韮沢 靖(クリーチャーデザイナー)
1963年、新潟県生まれ。東京デザイナー学院デザイン科卒。87年、造形作家小林誠氏のアシスタントを経て、88年独立。91年よりゲームのクリーチャーデザインをはじめる。アクションフィギュアのプロデュースに、映画・ゲームのクリーチャーデザインと多忙な日々を送っていたが、2016年2月腎不全により急逝。
- Interviewz.tv - 収録日 2001/02/26
――韮沢さんって、何が本業なのか、いまひとつはっきりしないんですけど。
韮沢 映画やゲーム用のキャラクターデザインとそれに付随したイラスト。アクションフィギュアのデザインのプロデュースと3Dモデルとかもやっています。総じて言えるのは「この世にいないもの」をデザインしているデザイナーだということで、そういうクリーチャーデザイナーだと思っています。
――キャリアは何年くらいなんですか?
韮沢 お金をもらえるようになって11年くらい。26才くらいから模型誌に作品を発表している人に師事していましたんで、最初(の収入)は模型誌の原稿料だったですね。
――そのとき、食べていけると思いました?
韮沢 いや、思えなかったですね。師匠も立体だけでは食えないっていってましたし。
――師匠って小林……
韮沢 小林誠さん。師匠もデザインやってましたし、イラストやコミックもやってました。そういうカテゴリーがないスタイルは受け継いだと思います。
――独立のきっかけを教えてください。
韮沢 小林さんとこも、いろいろ新しい人雇ってたんで、こう、ところてんのように押し出されて……卒業。その頃、万博が流行ってたんですよ。九州や花とか……。その万博のライド用の宇宙船とか仕事がいっぱいあったんで、それが一人立ちのきっかけですかね。たまたま竹谷(隆之)くんとか、同年の立体の仕事をしている人が近所にいて、一緒にやってましたね。
――じゃ、これで食っていけるという実感があって独立したわけじゃなく……。
韮沢 いや、当時あんまり食えるかどうかの心配していなかったです。さっきの竹谷くんや、寺田(克也)くんとか、同年で似たようなことやってる人もいたんで、あんまり危機感なく暮らしてました。まだ20代でしたしね。極貧の危機感ってなかったです。
――今、フィギュアとかゲームとかこんなに隆盛になっているけど、10年前ってそんなに仕事なかったんじゃないかって思いますが。
韮沢 いえ、ちゃんとありました。今ほど脚光は浴びませんでしたけど。その頃もゲームのデザインが一番羽振りよかったですよ。ゲームの仕事を母体にしつつ、他のコラムや立体を宣伝感覚でばらまいていったんです。
――ご結婚されてますね。
韮沢 はい。28の時に。
――じゃ、そのときには生活も安定してた。
韮沢 いいえ。そのときのまだ食えてない感じを覚えてますから。「今月ないねぇ。どうするぅ」みたいな。
――この部屋って、ものすごい財産ですよね。プレミア抜きにしても。こういうフィギュアを買うお金は生活費とは別にあったわけですか。
韮沢 そうでもないですよ。買いだしたのが27くらいのときでしたけど。まだ古着屋さんとかにぽつぽつ置かれ出したくらいの頃ですよね。プレイメイツ社のトキシッククルセダーっていうシリーズのフィギュアの色がきれいで、集め始めたのはそこらへんからです。でも、当時3800円くらいでしたから、そのシリーズの中でいいのを一個だけ選んで買ったりしてましたよ。生活は苦しかったはず、ですからねぇ。
――はず(笑)
韮沢 今は買いやすくなったこともあるけど、仕事にもフィードバックできるから加速度的に増えました。
――韮沢さんご自身のフィギュアはフューチャーモデルズ製っていう印象が強いですね。
韮沢 そうですね。もう10年近く前になるんですけど、ワンダーフェスティバルっていう即売イベントで出展したときに、現フューチャー社長の関口さんが訪ねてきたんですよ。
――まっさきに声をかけてくれたのがフューチャーだったんだ。
韮沢 そうです。以前にもホビージャパンの作品とか見ててくれたらしくて。関口さんの作品もわりとおもちゃメーカーらしくなかったんで、プライベート面でも話が合ったですね。
――プライベート面っていうと、パンクロックとか。
韮沢 そういう世代ですから。中学生時代にピストルズとか出て。
――この部屋だけ見ると、オタク世代、オタク育ちって思いますけど。例えばパンクとエイリアンってどこで結びつくんですか。
韮沢 ものすごく黒っぽいとこがロックっぽいんじゃないかって(笑)。透明なフードとか。
――それだけ。
韮沢 いや、本当にエイリアンはロックだと思いますよ。
――日本のアニメには影響されなかったんですか?
韮沢 好きなものも、もちろんいっぱいありますが……配色が子供向けと思っているのかいないのか、赤、青、黄色の3原色を使うのが稚拙で、大嫌いですね。あの配色は最低。黄緑とオレンジと紫を使う、アメリカのトイのセンスが好きです。やはり中間色を使える人種の感覚を取り入れていきたいです。
――原色といえばぼくは真っ先にゲッターロボを思い出すんですが。
韮沢 いや、石川賢さんは大好きで、あのスパルタンなデザインは素晴らしいと思いますけど……。私の言ってるのは、例えばサンライズの超有名機動戦士……。ああいう配色は実に稚拙だと思いますね。
――それで日本のものよりアメコミに傾倒していったわけですね。
韮沢 はい。
――じゃ、韮沢さんのトイは発想から日本の子供向けに作ってはいないんですか。
韮沢 誰かのためになんて、やったことないです。
――じゃ、今やっている「デビルマン」のシリーズも自分のためであると。
韮沢 あれだけパブリックなものになると、ある程度ソフィスケートされてるとは思います。でも基本にあるのは「自分の見たかったデビルマン」ですから。細身のぬらりとしたデビルマン。ちょうど、作る前にイギーポップのライブ見て感動して。だからあのデビルマンにはアンダーグラウンドなロックのテイストも導入されてると思うんです。
――アンダーグラウンドロック。
韮沢 そうですね。マリーマンソンとか。あまりパンクに傾倒しないヘビーロックが好きです。ぼく自身、ある部分はオタクだと思うんですけど……オタクさまの特長として、やはり洋楽のエッセンスはまるで感じませんよね。そういう部分では一緒にされたくないです。私は洋楽が好きで模型も好きで特撮も好きっていう、珍しい人種です。
――ホビージャパン誌自体、オタク向けストライクっていう美少女特集とかやってますが。
韮沢 ああいった主力がないと模型誌も続きませんし、ああいう売れる部分があるから、ぼくみたいのが隅でこそこそ楽しんでられると思います。ただ、自然にははいってこない情報ですね、やはり。
――ただ、もう隅っこじゃないって感じですけど。
韮沢 こわいですよね。隅にいたいですよ。
――もう大衆化してしまって、隅っことか、いわゆるマニアックとは言ってられないと思います。
韮沢 どこまでが趣味で、とか言えないですけど、気持ちの問題で言えば、(大衆化なんて)まったく意識してないですね。メジャーマイナーって空山(基)さんに言われたんですけど……もっとメジャーにならなくちゃだめだよって。でも、私は居心地がいいところが好きなんで……おことわりします、と。
――そういえば、韮沢さんの絵ってメディアで再現しにくいですよね。それが今一歩メジャー化をはばんでいるとか。
韮沢 キットは及第点だと思いますよ。映像やゲームはどうしても動かすという制約がありますから……難しいといえば難しい。ただ、今回ナムコさんから出た「ボルフォス」はプロデューサーの方と事前に話し合えたんで、いい擦り合わせができたと思いますけど。
――他に映像モノで最近のお仕事というと。
韮沢 ほとんど2~3年前から手がけたものがやっと陽の目を見たっていうのが多いですね。「ヴァンパイヤハンター D」とか。その劇場版アニメがやっとできまして……。その美術デザインをやりました。馬車とか城とか一輪バイクとか。
――小道具もやると。
韮沢 依頼がそうでしたから。ただその中に出てくる隠れ谷に住む人々のデザインが、私のパクリだったんで、免罪符に呼ばれたんじゃないでしょうか。
――免罪符(笑)。
韮沢 そういう仕事もあるんですよ。PCゲームの「ベトゴニア」だったかな? あれも敵デザインがまったくパクリで、宣伝用のポスターだけを描いてくれと。「あんたら、それ、完全に免罪符で呼んだんでしょう」って。
――そういう仕事でもやる。
韮沢 ええ。たいしたことないです。ぼくもパクられるくらいになったんだって思いますよ。
――ただ、知らない人が見たら、敵キャラも韮沢さんがやったんだなって思うでしょう?
韮沢 まぁ、どうでもいいですよね。やっちゃったものは仕方ないですから。事前にパクリますなんて電話ないですし。そもそもファン意識からやっていて、悪気がないんです。それがわかってるんで、もはや怒る気もしませんね。
あの、ぼくが作っているギルマンとかファントムのフィギュア、あれもパクリっていえばパクリなわけです。正式に許諾を申請してないですから。でも、許諾されて5%定価上げるくらいなら、できのいいパチモノの方がいいじゃないかと思いますしね。
――今まででのお仕事で後悔はないですか。
韮沢 はい。こんなのができましたって言われても、仕方ないものは仕方ないですよ。ある程度の割り切りは必要じゃないですか。映像になったときは特に。できちゃったものは仕方ないから、次に行こうって。性格ですかね。
――せっかくだから「FF」の話もしましょうよ。
韮沢 あれは最初、坂口(博信)さんに呼びつけられたんですよ。打ちあわせがあるって。結局ハワイにも行きましたが、最初はアルコタワー。なんか、体育館の裏に呼ばれたみたいですね(笑)。
――具体的に何をやったんですか?
韮沢 敵デザインですね。何種類かをデザインしました。痛烈な個所っていうか、普遍的な痛烈なデザインは入れたつもりです。
――内容には。
韮沢 ふれられない(笑)。でもコンセプトを読んだかぎりでは、すごかった。ぜひやりたいって思いました。
――韮沢さんはCGと実写のプロップとどちらがいいんですか?
韮沢 プロップの肉感というか反射とかエラーのある動きがいいです。CGって軽やかすぎるんです。重さも作った重さで……。「スピーシーズ」のシルっていうギーガーのデザインしたクリーチャーがいるんですけど、前半の着ぐるみの重さが後半のCGだとなんか違う。ひょこひょこ動くとこが軽いんですよ。やはり着ぐるみのゴムの質感がいい。ゴム好きなんです。
――あの、韮沢さんはSMの資質があるんですか?
韮沢 いや、まったくないです。ビジュアル的に好きなだけ。ピアッシングも、作品では特殊メイクのつもりで描いてるんで、全部ゴムなんですよ。
――フリークスが好きだっていうのもないんですか?
韮沢 特にないです。例えば石ノ森さんの「キカイダー」では段違いになってる部分が秀でたセンスだと思いますけど、それはあくまでデザイン上のことで。現実にフリークスに対して特別な感情とかはないです。
――作品には続々フリークス登場ってかんじですが。
韮沢 それもデザイン優先の結果ですね。ニナドロノなんか、腕に継ぎ目あるんですけど、あれ実際は手はあって、義手をはめ込んでるだけで、何も深刻じゃないんです。キャラクターの印象付け。そもそもフリークスって人間が母体でしょう? 私の場合は最初からクリーチャーなんでフリークスがあたりまえなんですよ。
――韮沢さんのそういうフリークスセンスってどこから得たものなんでしょうか。
韮沢 イメージの母体になってるのが、「黄金バット」と「妖怪人間べム」と「タイガーマスク」。この3本にはどれにもドクロが出てきますよね。それに中学生でパンクロックと仮面ライダーの手袋とか皮のエッセンスがまぶせられて、今の私のスタイルができあがっていると思いますね。
――エロ劇画とかは。
韮沢 人並みに好きなんですが、作品では意図的に湿っぽさは排除してます。湿っぽいのはいやなんですよ。田舎もんですから、からっとしたアメリカに憧れている。
――でも、唾液とかのねっとり系を想起させるデザインじゃないですか。
韮沢 唾液がねとっとするのは「エイリアン2」からで、リドリー・スコットのは水なんです。あっちのほうが好きです。食べ物でもサトイモとか苦手で…ねばねばするのはきらいなんですよ。
――……最後にお聞きしますが、今一番描きたいものってなんですか?
韮沢 う~ん。広い部屋で広いキャンパスに向かって、商売抜きのものを、とか(笑)。なんか凝り固まったモノを描きたい。背景は苦手なんで描かないと思いますけど。もう引越しますよ。なんか、最後、投げやりになってますね、私。
――ありがとうございました。
Tommy鈴木的後記
本当は雨宮慶太監督の出番だったのがスケジュールがかみ合わず、急遽依頼した。ごめん! 韮沢さん、そういうワケでした。僕のアタマの中では雨宮さんと韮沢さんって、イメージがわりと近いのです。アトリエが超狭いと言うことで、話の中に出てくる寺田さんや竹谷さんの部屋を借りる算段をつけてくれました。でも、どうせならその「狭い部屋」のほうがムードが出るという僕らのたっての願いで、結局アトリエで収録。動画で横向きなのはスペースがなくて、カメラが真正面におけないためです。丁寧な話振りで、ポーカーフェイスのままギャグをかます。いい味が出てる!本当にありがとうございました。