アーティストステートメントと社会彫刻
僕は音楽が好きで、お笑いが好きで、サッカーが好きである。また、数学(確率論)と金融にも関心がある。いつからか、これらの好きなものに共通するものは何だろうと考えていた。引いては、自分のアーティストステートメントは何だろうと考えていた。初めは、「偶然性」が共通する性質だと思っていた。音楽のライブは、歌や演奏を間違えるかもしれないという偶然性を常に抱えている。お笑いはフリートークの場で試されるアドリブに大きな魅力がある。サッカーの試合で偶然性が影響するのは言うまでもない。また、確率論は偶然起こる事象を扱う分野で、それは金融における定量的分析のツールである。
つまり、僕は偶然起こることが好きだと思っていた。確かなことよりも不確かなことに惹かれていると思っていた。しかし、これは半分正しくて半分間違っていることに気づいた。それは泉谷閑示先生の『本物の思考力を磨くための音楽学~「本質を見抜く力」は「感動」から作られる~』を読んだときだ。
即興性は、先に挙げたお笑いのトークの場でのアドリブのことであり、サッカーの試合で相手選手を華麗にかわすドリブルやパスワークのことである。僕は即興性≒偶然性だと誤解していた。しかし泉谷先生によれば即興性とは規則性と偶然性(偶発性)の止揚のことである。
そう考えると、僕の好きなものはどれも、ただ偶然性を備えているから面白いのではない。音楽もお笑いもサッカーも、規則に偶然(または規則からの逸脱)が入り込んでいるから面白いのだ。
音楽は、そもそもコード進行が規則と規則からの逸脱の繰り返しである。規則的過ぎても面白くないし、逸脱ばかりだとよく分からない。またこれは漫才にも言えることである。
サッカーを含めスポーツにはたいてい定石というものがある。相手を上回る素晴らしいプレーは、定石(規則)があって、そこを逸脱する瞬間に生まれる。
また、金融指標のモデルとして使われる確率微分方程式は確定的(規則的)な動きを表す項と確率的(ランダム)な項の和で表される。
どれも規則と偶然のバランスが肝心である。
僕は、規則性と偶然性の間にある音楽性、即興性を探求してきたんだと思う。自分が普段行うあらゆる行為が、この言葉で説明できるかもしれない。今までは面倒くさいとだけ感じていた定例的な業務や資格の勉強も、規則の側を支えるために大切な営みだと思うと、意味を帯び始める。文章やプログラミングの一文字一文字、数値計算の一つ一つも僕の人生をかけた探求に繋がっているはずなのである。
エマニュエル・ダーマンの『物理学者、ウォール街を往く。』にはこんな記述がある。
このように考えを広げていくと、「社会彫刻」という言葉の意味がようやく分かってきた気がする。あらゆる人間の行為は社会における芸術作品の創造である。しかしそれは、行為を行う本人が自分なりの切り口、すなわちアーティストステートメントを持ってこそ成り立つことだろう。
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