言葉で欲望を維持する

何日も人と(リモートですら)会わずに家に引きこもっていると、無気力状態に陥ってしまうことが度々ある。その状態から脱するには他人と会うしかないと思っていた。「欲望は他者の欲望である」というラカンの言葉通り、欲望は他人によって形作られると思っていたからだ。なので、誰ともコミュニケーションを交わさず一人で家にいる限りは、無気力に陥ることは免れ得ないという諦めがあった。実際、斎藤環先生の以下noteにそういった内容の記述がある。

人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)|note

一人で家でいる限りは、欲望を持ち続けるのは不可能だと思っていた。ただし、上の斎藤環先生のnoteには、こうも書かれている。

さきほどのテーゼにおける他者とは、言語システム(象徴界)の謂でもある

斎藤環先生の別の記事にも同様のことが書かれている。

それにしても、なんかやたら、欲望とか他者とかいう言い回しが出てくるね。で、種を明かすと、ここで言うところの「他者」っていうのが、ほぼイコール、「言葉」のことなんだ。

生き延びるためのラカン 第3回 「それが欲しい理由」が言える?

つまり、「他者」は単に他の人間を指しているわけではない。そう考えれば、他人と会わなければ欲望を維持できないという主張は100%正しいとは思えない。言葉に接することで、欲望を生み出すことができるかもしれない。
このように文章を書くことで何かしらの欲望、あるいは気力を生み出しているかもしれない。または、本を読んだり、誰かの話を画面を通して聴いているだけでも同様の効果があるかもしれない。もちろん、直接他人と接することと同程度の効果があるかは分からない。ただ、昨今の状況下において、家に引きこもっているときには言葉と接する、言葉を意識するということが力強く生きるために重要かもしれない。

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