしよう。そいつは、たとえAのソロパート中であってもBのパフォーマンスに視線を向けることがあり得る。
Bが好きで、Bを推しているからだ。ただ見ていれば自然にAへと視線を向けることになるはずのパートで、Bへと視線を向ける。そしてこれは、Bがアイドルとして努力した結果といえる。ここでは「フォーメーションによる視線誘導」と「メンバーによる視線誘導」が衝突し、後者が勝利している。
──無論、Bとしても「ここはソロなんだしちゃんとAを見て欲しい」と思うケースもあるかもしれない。ただし、先述したようなケースが実際あり得ること、またそのようなケースはやはりBの努力による結果であること……以上2点から、メンバーの意思はともかく「メンバーによる視線誘導」と呼ばせてもらいたい。そして、これには「フォーメーションによる視線誘導」そのものを変更するポテンシャルがある。
たとえばあるグループでは、歌が上手いAに重要なソロパートが回ってくるのが定番になっていたとしよう。しかし、あるときBがめちゃくちゃ人気になり、Aのソロにも関わらずオタクの視線が常にBへと向くようになった。結果、次の曲では「重要なソロはA」というセオリーが崩され、Bがソロに抜擢されることとなる。
このようなシチュエーションがあったとすれば、それは「メンバーによる視線誘導」が「フォーメーションによる視線誘導」を塗り替えた例と言って良い。AKB的な「人気によって立ち位置が決定される」ようなシステムはこの塗り替えを制度化したものとなる。
2つの照明装置
ステージライトとペンライトのことだ。ペンラを「照明装置」と呼ぶのは少し大げさだが、見出しでカッコつけたかったためそう書いてみた。ステージライトも「舞台照明」または「照明」と呼ぶのが一般的だが、ペンラと名称を揃えたかったのでカタカナにさせてもらった。
ステージライトの機能はシンプルだ。演者のパフォーマンスを映えさせ、より綺麗に見せること。LED灯であっても白熱灯やハロゲンランプであっても、それぞれ電力消費量や当てられたときの熱さには差があれど、この基本的機能は変わりない。ステージライトは、演者を“みせる”ために光っている。
では、ペンライトは。ステージに立つアイドルを応援するために振っている……というのは当然のこととして、それ以外の用途もあるはずだ。
アイドルは「自分の推し色を振ってくれている人が多いと嬉しい」と言う。こう聞くと当たり前のように思えるが、なぜ嬉しいのだろう。自分のメンバーカラーに光っているペンライトが多いとは、どういうことなのか。
それについては最初に書いた通りだ。ペンライトは、視線を光線として可視化するための装置としてある。アイドルはオタクからの視線を集める存在であり、オタクは“推し”のアイドルに視線を向ける存在だ。自分のメンバーカラーに光っているペンライトが多いとは、自分に視線を向ける人間が多いということを意味する。
しかし、視線は目に見えない。そのため、オタクはメンカラに輝く光線を向けることで「私がここに来たのは、あなたを見るためなんですよ」とはっきりと示す。
それによって、アイドルは「あの人がここへ見に来ているのは、他でもない私なのだ」と確信を持つことができる。
アイドルの対バンライブへ来ると、受付で「お目当てどこですか?」と聞かれる。目当てとは、眼差しを向ける先のことだ。暗いライブハウスのなかで、あなたは一体誰に光を向けるつもりなのかと問われている。
よく、アイドルは光に例えられる。実際、推しはステージライトを浴びながら輝き、オタクはその眩しさにやられてしまう。そして、ペンライトを推し色に光らせる。それは「あなたを見ている人はここにいるから、だからこれからも輝き続けて欲しい」という信号灯なのだろう、と思う。