何でも犠牲的にやりすぎる


という元々の性格の私。

先回りして気遣って、
あれもこれもとおもてなしをしてしまう。
それで疲れてぐったりする。

断ればいいものを。
やれることだけやればいいものを。
自分を優先することができない。

ありのままの自分、
何もしない自分には価値がない。
何かを提供しないといけない。
それが自分の大切なものやエネルギーを
差し出さないと、と思ってしまっていた。

それで、やりすぎて、何度も病になり、
ついに、亡くなってしまったのが父。
その話はまたの機会にする。

いいよ、いいよ、と自分を犠牲にして、
何でもかんでもリクエストに応えてしまう。

よく思われたい。
嫌われたくない。

という思いが強かったんだと思う。

それが、相手をさらにわがままにさせて、
弱く依存的にしてしまうことを知りながら。

10代、20代の頃の都合のいい女の私、
ヤバかったなあ笑。
だから、30代でツケが回ってきて、
心身ともにボロボロに。

だから、もう、やめました笑。

気を遣いすぎること。
犠牲的にやりすぎること。

でも、まだまだ、やってしまう。
やらないと、罪悪感が押し寄せる。

それを手放し続けている笑。

いい人に思われなくてもいいや。
なんなら、嫌われてもいいから、
自分を大切に守りたい。

自分を守る。
ただ、それだけのことが長年できずにいた。

自分を優先する。
やりたいことをする。
言いづらいことを正直に言う。

豪快でパワフルのように見える私は、
本当はとてもセンシティブで気にしい。

だから、旦那様にいつも学ばせてもらっている。
飄々として、自分軸がしっかりしている。
惚れ惚れするくらいに。

私ができないことばかり。

どうしたら、そんなふうに、堂々としていられるのか笑。

何かしてあげないといけない。
何かを提供しないといけない。
それは底なし沼の始まり。

私は大切に扱われたい。
私は大事にされたい。

そのために、散々やってきた過去があるけど、
やればやるほど、それが叶わない現実があった。

相手の自立を信じて、信頼する。
まずは、自分が楽しむ。
堂々と。

いつか、飄々と、までになったらいいなあ笑。

人生はお試しの連続。

親から受け継いだ、
「犠牲的にやりすぎる」自分を変えて、
生きやすくするための修行がまだまだ続いている。

だいぶ手放したけどね笑。

ここまで書いて、今、気づいたけど、
私が劇的に人生が変わったのは、

相手に忖度してやりすぎてしまう自分をやめたから
やめようと決意したから

だった。

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