令和4年10月1日の日記
円楽さんが亡くなった事に意外なほどショックを受けている自分がいる。
円楽さん――おれにとっては「楽太郎さん」という呼び方の方が馴染み深い。小学生の頃の日曜のテレビの〆は笑点だった。もう少し上の年齢になると電波少年とかガキ使とかその辺が日曜の〆になってくるんだけど、ともかく、ヘトヘトになるまで遊んで帰ってくると祖母が笑点の大喜利を観ているのでそれをなんとなく一緒に観て、分からないなりに笑って、という事が結構あった。司会は先代円楽さんで、回答者は好楽さん・小遊三さん・木久蔵さん・歌丸さん・こん平さん・そして楽太郎さん、そういう時代の話だ。
当時からキレ担当の小遊三さんと楽太郎さん、ボケ担当の木久蔵さんとこん平さん、というキャラ付けが面白くて、いやこれはもしかしたら大人になってから刷り込まれたイメージなのかもしれないんだけど、ともかく社会や政治の問題に軽い毒をまぶしたようなキレのある回答を担当していた楽さんは、その名前とのギャップもあって、当時の回答者の中でも一際強い印象を受けていた。
おれは落語に全く明るくないのだけど、それでも楽さんの訃報に際しては、なんというか、おれのその頃の、楽しく、そして平穏だった日曜日の夕方の思い出まで一緒に持っていかれたような、そんなようなやるせない気持ちになってしまった。冥福を祈ります。
そして、この日記を書いている最中にアントニオ猪木さんが亡くなったというニュースを目にした。どうしたことか、ここ2~3年、おれの中のビッグネームが次々と亡くなっていく。おれがそういう年齢に差し掛かったと言えばそうなのだろうけど「人はどんな人であれいつか必ず亡くなる」という事実を、短期的に、そして定期的に突き付けられるのは、結構胸にくるものがある。