「どう生きようか考え中 知りたい気持ち・スピリチュアル・社会の中の自分」公募インタビュー#32
〈関さん(仮名)2021年9月中旬〉
もうすぐ福祉関係のお仕事から出版社の営業に転職予定だという関さん。
転職先を考えていた時期にご友人から「取材記者なんていいんじゃない?」と言われたことから、「インタビュー」の語句で検索をかけ、当方に興味を持ってくださったとのことでした。
現在のお仕事、そこに至った経緯からお話しくださいました。
※記載内容はすべてインタビュー当時のものです。
〈関さんのここ15年ほど〉
都心の会社で10数年間忙しく働く
-スピリチュアルにはまる
-会社がなくなり、退職・離婚
1年間休む
単発で様々な仕事をする
正社員として短期間ずつ編集者、福祉職、事務職などを経験
→現在二度目の福祉職勤務。まもなく転職予定
今は「自分をどう騙すか」
関さんは現在、仕事や住むところを失くし一時的な貧困状態にある生活困窮者に対する福祉の仕事に就いている。今の職場は1年足らずという。
関さん 今やっている仕事は、困窮者に対する福祉なので、結構ヘビーな人生の話を聞くこともあるんです。私は人の話を聞くのが好きだと思っていたし、自分はそこに興味があると思ってやっていたのですが、日々そればっかり聞くっていうのは意外とつらいものだなっていうのを感じてます。
(次第に)人の話を聞くっていう、そのこと自体がきつくなってきたんです。相手が誰であっても、何か話が入ってくることに対して(自分が)過剰に嫌がっちゃうっていうんですかね。
今みたいに困窮してる方々を毎日見ていると……例えば、エンタメ関係の会社の方で、今までは都心の、高いお家賃のところに住んでいたような方でも、コロナの影響でお仕事がなくなって、すぐ家賃も払えなくなって、困窮者として私たちの施設に来る、みたいな方も本当にたくさんいらっしゃってですね。
テレビで見るような社会的な階層は存在するけれど、実際は階層がそのまま保たれてるわけでもなく、明日はどうなるかわからない、みたいな話を毎日聞いてると……これはなんなんだろうな、と思います。
関さんは、5年ほど前までは都心のネット販売会社で正社員として勤務していた。10数年間忙しく働いていたが、経営者の死去により会社がなくなったため退職する。
関さん 結構退職金が入ってきたので、1年ぐらいゆっくり休みました。そして、この先何をしたいかなーと思った時、正直、また正社員みたいなちゃんと責任のある仕事っていうのは精神的に無理だったというか。燃え尽き症候群じゃないのかって知人に言われたような状態だったので。
1年間がっつり休んだからあまり意欲が湧いてこなかったっていうのもあるんですけど(笑)、そこから派遣会社に登録して、パートだの日払いだのとやってみたんですね。いろんな種類の職を経験してみたくて。
かつ、東京の都心部から都下に移り住みました。家賃の安いところに住んで、お給料も10万円ちょっとで暮らせる、そしてストレスがない、そういうところに行ってみたんですね。
淡々と…日々ゆるく暮らせればいいし、別に車がほしいわけでも、いいところに住みたいわけでもないっていうのもあったんで、お金も必死に稼ぐ必要もなく。日払いの仕事では、大晦日に外国人に混ざってレーンでコンビニのお弁当を作るようなところで働いたりもしました。
今まで都心のオフィスでカタカタカタカタ(パソコンを使って)OLをしてた自分とはまったく違う世界を体験したんですね。
私は自分自身を体験型だと思っていて、抵抗なく飛び込めるタイプっていう自覚はあるんですけれども、その中でお金がどんどんなくなってきたり、あまりに日払いに頼ってると明日のごはんもわからなくなってくるっていうことも体験したんですよね。自分自身も困窮者っていうか……
でも、精神的に切羽詰まるけど、不幸かっていうとそうでもないなと思ったり。
もしかしたら都心でOLしてた時のほうが精神的によっぽど落ちてたかもしれません。(忙しく、パワハラ傾向のある職場での仕事を)続けなきゃいけないって毎日切羽詰まってた時のほうが精神的なゆとりもなかったんで、やっぱり幸せかどうかっていうのはお金の有り無しで決められるものじゃないんだなっていうのは思ったんですね。
単発で様々な仕事をしているうちに体力や気力が回復し、ここ2〜3年は正社員としてフルタイムで働けるようになってきた。今でも、自分が本当にやりたい仕事とは何か考え続けている。
関さん 例えば出版社の編集とかも実際やってみてですね、いやこれやってらんねーなと思ったら(笑)、潔く辞めていいっていうのは自分自身に許してはいたんですけども。
「会社員とはこうあるべきだ」とか、「いざという時のために生命保険をかけて準備しておかないと」とか、「貯金もしないと」とか、10数年勤めてた会社にいた頃は普通だと思ってたことに、今となってはもう価値もあんまり感じないし、何して生きたらいいのか、自分自身をどう騙して、これから社会生活送っていけばいいんだろう?みたいな感覚が、今すごく強いですね。
──騙して、ですか?
関さん そう(笑)、仕事頑張るとかフルタイムで働くとか残業するとかって、どこかで自分自身を騙せないとできない感覚なんじゃないかと思ってます。
今仕事をしてても、なんのためにこれをするんだろうと思ってしまうんですよね。
──心身に負担をかけるほどがんばらなくても幸せに暮らせるとわかったからでしょうか?
関さん そうですねー……うん……たぶん、以前は、都心のOLという自分の肩書とか職種とかに、若干満足を覚えてた、っていうのもあると思うんです。でも……うーん、今となっては、そこに何かを求めるっていうのもないし……
皆さん、それなりに割り切って理由を持って働いているような気がするんですが、その理由づけが(自分は)ちょっとわかってないなー、みたいな。
スピリチュアルに求めた救い
パワハラがある職場や、当時の夫との仲に悩んでいた頃、スピリチュアル(※)な本に出会い、哲学や宗教学的なものに傾倒し始める。スピリチュアル関係のイベントによく足を運ぶようになった。
──そういう場には、救いを求めて行ってらした?
関さん 完全にそうです。
私は10代の時から、あんまり学校とかになじめなくて。表面的にはなじんでても精神的には難しかったので、引きこもりまではいかないけど、休める範囲で隠れてサボるみたいなタイプだったんですよ。バレないように社会から逸脱してたんですね。
本屋とか行って、自分はなんでこんなに考えちゃうんだろう?とか、なんでこんなに人生辛いんだろう?って、本に対しても必ず救いを求めていました。
でも、10代の時には答えが本の中になくて、20代になって東京に来て就職した直後、同棲してた彼氏と喧嘩して別れてつらい時に「聖なる予言」(※)って本をたまたま読んだんです。それが転機だったんですよ、なんか。
※「聖なる予言」ジェームズ・レッドフィールド 著 南米ペルーの森林で古代文書が発見された。そこには人生の意義に触れた深遠な知恵が記されているという。偶然とは思えないさまざまな出会いのなかで一つずつ見いだされる9つの知恵。自己発見の過程を描き出した小説。(アマゾン商品ページより引用)原著は1993年初版発行。
関さん 「聖なる予言」には、自分がはっとさせられるようなアイディアがいくつかあって。後から考えてみれば、あれってスピリチュアルな本だったんだなと思いました。(※関さんの見解です)
で、30代に入って、「あ、ビルから飛び降りたい」という時があったりして(笑)、考えてみたら私、今まで何度か「死にたい」っていうタイミングがあったけど、その時どうしてきたのかなって考えたら、あ、そういえば必ず本を読んでたなと思って。
だったら、死にたいって思う前にああいう本を読めばいいんじゃないだろうかって思い至ったんですよね(笑)。
じゃあ、って、元気なうちに電車で毎朝、江原さんとか美輪さんとかから読み出して。気がついたら本屋さんにスピリチュアルな本っていっぱいあるんですよね。外国人も日本人も書いてるし。
今度は体験してみようと思ってネットで探したら、東京に(団体やイベントが)まあーたくさんあって(笑)。で、行き出した、っていうのが経緯です。
※スピリチュアルとは:一般的に使われるこの言葉の意味は広範かつ曖昧だが、ここでは、精神的・哲学的・宗教的・霊的に物事を捉える考え方などに基づく様々な個人的・団体的な活動のことを指す。他人に広める啓蒙活動もあり、関さんはそれらのイベントに参加していた。
詳しく知りたい方はWikipediaのスピリチュアルのページやスピリチュアリティのページなどを参照ください。
スピリチュアル経験を漫画に/初めて「認められた」
スピリチュアル系の団体や個人運営者はそれぞれが独自の世界観を持ちサービスも多様で、面白い人も多く、関さんはほうぼう訪ね歩き、講習を受けたりもしていた。
そんな折、資金1万円で自分の作品を掲載できる書籍の企画をネットで見つける。
関さん なんとなく申し込んでみてから何を載せようかなって考えて、じゃあ、昔、漫画とか絵がすごく好きだったので、漫画描いてみようかなー、って。漫画描くにしてもネタ何にしようかな、そうだ、スピリチュアルだ、あれだけいっぱい行ってきたし(笑)、と。スピリチュアルの経験をネタに、4コマ漫画を描き始めたんですね。
それを本に掲載した後、せっかく数ページ描けたんだから、今は自分で簡単にサイトとかも作れる時代だし、っていうんで、定期的に描いてアップして、Facebookでお知らせして、というようなことを趣味として始めたんですよね。
自分自身がそれまでの生活からなんでスピリチュアルに行ったのか、それを経て自分の生活がどう変わったのか。スピリチュアル的というと怪しいかもしれませんが、宗教とかそういう視座から自分の人生を眺めると、それまでとは見え方や捉え方が変わってくる。そういう流れを漫画にしていきました。
で、スピリチュアルってほんと個人商売だったりするんで、いろんな先生方と知り合いになるんですね。
講座やイベントに行くと、皆さんその時はFacebookをされてたんで、つながりが増える。「私漫画描いてるんです」みたいなことを言うとその先生が広げてくれる。
自分が作ったものを喜んでもらえる、で、向こうの先生たちが言ったことも漫画にできるっていう相互作用みたいなのがあって、その上、私はあまり人と交流したくないタイプでそれまですごく友達とか少なかったのに、バーッと広がっていったのを見て、ああ……って。
それは自分の力を認めてもらえた実感を得た初めての経験だったんですよね。
会社の人間としてでもなく、学校の中でもなく、自分にしかできないアイディア……そんなに独自のものではないんだけども、自分の作ったものが喜んでもらえる、っていうことを初めて経験しました。
退職・離婚・漫画もSNSもやめる
関さん その後すぐ、うちの会社なくなります、でも退職金は出ます、っていう報告を受けて。ぶっちゃけ、会社にいた時は疲れると「ああ、あのビルから飛び降りたら楽かな」ぐらいなところまでいってたんで、会社なくなるって聞いて「ヤッホー!」って感じだったんですよ(笑)。
夫との仲もなんかもう……喧嘩も波があったりしたんですけど、常に離婚したいって自分から言ってたので。(退職して)私が家にいるようになって、ふとしたきっかけで離婚をすることになったんですけども。
そうすると、自分のやってる活動、これお金になるんじゃないのかな?とか妄想が広がり出すというか。その時点では何一つお金も得てないし、あくまで趣味の範囲だったんですけども、何かできるんじゃないか、みたいな、そういう妄想にだけはすごい取り憑かれるんですよね(笑)。
でももう、スピリチュアル的なイベントに関しては自分に限界が来ていて、大体何してるか、みんなが何したいかっていうのはわかった気になっちゃって、飽き始めてたんです(笑)。
やっぱり相手も、いくらスピリチュアルなこと言ってても人間なんで、人間臭さの方が逆に目についちゃうっていうか(笑)。すごく斜に構えて見てしまう自分がおりまして。
あの、なんだろ、スピリチュアルで成功されるような方々ってどっか崇拝されるじゃないですか。人間って誰しも、ああして崇拝されたいっていう気持ちが多少あると思うんですよね。
で、選民意識っていうんですかね、そうして崇拝されている人に「君は選ばれてる」みたいに言われていい気分になるとか、なんかそういう世界に、ちょっとうんざりしたというか(笑)。自分自身もちょっと舞い上がってたこともあって。
かつ、漫画を描いてちょっとちやほや言われただけで自分がいい気になってたのをすごく感じ始めてて。
見て見てー、私よー、みたいな意識を持っていることにもだんだん疲れ始めまして、漫画をやめたんです。で、Facebookとかネット上のつながりも全部切りました。
福祉職へ/好奇心と難しさ
関さん 変にふわふわしたところから切れると、逆に、社会で私は何をしようかな、と考えるようになりました。
世の中にこれだけたくさん会社があって、いろんな業種があって……、本当に貧困層とか、テレビで見るみたいな人間的な階層もたくさんありますが、その中でいろんな人たちが実際どんなふうに生きてるかって見たことがなかったので、そこにだんだん興味がわいてきたんです。この理由はもしかしたら後付けかもしれないんですけど(笑)。
でも、そう、見たくて、いろんな仕事をしてみたっていうのがありますかね。
ただ会社の中でOLをしてるだけだと、そういうものってなんにも見えなかったんだなって、今になると思います。
──いろんな仕事をして、今の福祉のお仕事に就いたきっかけは?
関さん 派遣で単発の仕事をいくつかやって、事務処理とかもして、でもなんかしっくりこないと思った時に、適職を分析してくれるアプリみたいなやつをやってみたんです。その結果、向いてる仕事の1位がカウンセラー、2位が宗教の教祖、3位がアーティストだったんですよ(笑)。
唯一カウンセラーがなんとか食える仕事なのかなと思って、ハローワークに行って「カウンセラー」で検索してみたら、その時たまたま生活保護に対するカウンセラーの求人があって無資格でもOKだったんです。しかも多少お給料も良かったんですね。
応募してみて、受かるはずもないと思ってたんですけど、意外にもお返事が来て、ただ、カウンセラーは未経験では難しいので、まずは生活保護の方々のためのお仕事を見つける、企業に対する求人開拓営業だったら雇えますっていうんで、じゃあぜひってことで就職したんです。それが一度目の福祉のきっかけでした。
企業にテレアポして、伺って、生活保護の方の説明をして、お仕事をもらってくる。で、別にいる相談員の方と話して働く意欲が高まった人に対して、私がこういうお仕事ありますよ、って紹介をして、なんとかお仕事をやってもらえるように結びつける。そういう役割をその時はしていました。
挫折/再びの福祉職
関さん でも、生活保護を受給するようになって何年も経ってるとか、物心ついた時から生活保護みたいな方もいらっしゃったりするので、なかなか難しい。みなさん、働くということに意欲が向かないとか、働くことも面接も怖いし、とか。だからそういう方に勧めるっていうと、じゃあマンションの清掃で、時間も朝のうちの2〜3時間から始めましょう、とかそういう勧め方になってしまって。
で、ご本人たちも、朝2〜3時間の清掃から始めたとしても、いきなり生活保護から抜けられるというわけでもないし……やっぱりすぐ辞めちゃったりするし……
かつ40、50代の男性がすごく多かったりもして。そもそも生活保護を受給するに至った理由に、みなさんバリバリ働いてきて、鬱病になったりとか、体調崩して働けなくなって、といった心身の障害的なことも多いんですね。
その方たちにいきなりフルタイムで、例えばITをやってらした方だからと言ってITを勧めるっていうのは難しかったりするので。でも小さなステップを踏んでもらうにも、本当にマンションの清掃でいいのかなとか……うーん。
私のいた職場は「意欲喚起事業」(※)って言って、彼らに働く意欲を持ってもらうっていう事業だったんです。でも、私の経験した中では、生活保護から抜けました、っていう方は一人もいなかったんですよね。そこの仕事の難しさはすごく感じましたね。
※就労意欲喚起等支援事業 就労意欲や生活能力・就労能力が低い、就労経験がないなどの就労に向けた課題をより多く抱える被保護者に対し、就労意欲喚起のためのカウンセリング他、様々な支援を行い既存の就労支援へ移行できるよう努める事業。民間職業紹介事業者、NPO法人等に委託されている。参考:厚生労働省(PDF)
で、そう、私の営業的なノルマとしては、彼らを働かせないと「1」にならないんですよ。いくら企業から仕事を見つけてもそれだけではあんまり意味なくて、彼らを仕事に就かせて初めて「1」なんで、その「1」がまあ難しい(笑)。
それで初めての福祉業も、1年足らずで挫折して、辞めたんです。
その後は疲れたなーと思って事務職とか1年ぐらいやったら、ああちょっとやりがいがほしい、となって、今の福祉の仕事に来たんですけども。
福祉って意外と間口が広いっていうんですかね、資格がないといけない職業もあるんですけども、結構年齢が上でも受け入れてくれるんです。私は今40代ですが比較的応募しやすいというか。で、そこで資格とか取ったりすると、将来的にも福祉の仕事で長く働ける、そういう業界だということはやりながらだんだんわかってきていました。
──一生働けるから福祉をやろうと?
関さん ああ、ではないですね(笑)。完全に好奇心とか……なんですかねー。
──一度挫折をされたのにまた生活保護者を支援する福祉に戻られたっていうのはすごいなと思ったんですけど、それはなぜ?
関さん 最初に私がいた会社では、私がやっていたような生活保護の方を就職させるっていうことと、もう一つ、生活保護に陥る以前の生活困窮者っていう方がいるんですけども、その人たちに仕事とかを提案する事業があったんですね。
私の同僚はそちらの事業所でその生活困窮の方々に対応していて。今すぐ仕事に就かないと生活保護になるという状況の方たちなので、マインドが違って、比較的仕事につながりやすかったっていうのを聞いていたんですね。
で、後になって、ああ、私は生活保護の方の対応をしていたからあれだけ難しかったんじゃないだろうかと(笑)思いまして。
それに、世の中にいる生活困窮の方々とか、それに対する支援のこと、私は全然情報として知らないなと思って。募集要項とか見ると、本当にいろんな、生活困窮の母子対象とか、住居専門とかの支援内容がありまして、もうちょっとその辺勉強したい、と思って応募したというのがあります。
……っていうのは表面的な理由なんですよね(笑)。本当はもっと、もっと安易ですね。ただ知りたいんですよねー……面白そうだな、っていう感じって言いますかね。
──「知りたい」というのを何度もおっしゃっていますね。
関さん どういう生活をしてて、どういう心理になって、その環境でどんな精神的な状況になるんだろうっていうのはすごく興味があるんで。それはスピリチュアルとちょっとつながってて。
心理学とかでもよくあると思うんですけど、自分も育った環境で考え方はすごく影響を受けていると思うし、それをほったらかしにしてれば、それが当たり前の世界にずっと住み続けてるわけで。
生活困窮の方々の話を聞いてても、親が生活保護を受給していて、その中で子供として育つと、親が働いてる姿を知らずに育ってるから、自分も働くっていう意識が育たない。よくあるんです。
そういうことが2世代とかに渡って続いてるっていう現実もあるんですよ。そういう人たちの話を直接聞けるというのも福祉の職場だなと、その時私は思って。
でもその人たちの考えを変えて、即仕事に結びつけなきゃいけないというのが私の使命なんですけど、それはちょっときっついなー!というのがあって(笑)。でも知りたいなー、みたいなことを友人に話したから、たぶん取材の仕事を勧められたんじゃないのかなと思うんですけどね。
──取材をできるかもということを含めて、次の転職先として出版社を選ばれた?
関さん うーん。(転職先は)スピリチュアル系の出版社なんですよ。よく自分が知っている出版社だったんで応募したんですが、あんまりやる気ない(笑)というか、たまたま受かっちゃったんで、行こうかなという感じですね。それくらい自分の中で指針が何も定まってなくて。
中間点がいいのかもしれない
関さん スピリチュアルやった時のあるあるなんですけど、(はまると)「明日死ぬかのように生きろ」みたいなマインドになりやすいんですよ。常識が常識じゃないみたいなマインドになって、どっぷりはまると何やるのも怖くなくなるっていう瞬間があるんですね(笑)。
小さい劇団のオーディションに演劇やったこともないのに応募してみたりとか(笑)。そういう意欲が高まってなんでもやってる時って、自分に制限をかけずにいられて、人生がむちゃくちゃ楽しかったんですけど。
ここ数年はね、「ああ、ダメだわ、現実を見なきゃ」みたいな感じになって、そうすると凝り固まっていって、世の中に怖いものがすごいたくさんできてですね。自分が目立っちゃいけないし、会社の中でも突飛な意見を出しちゃいけないとか(思う)。
でもそうやって人の目を気にして生きてると、まあクソつまんなくてですね(笑)。なーんか、どっちがいいんだろうなみたいな。
──どうして「現実を見なきゃ」と思うんですかね?
関さん スピリチュアルにはまってた自分を否定し始めたんですよね(笑)。何ふわふわしたこと言ってんだろうと。何を現実から離れた夢や希望を持っちゃってるんだ私は、って。
今はそこも抜けてはきたんですけど、どうやって生きると楽しいのかなーと考えています。中間点を見つけるのが一番いいような気もしてるんですけど。
(終わり)
・・・スピリチュアルこぼれ話・・・
(本編には収めきれなかった面白いお話をこちらに。)
──スピリチュアルと言うと、精神世界的なものを指すのでしょうか? イベントとなると、啓発系も含まれるんでしょうか?
関さん 私も境界線が曖昧だなと思ってて。例えば、霊気とか、手を当てて、とか、あと、なんか、アマテラスが、とか言ってみたりとか。んーと……中には啓発系も多いですかね……
以前、個人が主催しているスピリチュアルで、頭に手をかざして脳みそに何かするみたいなのが(笑)あったんですよ。名前忘れちゃったんですけど。そういうのって、例えば元はアメリカでそういうことやってる人がいて、それが流行ってるというのを日本人のスピリチュアラーが聞きつけて、アメリカからその権利をお金を出して買ってくるんですよね。で、日本に紹介する、と。
そうすると、日本でもお金を出して講習を何時間か受ければ、あなたも講習を開ける資格を手に入れられます、みたいな、そういう流れがあったりするんです。私も実は5万円くらい払って数時間講習を受けて、資格を取ったんですが(笑)。
霊気とかも、みなさん、資格取ったからやります、みたいな。そういう資格とかもすっごい曖昧な(笑)ものだったりするんですけど。だからそれが精神世界なのか、肉体的な何かなのか、っていうのが違うだけで、(ビジネスの)啓発っていう側面は大きいですね。
──習い事の教室の講師みたいですね。仕事にもなるってことですよね。
関さん そうそう、そうなんですよねー。(雇用される)仕事っていう枠から抜けて自分でお金をもらうことができるっていうのは、私もスピリチュアルの中ではすごく簡単だなと思って。誰もそこに対して精査をしないじゃないですか。それおかしいよ、っていう人がいない(笑)。まあいる場合もあると思うんですけど、でも信じる人は信じてお金を払うわけで、結構高いお金が得られたりするんですよね。だから余計に独立しやすいっていうか、主婦だったらすごく簡単に高額のお小遣いをもらえる、そういうイメージがありました。だから「お金と関係があるスピリチュアル」みたいな(笑)。
──関さんは実際にそれでお金を稼いだことは?
関さん いや、稼いだことはないですね。私も資格を取ったりはしたんですけど、人にやってあげたいっていう意識はなくてですね。あくまで自分が体験したいっていうだけで(笑)。
・
──はまってらした時は、信じる気持ちはあった?
関さん ありましたね。この先生は面白いなとか、この考え方はいいなとか。ただ、常に疑ってますけど。100%どっぷりってわけではないですかね。
神聖な世界だから先生がものすごく純粋な気持ちでやってるのかっていうとそうでもないし、やっぱり上下関係や師弟関係があって、ただ高い位置にいたいだけの先生とか、そういう人間的な部分が見えるとうんざりして次行こう、みたいな。結果的にはみんな人間なんだな、というとこに落ち着いちゃって(笑)。
──はまっていながらも、何割かは冷静という関さんの視点のバランスがすごく面白いです(笑)。
関さん あ、ほんとですか(笑)。
期待するんですよ、やっぱり。この人についていきたいって思えるような、こんな完璧な考え方があるんだ、みたいなものに出会えるのを、どこかで求めてるんですよね。でも、行ったら行ったでがっかりする(笑)。キリスト教の信者とかががっつり純粋に拝めるような、ああいう気持ちになってみたいですよね(笑)。
・
──スピリチュアルにはまっては冷静になって、というのがあっても、その経験から自分の中に生きている考え方もありますか?
関さん 自分の人生というものを見る視点が変わってきたっていうのがすごく大きいですかね。
たぶん、ほとんどそっち側の考え方になっちゃってるかもしれないですかねー。
例えば、前世・今世・来世があり、死んだら魂が向こうに帰る、ここにあるのは仮の姿だという考え方と、あるのは今のこの世界だけで、死んだら朽ちて土に帰るだけという考え方とでは、だいぶ人生の捉え方が違うと思うんですね。
自分に都合のいいアイディアは取り入れて生きてます。自然に(笑)。
(こぼれ話終わり)